Attitude to language changing
言語は社会的なアイデンティティーと固く結びついているため、人々が言語に関して強い思い入れを持っている事は当然だ。
言語の変化は社会を不安にし、それを悪い事として見なすのが一般的な態度である。ある世代、ある文化に所属する話者は、自分たちの言語が昔の言語より劣っていると考える事が多い。したがって、言語の変化は衰退であり、腐敗である。
ある社会学者はこの様相を聖書のバベルの塔の逸話に遡っている。そこでは、1つの共通言語がさまざまな言語に分離したことが、罪深い行為に対する罰として描かれている。
ヨーロッパの言語の歴史では、言語の変化に対して衰退や腐敗といった否定的な態度が大半で、中立的な意見より多い。一方で、賛成的な意見は全くない。
ほとんどのヨーロッパの国家の言葉で、言語を成文化し浄化しようとする試みが見られる。例えば、正しい用法である規範的な規則に当てはめて、言語が変化するのを防ごうとした。このような事業は公式の機関で行われることがあり、1582年フィレンツェに創立されたクルスカ学会(Crusca)、1635年設立のアカデミー・フランセーズ(Académie française)や、17世紀から18世紀にかけてドイツのさまざまな言語学会で行われていた。イギリスでは18世紀に強い言語変化への抵抗が起こり、規則化と整頓を求めてたが、成文化(codification)は個人によって行われた。
ジョナサン・スィフトやサミュエル・ジョンソンなどこの時代の知識人や文筆家は、言語の変化に対して、激しく反発している。1755年出版の『英語辞典(Dictionary of the English dictionary)』を編纂したジョンソンは、言語の変化は「言語の悪そのもの」であるとし、彼の辞書の冒頭で以下のように述べている。
(4)言語は、政府と同じで、生まれつき退化してゆく傾向がある。我々は長い間憲法を守って来た。同じように、私たちの言語のために努力をしよう。
このような、人間の設立したものとの比較は、決してイギリスだけのことではない。アメリカの政治家のベンジャミン・フランクリンは、言語は社会の現実を反映していて、言語の退化は直接に当時の社会の退化であるとした。
フランクリンが言った、「病気の伝統」は今世紀まで続いている。次に上げるのは、アメリカの芸術評論家ジョン・サイモンによる言語に関する本、「Paradigms Lost」からの引用である。このような意見は、教育を受けた一般人の間でも繰り返し主張されている。
(5)概して、言語の変化は、話し手と書き手の無知によりおこる。あと数世紀もすれば、教育や辞書や文法書に依って、有毒なツタのようなこの無学は根絶させられるだろう。
個人だけではなく、政治的な機関もある変化に関して、かなり感情的で思想的な態度を取っている。ナチス・ドイツはドイツ語の高潔さを、外来語をドイツ語式に言い換える等することにより、主張しようと試みた。例えば、'Telephon(電話)'のかわりに、'Fernsprecher(遠隔声器)'とした。しかし、例え民主主義政府も、膨大な外来語をからの借用を中止すると言う、国粋主義的な傾向には免疫が無かった。
近年の例では、フランス語と英語の混じった俗語「フラングレ(flranglais)」の使用に対する、フランス政府の措置がある。成功しなかったが、例えば、'le walkman'のような語をフランスの公式委員会が'le baladeur'という新語を作って言い換えを提案した。
しかし、本当の古い言葉や、想像上の伝統的な言葉への回帰、あるいは純化も、もちろん変化をとも無いものだが、この変化は、政治的な理由で「正しい方向」と見なされた。
過去には、専門的な言語学者も、言語の変化に関して保守的な態度を取る傾向があった。19世紀初頭の学者は、成長期のある生きた組織であると考えていた。一時の進化的な成熟があり、その後には腐敗がある。したがって、古英語から現代英語、ラテン語からフランス語にかけての格屈折の消滅と、前置詞句による補完は、衰退とみなされた。
現代の言語学者は一般的に、言語の変化に関して、中立的、あるいは肯定的な態度としめす。肯定的な立場には、社会のニーズの変化に会わせて、コミュニケーションの効率を高めるために、言語の変化は必要であると主張する人もいる。
これは、政治的に正しい言語を作るための言語政策などの目的に達するために、故意の言語変化の推進に応用される。さらには、言語システムの均衡や調和を保ち、文法を単純化するのために、言語の変化は必要な治療的措置であるという見方もある。
このような視点では、時代をまたぐ言語の変化は、当時行われた勢力の機能である。この点において、言語でもなんでも、歴史の研究は現在への理解に依存しており、現在とは、過去に依って明らかになる。
Language state and process
それれでも、言語学的な過去と現在は異なる研究分野に分かれる。ある時点の言語の状態を研究する共時的(synchronic)言語学は、時を経る言語の進化を研究する、歴史的な通時的(diachronic)言語学を考慮しない方がよい、というのが、共通の考えである。
しかし、この厳格な分離は、言語の研究に関するこの2つの側面の関係性の誤解に基づいている。一方では、共時的な言語システムの研究が、過去の再構築に使用出来る見識をもたらす事があるし、もう一方では、共時的な言語システムが完全に体系的で安定して均質であるという仮定が架空のものであることが、わかるだろう。
全ては、ある点において、非体系的である。例外と呼ばれる、多くの不規則な初期システムの名残は、共時的な文脈では解釈出来ないが、過去の状態や進化を参照すれば説明する事ができる。共時的な言語での不安定な状態は通時的過程の結果であり、その不安定さは、現在にもその過程が引き継がれていることの証拠である。
同様に、共時的な言語のバリエーションと、通時的な言語の変化にも相互関係がある。ここ30年程、これら真実に気付き、言語学の領域に置いて歴史言語学を正しく位置づけるように、学問の方向付けが大きく改定された。
The aim and scope of historical linguistics
近代的な意味での歴史言語学の始まりは、200年以上前に遡ることができるが、もっと古い言語の研究の伝統をもつ文化もある。従って、異なる学問的伝統や歴史言語学に対するアプローチの仕方が存在する事は、驚く事でない。それぞれが対象を定め、異なる方法論を採用している。以下のような領域の研究がある。
1、現存する文書に基づく、特定の言語の「歴史」の研究。
2、比較再建(comparative reconstruction)による言語の「史前」の研究。記録に無い過去を、それ以後の記録から推測すること。
3、言語の「現在起こっている変化」の研究。
これらの研究自体がどんなに魅力的でも、これらの研究はその他の研究と、もっと抽象的な目標につながっている。すなわち、もっと一般的で、出来る限り普遍的な言語変化の性質の発見である。
ある特定の言語が、その他のあるいは全ての言語と共通するものに関する記述的事実を関係づける事で、歴史言語学者は、なぜ言語が変化するのか、どのように空間的時間的に変化が広がっていくのかの説明を求める。これらの疑問の答えがわかる見込みのある分野は、現在の変化の研究である。特に、社会的な要素との関係性と、共時的な言語のバリエーションと、通時的な言語の変化との関係性を強調する枠組みのなかで実行される。
Herbert Schendl, Historical Linguistics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series
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