言葉のひと欠片があれば、様々な方法で描写することが出来るが、
分析するべきデータとして、言語を扱うために、
ある程度言葉との距離を置くことは、簡単ではない。
WHERE TIME STAND STILL
The history of Oxford is not a thing of past. Here, time seems to hang as if judged guilty.In Oxford,
people still ride bikes, wear gowns, have servants and live in gothinc buildings.
Walking through the city, passing the crumbling walls of the colleges, it is easy to forget that it is the twentieth century... only the scaffolding gives it away. Apart from this intrusion, Oxford's air of the past remains undistrubed. This should not be altogether surprising since most of the colleges were founded well before the eighteenth century.
(Oxford Handbook 1980-81)
上の文章は、感傷的で歪められた文章であるが、十分に言語データとなり得る。
読解と、分析は違うのである。
まず、英語の音と綴りの一致について述べることが出来る。
ここでは、音韻論(phonology)と書記素論(graphology)システムの調和の欠落である。
書記素論の要素である、"i"には、二つの音韻論の音と対応している。
"time"の/ aɪ/と、"if"の/ɪ/である。
逆に、"i"と"ui"と"y"の三つの書記素論の要素は、同じ音と対応している。
"if guilty"は/ ɪf gɪltɪ/と発音する。
また、語に注目すると、語の内部構造について気づく点があるだろう。
例えば、"-ing"である。
thing building walking passing crumbling scaffolding
"-ing"と、対応する音/ -IN /は明らかに意味の単位である。
しかし、これだけで出現することは無く、必ず他の語などについている。
"build"という動詞につき、"building"という名詞になる。
"walk"という動詞につき、"walking"という現在分詞(present participle)になる。
しかし、"thing"に関しては、"th"という単語が英語には存在しないので、
上記の二つと同じ種類の"-ing"と分類することは出来ない。
これは形態論(morphology)の簡単な考察である。
形態論的な構造だけでなく、語彙の要素として考察することも出来る。
つまり、語彙目録(lexical item)、語彙素(lexemes)としての単語である。
このオックスフォードに関する文章で使われることによって、"gown"という単語は、
辞書のひとつの項目である、「外套」の意味を表し、
可能性の一つであった、「女性用ドレス」という意味を排除している。
そしてこの文章で使われるからこそ、"bike"は"bicycle"の砕けた表現である。
また、ありふれた連語である"time stands still"のようなものと、
一種の言葉遊びである、"time seems to hang as if judged guilty"とを対比させることが出来る。
これは、"hang"、"judge"、"guilty"という裁判に関連付けた駄洒落であって、
"time seems to hang..."の一連から予想されるもの、
例えば、"time seems to hang hevealy on their hands"が続くのだろう、という期待を裏切っている。
語の連続や共依存に関する考察は、
どうやって語が、句や文の構成要素として、統合関係を築くか、という分析に繋がる。
英語統語論(syntax)の例として分析してみる。
In Oxford, people still ride bike.
[ In Oxford, people still ] wear gowns.
[ In Oxford, people still ] have servants.
この文章には目に見える語の連続と、括弧に括られた、隠された構造との違いがある。
また、同じ構造で、異なった語順にすることも出来る。
In Oxford, people ride bikes.
People ride bike in Oxford.
この二つの文章での主語(Subject)は"people"であり、
"bike"が目的語(Object)で、"ride"が述語(Verb)、"in Oxford"が修飾句(Adjunct)である。
上の文はASVO型であり、二番目の文はSVOAである。
SAVO型も考えられるが、これは二つ在り得るだろう。
People, in Oxford, ride bike.
People in Oxford ride bike.
下の文には修飾句の前後にカンマが無いが、
これでは"in Oxford"が"people in oxford"という名詞句として機能するため、
文構造としては、SVO型の文である。
なぜ統語論が、交換可能な句を許容するのか、である。
これは更に他の分析レベルへとつながる。
入れ替えが可能であるということは、その違いに意味が無いということだ。
先日の、例として分析した文の表現は、テクスト(text)と繋がっている。
テクストの一部としての機能は、効率的と思われる方法で情報を組織することである。
Here, time seems to hang as if judged guilty.
