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規則性

幸運にも、言語を使うとき、人々は全く規則的に振る舞う傾向がある。これらの規則性は、人々が社会的集団のメンバーであり、その中で期待されている規範的な振る舞いに従っている、という事実に由来する。普通、親しんだ社会的集団の中では、礼儀正しく振る舞い、適切なことを言うのは簡単である。新しく、なじみの無い社会では、何を言うべきか分からず、間違った事を言うのではないかという不安の感じる。
はじめてサウジアラビアに住んだとき、私は、アラビア語での「調子はどう?」のような健康状態に対しての質問に、「うん。」「元気。」のような慣れ親しんだ答えと同じ答えを言う傾向があった。しかし、結局私は、そのような質問に対して、人々は「神を称えよ」という意味のフレーズで応えていることに気がついた。私は、文脈の中で語用論的に適切でありたいと思い、新しい表現をすぐに習得しだ。最初の私の返事は、語彙も発音も、間違いではない。しかし、その態度は、私が予期せぬ方法で返事をする社会的部外者である事を意味していた。つまり、言葉よりも多くの物が、伝わえられたのである。社会の構成員がどのように使っているかの語用論も学ばずに、ある言語の言語学的形式を習得していた、ということを、はじめ、私は知らなかった。
その他の言語使用の規則性のもとは、そのコミュニティーの構成員の多くが似たような世界の経験をしており、非言語的知識を共有しているという事実に、由来する。会話の中で、例2のようなことを私が言ったとしよう。

例2
古い自転車が倒れているのを見つけた。チェーンはさびて、タイヤは空気が抜けていた。

なんで、チーェンやタイヤのことを急に言うんだと、君は聞いたりしないだろう。もしXが自転車であるならXはチェーンとタイヤ(そしてたくさんの部品)があると、君が推測と仮定できる。このような前提があることにより、例3のような表現は語用論的におかしいだろう。

例3
古い自転車が倒れているのを見つけた。自転車というものには、チェーンがある。その自転車のチェーンはさびていた。自転車というものには、タイヤがある。そしてその自転車のタイヤは空気が抜けていた。

君はきっと、言葉よりも多く伝えられているものを感じる、知識の無い馬鹿なやつとして扱われているように感じるだろう。もう一度言うが、言語学的形式に、間違ったところはひとつもない。語用論的誤りが不愉快にさせているのだろう。
これらの規則性のタイプは、ほとんどの言語学的分析で無視されてきた、言語使用での非常に単純な例で記述されている。通常の言語使用の規則性や、たくさんの他の状況を研究することが、なぜ語用論の領域となったかを理解するためには、現在のような状態にどうやってなったのか、少し歴史的な視点が必要である。

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