言語活動は、2つにわかれる。発話と、言語である。
さらに、以下の2つの区別も必要である。
言語能力を行使する事。この時の道具は言語である。
そして、その道具としての言語の記号システムを、個人が使用する事。
重要なのは以下の言語の性質である。
1、言語は、対象として言語活動から分離出来る。
言語のイメージと言語の概念が結びつく、心理部の中に存在する言語は、言語能力、発声器官、話者と分離した存在である。
言語能力があっても、言語を学習しなければいけないし、発声器官を痛めても頭の中に言語は存在する。話者が居なくなっても、紙の上には言語の機構が残っている。
2、言語はそれだけで研究対象となる。
3、言語は限りなく心理的なものであるから、均質である。
4、言語は、実在として存在て居る。
筋肉の動きや空気の振動等、様々な要因による発話と違い、言語は、聴覚イメージだけに変換される。
様々な心理的な現象のように、頭の中に確かな現実として存在する。
言語は、頭の中に貯蔵されているので、それだけを取り出して研究する事が可能である。
辞書や文法は、それらを取り出した形として適切である。
言語から、不要なものをそぎ落としてゆけば、記号と概念の結びつきに帰着する。
心理学の一分野得ある記号学(仏 sémiologie)の重要な言語現象は、音声言語をはじめ、文字表記、海上記号(モールス信号)、聾唖者の言語(手話)が含まれる。
人間社会のひとつの記号的事象として、研究される。
言語の研究は常に個人の発話から出発する。
無限の個人の発話から合意を導きだし、それが言語となる。言語は、個人の発話の後である。
言語は、発話機能から生み出されるものなので、それからは分離して語られる。
言語を、言語活動にとって本質的で本源的と捉える事は、その他を、下部として見る事である。
海上記号に対する発信器、曲に対する演奏者、言語に対する音韻論(仏 phonologie)の対象は、副次的なものである。実践は、本質ではない。
音声学(仏 phonologie)は生理学であり、言語学ではない。
では音声学(仏 phonétique)はどうか。時間による語形の変化は、本質から切り離してよいのか。
実際には、音声学上の変化なぞ、存在し無いのである。音の置き換えであって、言語システムの変化ではない。
従って、言語は音声とは分離したところで語られる。
言語活動の出発点は言語である。
保留点。
発話と言語を簡単に分離する事は出来ない。
文法的な語形の変化は言語であるし、個人的な語順の選択は発話に属する。
無限の個人から抜き出した、社会的言語を、また、個人が使用する事に関して問題が生じる。
社会的決まり事と、個人にゆだねられる部分の境界は曖昧で、それは、社会と個人、実践と知識が混ざり合う構文(仏 syntaxe)の中にある。
このように、無数の個人的発話無しに言語は生じない。与えられた言語を通してでしか、言語を捉える事は出来ない。
これから、その言語を、与えられた全ての言語に当てはまるように、出来るだけ一般化するのである。
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007
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