"Here"のような繰り返しは、テクストに質感を加え、文と文の結束関係(cohension)を作る。
この表現は、回想である。
私たちは、この文章の前に"Oxford"という表現があり、
この文章との関係性を見出すことで初めて、意味を理解することができる。
テクストとしてのデータ分析をはじめると、様々な点に留意しなければならない。
このテクストはどんな種類のものなのか。ジャンルは何か。
誰が誰に対して書いたのか。
これを書くことの目的は何なのか。
誰の現実について書いてあり、どんな社会的地位、宗教、価値観が反映されているのか。
このような疑問は言語学の域を越え、
社会的背景(context)にまで及び、推測をし始める。
このような分析は、このテクストが何を意味しているかではなく、
筆者がこのテクストで何を意味したかったのか、
読者に対して、どんな意味を持つのかという解釈になる。
これは語用論(pragmatics)の領域である。
異なった領域では異なった言語の特徴に注目する。
同じデータを違うものの証拠として使う。
一般的に行って、扱う単位が大きくなるほど、
テータの抽象化が少なくなり、人々の実際の言語体験と近づいてゆく。
妥当な結果には、それだけ信頼性は減ってゆく。
結局のところ、言語の形を扱う形態論(morphology)は比較的安全だが、
意味を扱う語用論(pragmatics)は、比較的リスクが大きい。
言語学において、音声学者は音について、辞書編纂者は語について、文法学者は文についての疑問から学問の分野が始まる。
この章では、語の形についての研究の素描を述べてゆく。
音声学と音韻論
言語の知識と行為の二分法において、
行為は、幾つかの物理的なメディア、を使用している。
空気の波や、紙の上の記号、電流などがそうである。
話し言葉(spoken utterance)、書き言葉(written utterance)という区別をしているが、
私たちはどうやって言語を知覚しているのか。
音声に関して言えば、私たちは重要な違いのある音だけを区別している。
すべての音声を掬い取り、音声としてではなく音素(phoneme)として知覚している。
無視される、様々な違いのある音声を同じ音素の異音(allophone)という。
音素と言う概念は完全に抽象であり、
異音の存在によってのみ現実のものとなる。
書き言葉に関しても同じである。
紙の上の文字には注目すべき特徴があり、ひとつひとつの歪みを無視して、
抽象概念である書記素(grapheme)として知覚している。
音素や書記素は決して物理世界に出現することは無い。
実際に話され、書かれる音声と文字は行動の構成要素であり、
典型としての音素と書記素は知識の構成要素である。
異音を明らかにし、音声が実際にどのように発音されているかの研究は、
音声学(phonetics)の範囲である。
音素と、それらの音声システム内での関係性に関する研究が、
音韻論(phonology)の範囲である。
ただし、抽象は常に現実の音を根拠に成り、
実際の音は、それが明らかにした抽象に言及することによって成っている。
この二つの学問分野は、本質的に相関している。
まず、音声現象の最小単位は二つある。
母音(vowel)と子音(consonant)である。
先ほど述べたように、これらをどのように発音するかは音声学の範囲であり、
これらがどのように関係性を築き、出現するかは、音韻論の範囲である。
音韻論の記述は、一般の物理的描写の妥当性を認めながら、
音声区分の理想化を定義し、
単語の中での音の分布を定義する、その他の因子の存在を示す。
第三章(04/20)で見たように、/ p /には、気音についての違いが存在する。
これは、音声学的な音声に関する物理的事実であるが、
語と語と区別するような意味のある違いではない。
すなわち、気音を伴う音声と、気音のない音声は、音素/ p /の異音である。
音は、より大きな区分である音節(syllable)へと組織される。
/ pɪt /(Consonant,Vowel,Consonant)、/ spɪt /(CCVC)、/ splɪt /(CCCVC)は一つの音節を構成している。
/ spɪrɪt /(CCV-CVC)は二つの音節からなり、
/ spɪrɪtɪd /(CCV-CV-CVC)は三つの音節からなる。
音節は普通、ひとつの母音を持ち、その前後の子音群からなる。
もちろん母音のみの音節をある。例えば"eye"/ aɪ /は(V)である。
このような音節の構成要素の分配は、言語ごと、方言ごとに異なる。
また音節は、子音ごとの音韻論的特徴に関しての基準となる。
例えば、音節の最後に/ b /は出現しない。
"lamp"は/ lQmp /と発音されるが、
"lamb"は決して/ lQmb /とは発音せずに、/ lQm /になる。
無正音である/ s /は、子音が3つ重なる場合には、必ず音節の先頭に来る。
"string"、"spring"、"sretch"などがそうである。
二番目に出てくるとき("psyche")は"p"が発音されないので、音声は/ s /が先頭。
また、/ kn /という子音の組み合わせは出現しない。
現れるときは、"likeness" / 'laɪknɪs /(CVC-CVC)のように音節の境界をまたぐ。
一つの語に音節が複数存在するとき、
ひとつの音節は、そのほかの音節よりも強調されて発音される。
これがもう一つの音声の現象、強勢(stress)である。
強勢には、現れる場所の選択の自由は無い。
英語では、名詞は最初の音節に強勢があり(PARson, WRITness, WEDding...)、
動詞には二番目の音節に強制がある(inSPIRE, deCIDE, proVOKE...)。
しばしば、強勢の位置で単語の意味を区別することがある。
REcord(noun)-reCORD(verb), REfuse(Noun)-reFUSE(verb)...
