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 ダルメストテールとハッツフェルドによる辞書によると、
言語学とは、「諸言語の科学的研究」とある。
言語学以前の研究と、言語学を区別する上で「科学的」という言葉は重要である。
では、言語学以前とは何なのか。
それは3つの段階に分かれる。

1つ目は、文法である。
古代にギリシャ人が発明してから、そのまま受け継がれた考えで、
哲学的要素もなく、理論への関心である。
全ての言語活動は、正しい言語活動と、正しくない言語活動に分類された。
言語を俯瞰的に捉える視点が欠如している。

2つ目の段階は古典文献学である。
批判的な精神でテクストに向かうという、新たな原理をもたらした。
文献学において言語は、文献学に含まれる様々な対象の一部に過ぎなかったが、
「正しさ」から解放され、ある程度の歴史観を得る事が出来た。
しかし、文献学の専らの関心は、言語に含まれる膨大な情報であり、
言語そのものへの関心とは異なっていた。

3つ目は、比較言語学。特に印欧語研究である。
これは、地理的に離れた諸言語の関係性を暴き、センセーショナルな研究であった。
諸言語を包括する言語族の存在を明らかにし、
特に印欧語族の学者は、その諸言語の比較にどんな意味があるのかも知らずに、
ゲームのように多くの論文を書いていった。
文献学に対抗し、言語に対しての関心であった事は評価出来るが、
純粋にさまざまな言語を比較するだけであった。
しかし、後のロマンス語派の研究が、言語学の本当の対象を知らしめた。
印欧語と違い、ロマンス語には、ラテン語と言う原型(プロトタイプ)が存在した。
そして、文献によって、その変容の歴史を数世紀にわたり追う事が出来た。
全ての諸言語を平面的に観察していた印欧語研究には、歴史的視点が欠けていた。
歴史的な視点は、言語と言語のつながりを明らかにした。

文献学にも、比較言語学にも存在する大きな過ちは、
話し言葉と、書き言葉の区別をしていない事である。
言語学の素材は、人間の言語のあらゆる変異である。
時代や地域の優劣は存在しない。
そしてあらゆる時代の言語を知る為に、言語学は必然的に、書き言葉を扱う。
しかし、真の対象は話し言葉であり、
書き言葉は、話し言葉の入れ物、外装である。

言語学の目的は、諸言語全ての歴史を追う事である。
そして、歴史から、最も一般的な法則を引き出す必要がある。
一般法法則と、個別的な法則は、区別しなければならない。

言語学は、一般文化に関わる研究に分類される。
テクストを扱う全ての学問に、言語学は貢献する。
特徴的な人間性の一部としての言語への関心は、専門家だけのものではない。
言語に関する叙述は多くの過ちと幻想、妄想を生み出してきた。
言語学が、この過ちを修正するのである。

参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
  『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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