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まず、言語について考えてみる。
言語習得とは、人間という種に備わっている能力であるということが出来る。
子供は勝手に、教えもしない言葉を覚えてくるし、
すべての日本語サンプルを知らなくても、日本語を話すことが出来るようになるし、
一般的な状態で育った健常な人であれば、みな一様に母語を話せるようになる。
そのことから以下のようにまとめることが出来る。
Ⅰ 種に特有で一様である。
Ⅱ 訓練が不要である。
Ⅲ 一定の時期までにほぼ完成する。
Ⅳ 質・量の限られた資料に基づいて実現される。
Ⅴ 個体差がない。

失語症とは、脳機能の退行であるという考え方がある。
ヤコブソンの退行の仮説は、
子供のときに習得した音韻の弁別素性の階層関係が崩れ、
音韻対立が中和されることで、失語症を説明している。
実際に、/ l /と/ r /の区別ができなくなった英語話者を例としてあげている。
グロジンスキーの退行の仮説は、
蓄積された文法構造の知識が崩れ、
言語習得初期段階の文法へと萎縮することで、失語症を説明している。

両者は音韻と文法で、扱っている分野は異なるが、
失語症とは、正常に持っていた言葉を失った状態であるという認識が一致している。
両者の問題はそこにある。
もし、言語知識が未習得、習得初期まで遡ってしまうならば、
「言葉がうまくしゃべれない」
「子供のような話し方しか出来ない」
というような自分の言語運用の不都合の認識(病識)がないはずであるが、
これらの発言は、軽度の失語症患者たちが頻繁に主張することである。

言語障害とは、自転車が壊れた為に運転できない、という状態ではない。
自転車は正常でなんら問題もないが、
運転者の技術不足によって、うまく走れない状態である。
失語症も調音障害も、頭の中の言語に問題があるのではなく、運用面の不都合によるものである。

機能語が欠如した言葉を話す患者に、
本人が話したものをそのまま筆写したものを見せると、
どこがどう間違っているのか、すべて正しく補充することが出来る。
脳を損傷する前に持っていた知識を、正常に保持していると考えなければ、
この現象は説明できない。

「失語症とは、大脳皮質の気質的病変によって生ずる認知能力の低下(統合力の低下)をかばいながら言語活動を営む一種のストラテジーである。」

参考文献
久保田正人 『ことばは壊れない 失語症の言語学』 開拓社 2007


狭い範囲の症例(比較的軽度で、頑張って意思疎通出来るぐらいの患者さん)を根拠に、あまりにも断定的なことが書いてあったので過信はできない…という感じの本でした。
ヤコブソンの話はまだ何も勉強していないです。
なるべく早く音声学のところで書きます。

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