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言語を愛する人々にとって、急速に言語が死んでゆくのはとてもつらい。
世界の言語の約半分の、話者数が1万人をきっており、21世紀の終わりには、現在ある90%の言語が死滅するだろうと言われている。
もう10人にも満たない、1人や2人しか話す事が出来ない言語もある。その話者が死ねば、言語も死ぬ。
 
なぜ言語が死ぬのか。
簡単な答えは、言語が次世代に伝わらないまま、年老いた話者が死ぬからである。
なぜ、自分たちの伝統と言語を次世代に伝えようとしないのだろうか。理由は、場所によって様々である。
インドのシュラング(Sulung)の人々は、もう1000人以下に減ってしまったが、隣の部族の侵攻によって移住を余儀なくされている。
もしも、彼らが全滅させられてしまったら、彼らの言語も無くなってしまう。
 
驚くべき事に、新しい言語もまだ、見つかっている。
1991年、ヒマラヤで、古語として知られるGongduk語が発見された。これは、言語学者にとっては伝説の楽園の発見のようであった。
加えてブラジルの奥地では、既知の言語とは似ても似つかない複数の言語が発見されている。
しかし言語の発見は稀なことであり、言語の減少が圧倒的である。
 
地の果てでなくても、高い山や急な谷底、道路のない場所など、地理的な障壁が言語をまもる事がある。
イースター島のラパヌイ語(Rapanui)話者の例である。
約1500年程孤立しており、19世紀にはスペインによって、奴隷としてアフリカに出荷された。
島に戻ってきたのは少数で、現在は1000人程の人が、スペイン語と対面しながらもラパイヌ語を話し続けている。
 
30年前、ブラジルで、牧場主と違法の木材伐採者によって、Jiahui族の人々が敵対する部族の土地へと追い立てられた。
残った少数のJiahui族の人々は、友好関係のある部族の中や、都市へと逃げた。
現在、Jiahui族の人々が自分たちの土地の返還を求めているが、もう50人しか残っていないのである。
 
ブラジルのマト・グロッソ州のRikbatsá族の人々の例はどうだろうか。
彼らは宣教師に歯向かう優秀な戦士であったが、彼らが欧州から持ち込んだ、インフルエンザと天然痘への免疫が無かった。
こられの病気はRikbatsá族と他の先住民の多くを、彼らの言語と一緒に死なせたのであった。
 
もしくは、殺し屋言語(killer language)と呼ばれる英語やスペイン語の勢力によって、人々が、便宜上、実利上の理由により、自ら望んで母語を放棄する事がある。
土着の人々はしばしば、差別にを乗り越え、多数派の文化に同化する為に、自分たち言語を捨てる。
子供たちが少数派の言語を学ばなくなれば、言語はゆっくりと消えてゆくのである。
 
なぜ私たちは言語の減少を気に病むのか。
それは、言語と一緒に受け継がれた知識、思考の世界が丸ごと無くなるからである。しばしばそれは、自然や動物の絶滅と比較される。
確かに、消えた言語は残された断片の研究により再構築が可能であるし、いくつかの言語は再構築なされている。
しかし結局それは紙の上でことであり、その言語を話していた社会、文化や伝承を知る事は出来ないのである。言語が一度消えてしまったら、もう、永遠に元通りにはできない。
 
世界的な言語の減少についての議題が急浮上したのは、わずか20年前である。
さまざまな機関が、言語の多様性を守る為に設立された。アメリカとイギリスは、減少中の言語の調査と維持のサポートに献身的であった。
現在はユネスコの危機言語プロジェクトがあり、またロンドン大学には危機言語科が設置された。
 
Christoer Moseley, "24 Why do language die?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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1977年に宇宙へ送り出されたボイジャー宇宙探査機には、宇宙人が人間の言語のサンプルとして聴けるように、55言語の短い挨拶が録音されている。
それには英語も含まれているが、それは、どんな種類の英語だろうか。
 
私たちみんなが文章を理解する事ができ、母国語の他に、まぁ適度に話す言葉が出来るような言語として、英語を捉えているだろうか。
英語は簡単なアルファベットで表記するし、主要な文法や語彙は広く知られている。
しかし様々な言語と同様に、英語には土地柄があり、イギリス式とアメリカ式の2つの種類が統治している。好敵手であるこの2つの英語は、世界統治の為に、磨きをかけられ洗練されてきた。
 
