世界でどのような意味が作られているのか。
同じレベルの構成要素の集まりの規則を参考に分析をはじめよう。
屈折的接辞は、二つの形態素を一つに結合させることが出来る。
"come"+(past tense)=came など。
"re-"や"un-"などの派生的接辞は、様々な語彙項目とくっつくことが出来る。
このような形態論的形式の、意味論的説明を試みてきた。
例えば、"unfix"は、"un-fix"として、お互いに分離した表現としての、
二つの意味成分(semantic component)からなると言える。
では、以下のような、一つの形態素からなる同義語をもつ派生語はどうだろうか。
unwell=sick
unhappy=sad
一語でなうならば、例はたくさん見つかる。
unwell=not well
reborn=born again など。
もしも"sick"が"unwell"の一種として捉えられるならば、
"sick"は"unwell"と同様に、二つの意味論的構成要素からなると言える。
もしこの二つの語が、異なる意味成分からなっているとすれば、
全ての語に対しても、同じ意味論成分を持つものは無い、と言えるはずである。
派生的形態素は、基語(stem)と接辞の意味が単純に足されているものではない。
"carefull"は"full of care"であるが、
"careless"は"with less care"ではなく、"with no care"である。
"-able"の接辞は受動態の略であるため、
"eatable"は"able to eat"ではなく"able to be eaten"の意味である。
動作主を表す"-er"の接辞を使った単語、"cooker"は
予想できる意味"a person who cooks"ではなく、"a device for cooking"の意味である。
語源(tymology)の歴史的変化で、基語の個別の意味は消え、接辞と混ざり合っている。
例えば"reckless"は"with no reck"ではない。
なぜなら、英語に、"reck"という名詞としての語彙素が存在しないからである。
逆に、また接辞も、それの意味が単純に加えられている訳ではない。
"re-"は一般に、動作のくりかえし"again"の意味とされるが、
"returen"は"turn again"ではないし、"recall"は"call again"でも無い。
全ての語彙素を、一つまたは複数の意味成分の発信の形であると考えられる。
動詞"return"は[come+back]、[give+back]から構築されている。
"come"は[move-self-towards]であり、対比される"go"は[move-self-away]と分析できる。
また、"give/take"は[move-something-towards/away]と書き出せる。
これらの要素は音の区分に似ている。
音声の最小対(minimal pair)である"come"/ kʌm /と"gum"/ gʌm /と同様に、
意味の最小対としての"come"[movement+here]と"go"[movement+there]である。
このような成分分析(componental analysis)で、
語彙の中に記号として存在する気味論的特徴を書き出し一覧にすることが出来る。
当然、結果は多量で複雑で混乱を招くものとなるだろう。
成分分析の基本的な目的は、ある特定の概念のカテゴリーや、
特定の要素を含んだ表現に見られる、意味論的法則を調べることである。
それは、"come"と"go"で問題となった「方角」から、
「過程」、「場所」、「所有」、「状態」、「容積」、「因果関係」などである。
これらを利用することによって、
語彙素の、字面通りの明示的意味(denotation)から、
語彙素の間に存在する意味関係(sense relation)へと話を深めてゆくことが出来る。
同じレベルの構成要素の集まりの規則を参考に分析をはじめよう。
屈折的接辞は、二つの形態素を一つに結合させることが出来る。
"come"+(past tense)=came など。
"re-"や"un-"などの派生的接辞は、様々な語彙項目とくっつくことが出来る。
このような形態論的形式の、意味論的説明を試みてきた。
例えば、"unfix"は、"un-fix"として、お互いに分離した表現としての、
二つの意味成分(semantic component)からなると言える。
では、以下のような、一つの形態素からなる同義語をもつ派生語はどうだろうか。
unwell=sick
unhappy=sad
一語でなうならば、例はたくさん見つかる。
unwell=not well
reborn=born again など。
もしも"sick"が"unwell"の一種として捉えられるならば、
"sick"は"unwell"と同様に、二つの意味論的構成要素からなると言える。
もしこの二つの語が、異なる意味成分からなっているとすれば、
全ての語に対しても、同じ意味論成分を持つものは無い、と言えるはずである。
派生的形態素は、基語(stem)と接辞の意味が単純に足されているものではない。
"carefull"は"full of care"であるが、
"careless"は"with less care"ではなく、"with no care"である。
"-able"の接辞は受動態の略であるため、
"eatable"は"able to eat"ではなく"able to be eaten"の意味である。
動作主を表す"-er"の接辞を使った単語、"cooker"は
予想できる意味"a person who cooks"ではなく、"a device for cooking"の意味である。
語源(tymology)の歴史的変化で、基語の個別の意味は消え、接辞と混ざり合っている。
例えば"reckless"は"with no reck"ではない。
なぜなら、英語に、"reck"という名詞としての語彙素が存在しないからである。
逆に、また接辞も、それの意味が単純に加えられている訳ではない。
"re-"は一般に、動作のくりかえし"again"の意味とされるが、
"returen"は"turn again"ではないし、"recall"は"call again"でも無い。
全ての語彙素を、一つまたは複数の意味成分の発信の形であると考えられる。
動詞"return"は[come+back]、[give+back]から構築されている。
"come"は[move-self-towards]であり、対比される"go"は[move-self-away]と分析できる。
また、"give/take"は[move-something-towards/away]と書き出せる。
これらの要素は音の区分に似ている。
音声の最小対(minimal pair)である"come"/ kʌm /と"gum"/ gʌm /と同様に、
意味の最小対としての"come"[movement+here]と"go"[movement+there]である。
このような成分分析(componental analysis)で、
語彙の中に記号として存在する気味論的特徴を書き出し一覧にすることが出来る。
当然、結果は多量で複雑で混乱を招くものとなるだろう。
成分分析の基本的な目的は、ある特定の概念のカテゴリーや、
特定の要素を含んだ表現に見られる、意味論的法則を調べることである。
それは、"come"と"go"で問題となった「方角」から、
「過程」、「場所」、「所有」、「状態」、「容積」、「因果関係」などである。
これらを利用することによって、
語彙素の、字面通りの明示的意味(denotation)から、
語彙素の間に存在する意味関係(sense relation)へと話を深めてゆくことが出来る。
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