前回あげた、文法学者による発音の記述と、印欧語研究による資料の他にも、文字表記から音韻システムを引き出す手がかりは存在する。
まずは、同じ音に当てられた異なる書記法の存在である。つまり、表記の揺れ。
古ゲルマン語での'zehan(10)'と、'wazer(水)'の'z'は同じものであるのか。
'zehan'は'cehan'と表記される事もあったが、'wazer'は決して'wacer'とは表記されなかった。
そして、詩に残された音律システムである。
英語での'make'や'tale'などの語末の無声の'e'の価値は、14世紀にはどうだったのだろうか。
時代を代表する英国の詩人チョーサーは、'tale'を二音節として数えている。
他にも、古フランス語の詩では、'faz'と'gras'で韻を踏んでいるのが見られる。この'z'と's'は似たような音であった事がわかる。
加えて、ラテン語の'a'からきた'e'('mer(海)'、'cher(親愛な)'、 'telle(そのような)')と、その他の'e'('vert(緑の)'、'elle(彼女)')は決して韻を踏まない。
このことから、文字表記では混同されている発音の違いが明らかになった。
ほかにも言葉遊びが資料となりうる。
文字表記が、言葉を正確に書き表しているのであるなどと思ってはいけない。
これらの曖昧で不正確な文字表記とは別に、音声を書き表す記号体系の整備が望まれる。
その前に、音声学(仏 phonétique)と音韻論(仏 phonologie)の区別をしなければならない。
音声においてどんな要素を記述すべきが十分に分からない段階で、文字体系は得られない。
(音韻論の成立はソシュール以後であるため、現在一般的に用いられる音声学と音韻論の区別は、ソシュールにはあてはまらない。現代でも、フランス語において'phonétique'と'phonologie'が混同される場合が少なくない。)
'phonétique'(小林秀夫訳「音韻論」、丸山圭三郎訳「史的音声学」、影浦峡訳「音声学」)
言語の音の、時間や地理的要因による変遷を扱う、進化音声学(仏 phonétique évolutive)であって、言語学の範囲内にある。
言語に使われている音を識別、分類することに重要なのは、聴覚の印象であって、それは、分析不可能である。
'phonologie'(小林秀夫訳「音声学」、立川健二、影浦峡訳「音韻論」)
人間の発する音声を分析し、普遍的な音のシステムを組み立てる、音声生理学(独 Lautphysiologie)であり、言語学ではない。
分析不可能な聴覚印象を除外し、分析可能な発声の仕組み、肉体のメカニズムを合理的にシステマティックに研究する。
どのように音を作るかは、どのように音が聞こえるかとは関係がない。
しかし、phonologieの出発点は聴覚印象である。
一連の音声の流れの中に、分節を見つけ、出発点としての単位を刻むには、それしか手がかりがないからである。
聴覚印象による節(tempo)の認識がなければ、phonologieでは、'fal'を一体いくつに区切れば良いのか分からないだろう。
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007
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