この固定された区別は、明らかに語の属性であると言える。
また、話者が言語外の意味を含めて、発話の強勢を調節することがある。
The chairman may resign.
と言う文があったとき、通常はCHAIRmanとreSIGNに強勢がある。
よりCHAIRmanに強勢を置くことで、
「(他は誰も辞任しないだろうが、)その議長は辞職するだろう。」という含みを持たせる。
また、通常強勢を置かないMAYを強く発音することで、
「その議長は辞職するだろう(が、またあるいは、しないかもしれない)。」となる。
このように話者によるの個別の強勢は、超分節的(supersegmentally)に行われる。
そして私たちは、発話において、強勢だけでなく音の高さ(pitch)をよく利用する。
この二つによって独特の抑揚(intonation)がつくられる。
言い方を強くしたいときは、reSIGNに強勢を置き低く発音する。
疑問文にしたいならば、reSIGNの強勢を高く発音する。
また、CHAIRmanの強勢を高く発音することによって、
「なぜ議長が?」という疑問を強調する発話となる。
音声学と音韻論は、個別の音から始まった研究であるが、
音節や語のような、より大きな単位に関する記述も含まれている。
私たちは細かな違いを表すために、強勢や音の高さを使っている。
音声学と音韻論の目的は、音声システムを使って、私たちはどのように無限の意味を創造しているのかを明らかにすることである。
昨日述べたように、
"parson"は二つの音節に分かれる。
"parting"も同様に、二つの音節からなっている。
"parting"は特に、語彙要素としても、二つに分けることが出来る。
第三章(04/22)で見たように、
"walking"、"building"、"passing"など、"-ing"は無数の単語と連結して出現する。
"part"、"walk"、"build"、"pass"などのように、
独立した語として出現できる要素を自立形態素(free morpheme)と言い、
"-ing"のように、そのほかの語彙と結びつき出現する要素を、
付属形態素(bound morpheme)と言う。
では"parson"はどうだろうか。
"par-"で始まる単語は数多くあるが、それ自体に意味は無い。
"par-cel""par-king""par-ticle"など、後ろの語彙を説明することが出来ない。
境界を変更し、"pars-on"と考えても同様に、二つの構成要素に別れることはない。
従って、"parson"は二つの音節で一つの形態素(morpheme)であり、
"parting"は、二つの音節で二つの形態素から成っている事がわかる。
ただし、こんなに単純な説明だけでは終わらない。
"parson"は名詞である。
"parting"は、"the parting of the ways"では名詞であるし、
"They were parting company for good"では現在分詞である。
前者の考えでは、"-ing"は動詞の語彙を名詞にする。
後者の考えでは、"-ing"は一時的に語彙の形を変えただけであり、
動詞の現在形の代わりに、現在の進行相を現している。
形態論には二つの現象がある。派生(derivation)と屈折(inflection)である。
派生は様々な接辞(affix)が語彙や語根に結合することでおこる。
"de-"、"re-"、"un-"、"dis-"のように語根の前につくものを接頭辞(prefix)と言い、
"-able"、"-age"、"-ize"、"-ful"のように後ろに付くものを接尾辞(suffix)と言う。
これらの要素によって、様々な結合による創造を法則化できる。
音と音の結合で語を形成した、音韻論的な結合との違いは、
派生形態論(derivational morphology)は、語彙を作る、意味の結合であることだ。
一方、屈折形態論(inflectional morphology)は、新たな語を作り出さない。
これは主に文の中で行われる現象である。
英語の、動詞の過去形"-(e)d"や、名詞の複数形"-(e)s"がこれにあたる。
屈折形態素は音素と同様に、抽象的なものであり、
音素に異音があるように、実際の現れとしての異形態(allomorph)がある。
例えば、"pert-ed"の発音は/ ɪd /であるが、
"pull-ed"は/ d /で母音がない、さらに"push-ed"は/ t /と無声音化してしまう。
"sleep"にいたれば、"slept"となり、音も綴りも原型と大きく変わってしまっている。
音節と形態素は一致しない、ということは重要である。
特に屈折形態素においては、それが語根と別れた音節として出現しないこともある。
形態論には、二つの研究分野が存在する。
屈折形態論は、やがて意味論へと展開する可能性のある分野であり、
派生形態論は、文の中での単語の役割を研究する統語論(syntax)へ続く。
04 | 2025/05 | 06 |
S | M | T | W | T | F | S |
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