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前の参照についての話しでは、ある情報を聞き手が既に知っているという話し手の仮定という考えを訴えた。既知であると扱われているために、そのような情報は一般的に言及されないし、それ故に、言われていることよりも多く伝えられている部分として数えられる。専門用語では前提と含意といい、情報の異なる2つの側面を描写している。
注目すべきは、かつて前提と含意は、いまよりも語用論の中心として捉えられてきたことである。昨今のアプローチでは、前提と含意のような、現象を論理的に分析する専門的な議論への興味が少なくなってきてる。この分析的な議論の紹介無く、現代の意味論と語用論の発展の関係を理解するのは難しい。この章は見ることができる意味のいくつかの側面の分析におけるいくつかの問題を通して、この考え方の過程を説明する。では用語の定義から始めよう。

前提(presupposition)は話し手がかつ忘る時に最優先であると仮定するものだ。文章ではなく、話し手が、前提を持っている。含意(entailment)は、発話の中で断言されたことに論理的についてくるものだ。話し手ではなく、文章が、含意している。
私たちは、例1の発話にくみこまれた、潜在的な仮の情報を同定することができる。

例1
Mary's brother bought three horses.

この発話するとき、話し手は普通、メアリーと呼ばれる人は存在して、兄弟がいるという前提を期待する。話し手は、もっと特定の前提、メアリーは1人だけ兄弟がいる、そして彼はお金持ちだというような前提を持つかもしれない。これらの前提は、話し手のもので、実際と異なる事もある。例1の文章が含意しているのは、メアリーの兄弟は何かを買い、メアリーの兄弟は動物を買い、メアリーの兄弟は2頭の馬を買い、メアリーの兄弟は1頭の馬を買った、など同じような論理的な結論がたくさんある。話されて伝えられたことに関わらず、これら含意は、文章からでてくるものである。しかしその論理的性質から、含意は、一般的に現代の語用論では議論されない。前提の話し手に依存した気づきんほうがよく議論される。

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