Agreement
文法関係の形態論的な印は、個々の単語を越えた一致(agreement)をなすことがよくある。単語の形態が、他の単語の文法上の分類や形態によって決まる事である。
名詞句の構成要素はよく、この方法で結びついている。一致のマーカーは比較的分かりにくいものがある。
ロシア語の'moyem'と'sadu'は、両方とも男性で単数の前置格であるが、その語尾に共通点は無い。イタリア語は冠詞だけが、名詞の分類を示している。もっとも分かりやすい例はバンツー語派(Bantu)の言語である。この語派は、名詞の分類を示す接頭辞が、名詞句を通して繰り返される。以下はスワヒリ語(Swahili)の例である。
ki-kapu ki-kubwa ki-moja
basket large one (one large basket)
主語、目的語の関係性は、名詞と動詞の一致によって示される。
インド・ヨーロッパ語族では共通して、動詞は、主語の数と人称を反映している。また多くの言語で主語が、主語の形式や位置ではなく、動詞の形式によって示されている事がある。その動詞は、その主語がある意味的で、形式的な分類に属している事を意味するような屈折である。以下はモーホーク語(Mahowk)の例である。
Ieksá:a raksá:'a wahonwá:'ienhte'
girl boy hit+'girl' class marker (The girl hit the boy)
Ieská:a raksá:'a wahshakó:ienhte'
girl boy hit+'boy' class marker (The boy hit the girl)
その他の言語では、目的語と動詞の一致が行われるものもある。また、他の言語では、主語や直接目的語と間接目的語やさまざまな情報を示唆する接辞が、動詞にたくさん付いている事もある。
一致は名詞句や動詞句だけでなく、副詞などでも行われる。英語の多くの方言や、ロマンス諸語の否定の動詞は、副詞や代名詞の否定形に対応する。
Meanings
ある1つの目的の為に開発された道具は、よく、後からその他の使い道がある事が分かる。計算の為に開発されたコンピューターもそうだ。今はあらゆる事にコンピューターが使われる。同じような機能上の拡散が見られるのが文法である。
第1章で述べたように、文法は、語単独では扱えない、限られた目的にとってのみ必須の装置である。その目的とは、参与者の役割を区別したり、構造的な関係を築いたり、発話の形式的な地位を築いたりすることである。
しかし、実際には、その他のさまざまな概念や関係性を指し示すのに、とても便利で経済的であることがわかった。
英語ひとつとっても、文法的な特徴が、時制、完了(perfective)や進行(progressive)などの相、数、定性、人称や性、有生性(animacy)などを表す。車のような不連続なものと、空気や香りや埃などの連続したものの区別も出来る。そして、英語話者やその祖先が選んで取り入れた文法の中核によって、さまざまな意味を伝える事が出来る。
これらの概念は、細かい部分はさまざまだが、世界中の言語で頻繁に見られる。例えば、数に、英語のような単復ではなく、双数(dual) 、三数(trial)、不特定少数を示す少数(paucal)などの形がある言語もある。
しかし、これらの文法化は、明らかに、普遍的ではない。
英語話者は、多くの言語の文法に、時制や数がないことに驚く。それらはその他の単語を付加してその概念を表す。
そして、多くの言語は、英語には無い文法項目を表現する。ネイティブ・アメリカンやオーストラリアの言語には、可視性(visibility)という文法項目がある。話題に上がっている物が、見えるか見えないかを示す、名詞と代名詞の形式である。
また、証拠表示(evidentiality)の項目をもつ多くの言語で、話題に上がっている物事を、話者がどのように知ったかということを、動詞が示す。例えば、目撃、噂、常識や推測の違いである。
あるいは、ネイティブ・アメリカンの言語には、2つの三人称の代名詞をもつ言語がある。ひとつは話題の中心で、もうひとつはその他の人たちに用いる。
多くの言語が2種類の一人称複数を持っている。聞き手を含む私たちと、聞き手を含まない私たちである。
また、譲渡可能な所有(alienable possession)と譲渡不可能な所有(inalinable possession)の区別も共通してみられる。例えば、兄弟と車の違いである。
韓国語や日本語では、尊敬や社会的地位を示すたくさんの文法的装置がある。
文法は、私たちの世界の知覚の基礎である意味を表現しているので、とても比喩的な能力を秘めている。
英語は、時間的な差を、その他の切り離しや疎遠を表すのに利用している。質問や依頼は、過去や未来時制を利用する事によって、より遠回しに、丁寧な表現になる。また、空間的な距離が感情的な距離を示す。例えば、'I like this music.'と'Turn off that bloody noise.'である。
多くの言語は代名詞を比喩的に用いて、尊敬を暗示する。例えばフランス語などで、一人の聞き手に対して、複数の二人称を用いる事で、丁寧さを表現する。三人称の代名詞はさらに遠回しな表現で尊敬をしめす。
文法には、言語ごとに異なる意味を記号化しているため、話者の知覚やカテゴライズが本当に異なっているのかという疑問はとても自然である。
言語が私たちの思考方法を定めると言う、伝統的な考えを言語相対性(languistic relativity)と言う。20世紀の上旬に、人類学と言語学が世界中の言語のより詳細な知識を蓄えて行くのとともに、この考えは新たに勢いを増した。
北アメリカのホピ語(Hopi)は時間を表現する文法が、明らかに、ヨーロッパの言語とは異なる。この事実により、エドワード・サピアやベンジャミン・リー・ウォーフなどの言語学者が、ホピ族と英語話者の時間の概念が全く異なると主張した。
サピア=ウォーフの仮説は後の調査からも指示されず、普遍文法の信仰が強まるに連れて、衰退していった。
しかし、この観点への興味は現存しており、言語と認知の関係性を調査している研究者は、ある種の言語相対性が存在していると言う証拠を探している。
Why is everything so complicated?
