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Investigating language
チェスがどのように進んでいくかを、観察だけで、発見していくことを想像してほしい。試合の流れを見て、駒の動きを記録を分析する。誰もあなたに助言をしてくれないし、ルールブックも見てはいけない。
それでも、ある程度のルールを素早く見つけ出す事が出来るだろう。例えば、ビショップは対角線上に進む。キングは一度一コマしか進めない。
その他のルールはもっと分かりにくい。例えば、キングとルークを同時に動かす、キャスリングという不自然で複雑な一手がある。これは一試合で一回しか行う事が出来ない。キャスティングのルールを知るために、たくさんの試合を観察し、何回も仮説を確かめる必要がある。
それでは、何百、何千の駒があったらどうだろうか。
プレイヤーは全員が同じルールに従っている訳ではなく、間違いも良くする。その間違いが、間違いであると言うことも、あなたには分からない。
これは、言語学者が言語の規則を導きだそうとしているのと同じである。
言語を使用する能力、言語能力(competence)は、使用者のそれぞれの頭の中に少しずつ違う形で共有されている。能力の証拠である言語運用(performance)とても複雑でバラエティーに富んでいる。そして、言語能力と言語運用の関係性は、決して一直線ではない。
 
Form outside to inside
1950年代から、言語学の研究の焦点は言語運用から言語能力へと移っていった。紙の上やテープレコーダーの中の文法から、頭の中の文法に注目が映った。
ノーム・チョムスキーの「文法の構造(Syntactic Structures)」が1957年に出版されてから、多くの学者にとって、文法の研究は記述的なものから解釈的なものになった。この立場では、研究の目標は、ただ実際の言語に観察される規則を抽出するだけでなく、深層にある精神的な規則を明らかにする事である。その規則とは、言語の中で、全ての可能な文法的な文章を生成し、非文法的な文章は無い。
そうして最終的には、人間言語に普遍的な性質を明らかにしたいと考えている。
 
規則は、非文法的な文章を生成しないという考えはとても重要だ。
記述文法家たちは、伝統的に「そこにあるもの」に注目してきたが、使用者が無意識にしている規則化の方法を探るために、「そこにないもの」に対する注目も、同じぐらい重要である。
例えば、再帰代名詞の適切な説明のためには、何故再帰代名詞を用いるのかだけでなく、'*When they left they took the dog with themselves.'が不可能であるように、なぜ再帰代名詞を用いないのかを説明する必要がある。
このような問いは、誘出法(elicitation test)と呼ばれる方法で分析する事が出来る。これは、ある状況を説明する文法的な文章を、人々に作らせる方法である。あるいは、文法生判断テスト(grammaticality judgement test)がある。これは、用意した文章に、文法性の点数をつけてもらう方法である。
この方法で、あまり出てこない文章を調査する事が出来、安定した秩序と、単純なテストでは現れない制約(constraint)を明らかにする事が出来る。
英語では例えば、'wh'抽出と言われるものがある。埋め込み文への問いであっても、主文での'what'が使用出来る。'What did John think Ann told Peter she had bought?(ジョンは、アンがピーターに、何を買ったと教えたと思っているのですか。)'しかし、次の文で「アンが何を買ったか」を問う事は出来ない。'What did John get cross because Ann told Peter she had bought.(アンがピーターに何を買ったと言ったから、ジョンはふて腐れているのですか。)'(このような例文群の評価で、'what'と'bought'の間に、どこまで複雑な文章が介入する事が可能なのかを、計る事が出来る。)
このような関係構造の範囲に渡って、文法評価を引き出す事で、研究者は、下層にある生成文法(generative grammar)を築く事が出来る。生成文法とは、母語話者の慣用法を操作し制限するものである。
 
強力で効率的な発生源である規則の研究は必然的に、文法を、表面的な記述から、抽象的な公式へと導いた。
例えば、英語の生成文法では、名詞句と形容詞句と前置詞句と節構造が、全て同じ下層の構造を持つ。しかし表層にはその構造は現れない。このように、深い部分にあるひとつ規則によって生成されている。さまざまな構造の表面的な違いは、話し言葉や書き言葉などでの現実化と抽象的な構造を結びつける規則によって説明される。
この方法では、単純に見える文章もかなりの分析が必要になる。
 
