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言語学は伝統的に、
文脈のある実際の使用例から、
言語コードの形式的な性質を抽出するような、理想化に基づいている。
同時に、
大量の多様な言語行動(パロール、又は言語運用)の基礎となる、
比較的安定した言語知識(ラング、又は言語能力)を見つけようとする。

このような抽象化には理由がある。
一つは、実践的な実現可能性に関する理由である。
言語行為の実現は、重要な一般化によって捉えるには、
あまりにも漠然としているため、このような方法で理想化するのが慣習である。
二つ目は、理論的妥当性に関する理由である。
これはチョムスキーの、言語運用‐言語能力の理論の基となっている。
この立場では、捉え難さからではなく、
大して理論的な関心が生じないので、実際の言語行動を無視する。
それらは本質的な人間言語の性質の、信頼できる証拠にはならない。
近年、この言語学領域に関する形式論者の定義は、
このように、実現可能性と妥当性の観点から提唱されている。

実現可能性を考慮する限り、
行為のデータが体系的な価値に、抵抗しないことが実証された。
行為には二つの側面がある。
一つは、心理学的な側面である。
どのように言語知識が利用手段の為に組織されているか、
習得と使用において、その利用手段は何なのか、に関するものである。
これは心理言語学(psycholinguistics)の主題である。
二つ目は、社会学的な一面である。
言語知識の利用手段は、何らかの伝達上の必要性によったものであるのか、
適切な言語使用のための、何らかの社会的文脈によるものなのか。
これらの適切さのための様相は、具体的に述べることが出来、
第五章の語用論の議論の中で、部分的に実証された。
言語記号と社会的文脈の関係性は、社会言語学(sociolinguistics)の仕事である。

心理言語学の利用手段の過程の働きと、社会言語学の適切な様相での働きは、
体系的に研究される行為の側面が存在し、
厳密な疑問は、高度な形式的言語学で提唱されるような、
抽象に依存しないことを証明している。
つまり、心理言語学と社会言語学は、正当な言語学の領域の範囲内にも存在する言語に関して、言わなければならないことがある。
このような意見は、寛大で隣人らしいものだ。
私たちはそのそれぞれの正当性に依って、異なる言語研究の領域を仕切っている。

妥当性に関して、形式論者の研究方法への挑戦は、まったく異なっている。
それは、まったく、寛大でも隣人らしくもない。
同じ領域の権利を主張する、競い合いの問題である。
それは、範囲設定の問題ではなく、定義の問題である。
それは形式論者と反対に、機能論者(functionalist)の研究方法である。
彼らの主張は、言語を抽象的な形式に変化させ、言語の研究そのものを減らす。
なぜならば、そうすることによって、
本当に重要な全てのものについて、考察から削除し、
人々の実際の言語経験と、救いようのないほどに、距離を置いてしまう。
言語は本質的に、安定し、良く定義された認知の構造ではなく、
本来動的で不安定な、情報伝達の様相である。
私たちが、形式の伝達機能で、形式を組織している限り、形式は重要で意味がある。
このような理由で、唯一妥当な言語学は、機能言語学(functional linguistics)である。

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