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長い間人々が定住してきた地域を考えるならば、もっと大きな言語というカテゴリーでも、方言と同様に語ることが出来る。

まず、一連の言語に引かれる等言語素の境界が存在する。
例えばインド・ヨーロッパ語族では、、西部の言語(ギリシャ語、ラテン語、ケルト語、ゲルマン語)の硬音のkは、東部の(スラヴ語、イラン語、インド語派)では歯擦音sとなる。
これは遥か昔のも前の出来事で、かつてひとつだった印欧語が、この要素によって二つに別れたとされている。
それ以上細かい分化はもっと最近に起こったことである。

そして、本来的に、言語の境界が存在しないことである。
人間の移動がなければ、諸要素の境界線はあっても、言語の境界は存在しない。
不可分なA言語とB言語があり、その間がグレーゾーンとして、過渡的なものであるという認識は間違っている。
全てが過渡的である。
5a0cfe59.jpeg(管理人のイメージ)

しかし実際には、境界を生み出すものがある。それが人間の移動である。
ゲルマン語、スラヴ語、イラン語、ゲルマン語、イタリック語、ギリシャ語は、鎖のようにお互いを結びつけることが出来る。
しかし、そのほかに比べて、スラブ語とゲルマン語の類縁性は弱い。
だからといって、スラヴ語とゲルマン語の過渡的な固有言語が存在しなかったと考えるのは誤りである。
その地域の方言が、失われてしまったと考えるべきである。
その原因が、両民族の移動である。
陸続きのある地域の両端に住む人々が、互いに中央に移住すれば、境界ができる。
そして過渡的な方言が無くなってしまう。

文語や公用語もまた、方言を弱くし言語の境界を著しくする原因でもある。

参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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