ある文脈では、アメリカ英語がトップである。
イギリス英語から派生した多くの方言の一つが、母体であるイギリス英語と、圧倒しないまでも、競争するまでになった。
アメリカ英語はどのようにしてその地位まで登り詰めたのか。アメリカ英語は、正当性では無く、権力によって優位を手に入れたのである。
英国は帝政時代に、世界に英語が広がる程の信頼を得た。しかし、文化と経済の皇帝であるアメリカは、自身の方言を最前部まで押し上げてきた。
19世紀のニューヨークでは、波止場に並ぶ人たちが、みんな英国の小説家であるディケンズの連載を読んでいるのがわかる。
現在は、ロンドンのレスター・スクウェアでハリウッドの第ヒット作の初日公開を待っている人たちの列を見る事が出来る。
 
アメリカ英語は数の勝負では勝ったが、イギリス英語は、血統として純粋な言語であると考えられる傾向がある。イギリスの英語は最高の品質を保持していると。
イギリス人は、アメリカ独立宣言の署名のインクが乾く前から、自分たちの言語の、その他の方言に対する優位性を主張してきた。
一方アメリカ人は、世界の英語の標準を伝えるものとして、アメリカ英語はどの方言にも劣らず価値があると、熱烈に主張している。
 
正典に関しては、イギリス英語は、アメリカ英語が決して手にする事が出来ないものを持っている。
ジェイムズ王欽定訳聖書と、シェイクスピアのロマンティックで高度に抽象的な詩、それから19世紀の作家たちのすばらしい伝統作品である。
イギリス英語のすばらしい実績にも関わらず、アメリカ人は、英語に貢献する素振りも見せない。アメリカ英語は最初から我が道を行っているのである。
20世紀のアメリカ人作家がこのように述べている。
「なぜ、私たちの言葉はイギリスからの借り物にすぎないなんかという、妙な意識がまだ残っているのだろうか。まるで、傷一つなく返さなければならない銅のヤカンのように。」
 
もちろんイギリス人はアメリカ英語の独立と刷新に関して異なる見解を持っている。
「アメリカ人は、昔の人々が、道しるべにも成り得る価値ある植物を考慮せず、森を切り開いて進んだように、言語を切り倒しながら進む事を決めたのだ。」
 
質と量の問題はさておき、この2つの方言の未来はどうなっているのだろうか。
しかし、英語の未来を決める切り札を持っているのは、イギリス人でもアメリカ人でもなく、英語を第二言語または外国語として学ぶ人々なのである。
この第三のグループは直ぐに、英語のネイティブスピーカーの数を凌ぐだろう。
そしてこれらの人々は、英語に対して、ブランドを求めていない。使える英語を求めているのである。
2000年に、中国での鉄工技術者達の英語指導者として、イギリス人でもアメリカ人でもない、ベルギー人が採用された。
これは、ネイティブではないベルギー人は、英語を学ぶ苦労を知っていると考えたからである。
 
英語の2大ブランドの最盛期は終わったのだ。
21世紀に英語に求められるものは、第二言語として英語を話す数100万の人々のニーズに応えられる能力である。
 
さて、宇宙に放たれたレコードをひろった宇宙人は、ロンドンよりかは、フロリダ州のケープ・カナベラル(ケネディー宇宙センター所在)に住むと思われる、女子学生の声を聞くだろう。
"Greetngs from the children of Earth."と。
 
Orin Hargraes, "18 Is British English the best English?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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自然に消えた言語がある。
一時代の皇帝として君臨した言語、ヒッタイト語は、サーベルタイガーと同じ道を歩んだ。
アメリカシロヅルのように、世界の言語の多くが、希少で生にしがみついている。これらを保護する事はとても多くの努力を要するが、しかし可能である。
 
チェロッキー語(Cherokee)は、3,40年前に、それを母語として学ぶ子供達の数が急激に減少し次の世代では無くなってしまう程であった。
しかし、オクラホマ州タレクア の未就学の子供達を対象にしたクラスでは、チェロッキー語による絵本の読み聞かせが行われている。このクラスでは、チェロッキー語のみが使われている。
彼らが3年生になる頃には、流暢なチェロッキー語話者となっているはずある。
 
幼児の時から高レベルな話者を育てる徹底したプログラムは、アメリカとカナダに住むモーホーク族(Mohawk)の人々、モンタナ州のブラックフット族(Blackfoot)の人々、そしてワイオミング州のアラパホー族(arapaho)の人々などさまざまなネイティブ・アメリカンの部族で行われている。
 