世界中の文法システムを見ると、必ず困惑するだろう。なぜこんなに複雑なのか?何のために?
ロシア人は本当に、数と性と格の形態素の難解なルールと一致した、9個の単数形と4個の複数形を持つ'my'の概念を明確に表現出来ているのか?
中国語での数の数え方は、全ての名詞の後に付くふさわしい分類詞を付ける事に依って、明らかに難しくなっている。
なぜ英語では過去の事を話す時に、いつも6個の時制と相を表す形式を使わなければならないのか、それは何かを便利にしているのか?
なぜナバホ族の人々が、話す情報の出所を全ての動詞に付け加えるのに何の価値があるのか。
中国語での数の数え方は、全ての名詞の後に付くふさわしい分類詞を付ける事に依って、明らかに難しくなっている。
なぜ英語では過去の事を話す時に、いつも6個の時制と相を表す形式を使わなければならないのか、それは何かを便利にしているのか?
なぜナバホ族の人々が、話す情報の出所を全ての動詞に付け加えるのに何の価値があるのか。
ドイツ語の'good'にあたる語彙は、6つの形式を持っているが、その中の1つである'guter'は、それだけでは主格男性単数形なのか、属格女性単数形なのか、属格複数形なのかわからない。
エスペラント語のような人工言語開発者言う通り、もっと良いシステムを作れると考えるのは、ごく自然な事であるように感じる。
言語の複雑さに寄与している1つの要因は、歴史である。
言語の発展とともに、音声学的な変化が単語を変え、浸食し、そのために、規則的で予測可能な形式を、特異で予測不可能な語末に変わってしまった。
言語の機能が生き残ることもある。例えば、語順が機能として採用されたからと言って、格の語形変化が消える必要は無い。結果、全ての言語はゴミ箱を含んでおり、そこには使い古された機能や、時代遅れの道具が収納されているのである。
しかし、新しいものといっしょに古い言語学的な装置を保存しておく事は、有利になるだろう。このような重複はコミュニケーションを破綻しにくくするだろう。
2つめの要因は、規則やシステムを普遍的に用いようとする、人間の性質にある。
新たに作られたクレオール語(creole)では、時間の関係性が、数世代の間で、選択から義務へと移行して行く様子が観察されている。なぜそうなるのかは明らかでは無いが、それぞれの状況に依って適用されるのか、されないのかを判断するより、常に規則を適応させるような少ない計算が求められているのだろう。
それは、他の自動車があっても無くても、信号が赤ならば止まらなければならないのと、同じである。
3つめの要因は、実際のその言語の話者にとっては難しくないので、複雑な文法を整理整頓しようと思わないことである。
子供達は途方も無く精巧な言語システムを習得するのに、苦もなく、完璧に、無意識に完了してしまう。
西アフリカのフラニ語(Fula)は、形態論的に、それぞれの単語が特異な屈折の形態を取る。習得に時間はかかるが、フラニ族の成人は全く問題なく使いこなす。むしろ、英語の複数形のほうが難しい。
言語の使用者はその言語の複雑さをうまく乗り越えているどころか、彼らは複雑さを生み出している。エスペラント語を話す子供達は、完全に規則的に変化する言語に、不規則変化を持ち込んだのである。
自らの言語を複雑にするのは、外に対する城壁であり、メンバーを示すバッジとして機能する、と言われる事もある。
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series
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