Learnability and universal grammar
以上のような報告が、とてつもなく複雑で未だ完全に理解出来ない構造的な原理により、作用するものとしての言語を描き出す。
これはもっと重要な問いを導きだす。子供達は、どのようにして、日常的に苦もなく母語を習得しているのか。
入力はきれぎれで不完全である。親の言語は、子供が下層の構造を理解し機能させるためには、不十分でばらばらで雑多なモデルのように思える。実際、入力は、実行されている安定して複雑で文法的な制約の根拠にはならない。例えば'wh'抽出を含む構造は珍しく、子供はその文章を作れないし、間違いを修正する事も出来ない。
事実として、言語の知識は、入手可能な入力によって決定するのではない。このような刺激の不足を理由に、多くの言語学者が、言語の知識には既に繋げられているものがある、と主張している。私たちは、生まれながらに言語の知識を持っている、という主張だ。
これは、遺伝的な才能によって、子供達はまず、どのように言語が組み込まれているかに関して知識を持っていると仮定する。そのため、一度の言語の入力で、子供達はすぐさま既存の枠組みに母語の詳細を当てはめる事が出来る。ガイドラインもなく与えられた記号を解読する必要な無い。
1950年代から、多くの言語学的研究は普遍文法(universal grammar)の性質を探る事であった。そしてさまざまなモデルが提示された。
もっとも影響力があった枠組みは、チョムスキーが1980年代に提唱した原理(princilpe)パラメーター(parameter)である。簡単に言うと、私たちの遺伝的な才能は、全ての言語が従う原理に関する知識と、変える事が出来る特定のパラメーターに関する知識を含んでいる。
 
よく引用される原理の例は、依存構造(structure-dependency)である。2章で述べたが、言語の操作は、単語よりも構造と関係している。例えば英語の疑問文を作るプログラムを組むとして、一番始めの動詞を操作する、というような単純な方法では出来ない。
 That man is Greek.→Is that man Greek?
 That man who is laughing is Greek.→*Is the man who laughing is Greek?
2番目の文章で操作を正しく行うためには、最初の'is'は主語の名詞句の中のもので、主動詞ではないと知っていなければならない。
 
そしてパラメーターの例は代名詞主語省略(pro-drop)である。主語の代名詞を省略する事が出来る言語がある。例えば、通常、イタリア語では'He/She has paid'は'ha pagato(has paid)'と言う。主語を言う必要がある特別な時にだけ、主語を加え'lui ha pagato'と言う。しかし、フランス語では、このような代名詞の主語を省く事は非文法的である。
この説では、フランスとイタリアの子供は大量の入力を分析する必要は無く、パラメーターに関する知識を既に持っている。少量の入力が、この言語が代名詞主語省略をするか、しないかを示唆し、それに従って子供はパラメーターを設定する。それぞれの言語の文法的な違いは、複数のパラメータの設定の違いに収束する。
 
Problem with the innate view
生得的な言語の知識の主張は説得力があり、これを題材にした広範囲の研究は、さまざまな言語の文法への理解を大きく深めた。
それでもなお、普遍文法は、かなり議論をかもしている。
世界の言語の共通する中核を仮定するのに十分に抽象的で、そこから様々な言語の異なる表層を生じるさせる方法を含んだ文法は、とてつもなく複雑であるはずだ。
これは必然的にこのような疑問を投げかける。複雑な文法が遺伝的な才能と言う主張は、どの程度もっともらしいのか?
1950年代から、単純化したため、生成文法はおおきく変化して来た。近年の急速な変化とチョムスキーの最初主義プログラムの発展にも関わらず、この事業が成功したのかもわからない。
 
もう1つの問題は、普遍文法の学習可能性に関するものである。普遍文法は、入手可能な入力では学ぶ事が出来ないものである。
子供達は、仮定の普遍的な核文法(core grammar)だけでなく、多くの周辺文法(peripheral grammar)も習得する。周辺文法は各言語で異なるため、遺伝的な才能の一部ではあり得なし、格文法と同じぐらい複雑である。
この周辺文法は、入力から学ばなければいけない。そのほかの情報源がないからだ。そこで、今の知識でその方法がわからないとしても、どうして、周辺文法と同じ方法で、入力から核文法を学べないのか。という疑問が生じる。
 
しかし、既に繋がれた言語の知識があっても、なくても、人間は言語を学び発展させる強い性質を備えている事は確かだ。
教養に差があっても環境が違っても、すべての子供達はこのすばらしい手柄を収める事が出来る。
 
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series

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