このような計画の問題点に、露出問題と呼ばれるものがある。
簡単に言えば、言語を聴いた事も見た事も無いのに学ぶと言うものである。危機言語の学習者が流暢な話者となるには、言語と触れる機会が少なすぎる。
成功した古語の再生計画には、この問題への、伝統的で革新的な解法が存在する。
アイルランドで復興したゲール語(Gaelic)、ニュージーランドの公用語となったマオリ語(Maori)、そして、再生されるまでは何世紀も宗教的な目的にのみ使用されてきたイスラエルの公用語、ヘブライ語(Hebrew)がある。
 
言語復興を続け実現する事は長い年月がかかるが、この20年程で、国際的な運動となった。
アメリカ合衆国での1990年と1992年のthe Native American Language Act、国際連合のユネスコなどの様々な機構と、the Engangered language Foundや、the foundmental for Endangered Language、The Hans Rausing Endangered Language Projectなどの学会が理想を掲げている。
アフリカでは、エイズに関する本が、土着の言語で書かれている。
アマゾンの熱帯雨林に住むヤノマモ族(Yanomama)の人々は、健康衛生に関して自分たちの言語で書かれた本で学んでいる。
シベリアの学校の先生は、ロシアとオランダから来た言語学者の指導を受けて、子供達に現地の言語を教える。
 
少しでも話者が存在するところで、そして言語を残そうといする土地では、人々は危機に瀕する言語を記録し、分析し、使用しようと働きかけている。
成人の話者が少ししかいないコミュニティーでは、言語を学ぶ若者はなるべくその人達の長い時間を過ごし、日々の仕事をその言語で行う。
もう何年もその言語が話されていない地域では、言語研究者が、聖書と儀式の言葉から口語のヘブライ語を再構築したように、古文書や口承の歴史物語を用いる。
言語復興の試みは複合文化でも用いられている。例えば、アメリカのジョージア州とサウスカロライナ州で話されている、英語とアフリカの言語のクレオール語であるガラ語(Gullah)である。
アメリカでは、アリゾナ州、ハワイ州、カンザス州、ニューメキシコ州、オクラホマ州の大学で土着の言語が教えられている。
これらの努力は、運命に逆らい、言語の消滅をせき止める希望である。
 
言語学者のケン・ヘールは言語の消滅を「博物館に爆弾を落とす」ことであると言っている。言語が消えると、文化と、知識と、財産と芸術作品が破壊される。
現在存在する言語のほとんどが、22世紀には残っていないだろうという観察に基づく提言がある。私たちが危機に瀕する言語の心配をするのは、これが理由である。
 
Akira Y. yamada, "25 Can a threatened language be saved?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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大人になっても新しい言語を学ぶ事が出来るだろうか。
子供の学習よりもとても難しいのではないだろうか。
学習する為の策略があるのだろうか。
 
もし、16歳を過ぎてから新しい言語を学ぼうとするのであれば、大人の言語学習と子供の言語学習はまったく異なることを知っておくと良い。
 
言語学習に大変手間取る時、大人達はとても子供達を羨ましく思う。
子供達は、遊んでいる間に、目立った努力も無く、聞いた単語と句と文を吸収し、言語を、世界の一部として学ぶ。言語を学ぶ事は、人生の始めの、とても面白い24時間の仕事なのである。
 
忘れてはいけない事は、このスポンジのような言語吸収の能力をもってしても、子供達は数千時間もの間、言語を修得するために使い続けるのである。
普通は、子供らしい言葉遣いから抜けるのには、10年以上の時間がかかる。
大人達は普通、そんな多くの時間を割く事が出来ないが、それでも、言語を習得出来ないわけではない。
大人は子供達よりも優位な点が2つある。
1つは、言語の要素を、子供達よりも素早く、認識し、分析し、解釈する事ができることである。
もう1つは、大人は既に言語を1つ知っているので、母語を成す音、単語、文法を新しい言語にも適応出来ることである。ゼロからのスタートではないのだ。
 
英語に無い発音が出てきても、例えば巻き舌やngから始まる単語、それらの発音を優先して力を入れる事が出来る。
そしてほとんどの発音が、知っている音であるだろう。
 
または、新しい言語が英語と異なる語順を持っていても、それを理解し修得出来ない程に、英語と異なっている事は無い。
パズルのように、文法を理解する能力は年齢とともに上がるのだ。
 
