第2章 言語記号の本質
言語記号(仏 signe linguistique)は、主体の中の心的な部分での、概念とイメージの結びつきである。
より心的な概念と、感覚的なモノとしての聴覚イメージ。
言語には名称のリストしかない、という考え方は間違っているが、言語を捉える出発点としては正しい。
名称 arbos(ラテン語)
対象は、主体と名前の外にある。
名前は、発声によるものとも、頭の中の聴覚イメージとも捉える事が出来る。
一方で、主体の中には、概念としての木と、聴覚イメージとしての"arbos"が存在する。
聴覚イメージは、概念とは異なり、頭の中で発声せずに再生する事が出来る。映像と同じモノ、イメージとして存在しているのである。
注意すべき用語をあげておく。
音素(仏 phonème)は、発声行為を意味する用語であるので、言語の説明にこれを用い居るべきではない。
また、音声イメージと聴覚イメージの違いも気をつけなければならない。
記号というものが、聴覚イメージを指すのか、聴覚イメージと概念の結合を指すのか明確には答えられないが、この概念とイメージを区別する事は重要である。
重要な原理1。言語記号は恣意的(仏 arbitraire)である。
恣意的とは、個人の自由を意味しているのではなく、記号と概念の結びつきの、根拠の無さを指す。
「しまい」は「姉妹」の概念と関係がない。「うし」は「牛」の概念と関係がない。
同様に、siという音と、「し」という文字表記が結びつく根拠は無い。
記号論にとってこの私意性は重要な前提であり、記号とシンボルを区別する。記号論の対象は、恣意的な記号である。
弁護士徽章のシンボル「天秤」は概念「公正」と深い結びつきがある。
言語は、その概念と聴覚イメージの結びつきが恣意的であるからこそ、継承のみに根拠があり、力によって意図的に変更する事が難しいのである。
ここで、「イメージ」と言う表現の考察が必要である。「イメージ」は、常にそれが表現するものと結びついている。
ここではこの言葉を、想像力に働きかけて、何かを呼び起こすものとして考える。
恣意性に関して擬音語(仏 onomatopées)の問題がある。
擬音語の内的な結びつきをどう扱えば良いのか。
人々が擬音語を語るとき、かなりの数量の誇張が入る。普通の語と同じように振る舞う、それらの語を、特別に語る事がある。
感嘆詞に関しても、恣意的な結びつきがあるように見えるが、多くのものは、意味をもつ単語が変化したものである。
擬音語と感嘆詞に関しては、付随的と考え、別の場で議論する必要がある。
重要な原理2。言語記号は一次元的な広がりをもつ。
鎖のように、口から時間的線状性を保って現れる言語は、それ故に分節を設定する事が出来る。言語に層は無い。
例えば、強勢アクセントは、言語の上に付加されるもの様に考えられるが、実際は、並列する他の要素との関係で成り立つ、同次元の現象である。
聴覚的線状性故に、言語を空間的なかたちとして再現出来るのである。文字は一本の線である。
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007
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