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語用論のくず箱
言語研究の長い歴史の中で、しばしば数学や論理に由来する、形式的な分析のシステムへの強い関心があった。重要視されたのは、言語の非常に奥深くにある抽象的な規則を発見する事であった。言語学者や言語哲学者たちは、抽象的で、潜在的で、普遍的な言語の特徴に対する探求を中心におき、彼らの日常的な言語使用のノートを机の端に追いやった。机の上がいっぱいになるにつれ、これらの普通に使われている言語のノートは、追い出されついにゴミ箱行きとなった。ゴミ箱から溢れ出るものが、次のページで語られることの源となっていく。ゴミ箱の中身は、もともとひとつのカテゴリーに整理されていたものではない。形式的システムの分析では簡単に扱えなかったものとして、消極的に定義された。それ故に、我々がゴミ箱から引っ張りだしてきた材料を理解するためには、どうやってここにたどり着いたかを、調査する必要がある。
言語学者や言語哲学者は、言語の構造の分析に専念した。例4を考えてください。

例4
The duck ran up on to Mary and licked her.
(そのアヒルはメアリーに駆け上り、彼女をなめた)

統語論的アプローチでは、この文章は正しい構造を定義するルールに従い、間違った配列はない。間違った配列とは、例えば"Up duck Mary to the ran"のようなものだ。また、統語論的分析は、動詞"licked"の前に消された要素を示す事を求め("and _ licked her")、その空の項目を許容する、あるいはその場所での代名詞"it"が受け入れられる規則について詳しく述べる事を求める。しかしこれらの統語論での研究では、アヒルはそんなことしないし、これはおそらく犬の事をいいたかったのではないか、というような主張はまったく見当違いである。加えて、純粋な統語論的視点では、"The bottle of ketchup ran up to Mary.(ケチャップの瓶がメアリーに駆け上った。)"のような文章も、例4と同様に正しく組み立てられているのだ。
しかし、意味論的側面では、テーマとあるだろう。「アヒル」と表示された存在は、動物(animate)という意味上の特徴があるのに対して、「ケチャップの瓶」は非動物(non-animate)である。「駆け上がった(ran up on)」のような動詞は主語に動物を求めるので、「アヒル」は良いが、「ケチャップの瓶」はだめだ。
意味論は、文章の中で述べられた命題の真理条件も扱う。これらの命題は一般に、シンプルな節の基礎的で文字通りの意味と一致し、慣例的に、p、q、rの文字で置き換えられる。それでは、"The duck ran up on to Mary "をの命題をp、"The duck licked Mary."の命題をqとして、表現された意味の関係を見てみよう。この2つの命題は、&(ampersand)と呼ばれる論理的接続のシンボルで結びつけられる。そして、例4の文章の命題は、例5のように置き換えられる。

例5
p & q

もしpが真であれば、qも真であり、p & qも真である。もしpとqどちらか一方が真でなかったら、必然的に、p & q のつながりも偽である。このような分析は形式的意味論で広く用いられている。
残念な事に、このような分析では、p & q が真であっても、論理的に、q & p が真であるとはならない。この場合、 q & p は例6のように表現されるはずである。

例6
The duck lisked Mary and ran up to her.

毎日の言語使用では、例4で記述されているような状況のと、例6での事柄の状態は一致しない。記述された2つの事柄の連続があり、その連続は、出来事の観点から、言及される順番に反映されていると期待する。
もしpがある行動を含み、qが他の行動を含む場合、私たちは、"and"の接続を論理的な&ではなく、"and then"のように連続する表現として解釈する圧倒的な傾向がある。これは、言われている事より多くが伝えられているという他の例である。習慣的な言語使用の原理を例7のように提案するかもしれない。

例7
Interpret order of mention as a reflection of order of occurrence.
(発言の順番を、物事の順番の反映と解釈する)

例7で表現されている事は、統語論や意味論の規則ではない。まったく規則ではない。私たちが聞き、読んだものの意味を理解するためによく使う、語用論の原理である。しかし適用できないような状況では、それを無視できる。以降の本の中では、このような原則はたくさんある。チャプター2では、最も単純な原理、「2人の話者が共通項を持っていればいるほど、身近なものを認識するのに、より少ない言語を使う」から始めよう。この原理は、物理的に共有された文脈で、"this"とか"that"を頻繁に使うことの原因を説明する。例えば、「これとそれどっちが良い?」のような表現だ。直示(deixis)の研究での使用で、この基本的な様相を吟味しよう。

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