外国語の語彙を学ぶには、否応無く、様々な文脈にある、多くの単語に触れなければならない。しかし大人達は、段階を踏んで学んでいるので、単語と単語の結びつきが、とてもうまく理解出来る。
大人は接頭辞も接尾辞も理解出来るし、新しい言語での接辞の役割も理解出来る。
それに大人達は、良い教師、良い教科書、学術的な指南を手がかりに、知識、経験、そして、新しい言語に関して何を知っていて、何が母語と異なるのかを認識する為の
母語と何が異なるかに注目すれば、学習を楽に出来る。
 
反対に、その他の言語の要素は、連続した、繰り返しの言語体験による学習が必要になる。
意識が緩んで解釈や文型を気にしていない時、意識的な努力なしに、言語の情報を分類しカテゴライズする事が出来る。
このような無意識な学習を、暗黙の学習(implicit learning)といい、それで獲得される言語の性質は、教科書に載っていないし、教師による説明もない。
事実、文法や文型や語彙のリストを注視するよりも、外国語でテレビやラジオを聞いた方が、有効である事がある。
 
この暗黙の学習と、明白な学習(explicit learning)を合わせれば、もっと効果的に素早く、新しい言語の知識を積み上げる事が出来るだろう。
もちろん、言語学習は知識を蓄積するだけではいけない。会話も作文も外国語の理解も、ピアノと同じ、実践あるのみである。
実践は、つまり、まさに大人の感情である羞恥心や、出来ない事を人前でする不安を乗り越えなければならない。
まだ出来かけの言語能力で話しかけ、間違える事から学び、そして、あなたの外国語能力が伸び続けるのである。
 
19世紀の中頃まで、言語学習の授業はとてもつまらなかった。語彙を暗記し、母語で文法を説明し、耐えられる限界まで翻訳し続けるだけであった。
それから多くの事を学び、1970年代から、認知言語学と応用言語学を適用した、新しい第二言語獲得のための学問が出現した。
そのおかげで、現在私たちは、どの言語の要素に関して暗黙の学種が有効であるか、言語を聞き続ける事によってどれが一番身に付くかが、だんだん分かってきた。
このような疑問の答えが調査を通して分かってくるに従って、言語の教授法は改善され続けれ居るし、以前よりも生ジンンの言語学習は良くなっている。
もしもあなたが、単一言語話者ならば、そのような悲しい状態を続ける理由は無い。
単一の言語を話す事は、矯正する事ができる。
 
Katherine Sprang, "29 Can monolingualism be cured?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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大学で4年間語学を勉強したのに、まったく話せるようにならなかったというのは、大人の語学クラスで良くある事である。
なぜ、みんなそうなのだろうか。
私たちの頭が悪いのか、語学に向いていないのか、それとも先生が悪いのか。
 
まず、会話について述べよう。
外国語で、ネイティブスピーカーと一緒に会話をする事は、実際世界的な問題となっている。
それは、彼らが話している事の文化的文脈が理解出来ると言う確信と、彼らが自分を理解する為に、自分の考えや感情を伝える事が出来るという確信が必要である。
会話は、ネイティブスピーカーと会う事が無くても上達するような、読解の知識や聞き取り能力とは、全く異なる問題である。
 
外国語を流暢に話す事は、IQや学力の問題ではない。ちゃんとした教育を受けずに、いくつもの言語を話せる人はたくさん居る。
年齢の問題でもない。子供たちだけが言語を習得出来るという考えは、あまりにも悲観的である。
現代語文学学会は、「早すぎる事は無い、遅すぎる事も無い」と主張している。
確かに子供達は、新しい言語の中にいる時は、かなり早く言語を習得するが、それが、大人の学習に勝るとは言えない。大人は、認識の面で優位に立っており、学校での教育を受けているのだ。
 
ひどいフランス語なまりの英語を話す『ピンクパンサー』のクルーゾー警部のような話者にはなりたくないだろう。
言語は単純な、単語や句の組み合わせではない。情報伝達には複雑なシステムが存在する。
数週間で語学をマスター出来るなどと言う広告に惑わされてはいけない。
言語を修得するのにはとても時間がかかるし、母語に似ていない言語ならばもっと時間がかかる。
通常の、大学における四年間の語学学習では、200時間かそれ以下の学習時間が設定されている。
しかし、アメリカ政府の実力志向の語学学校では、すべての授業の最低600時間は、その言語に接している。そして、英語とは少し離れた言語、中国語や韓国語や日本語やアラビア語を修得する為には、フランス語やスペイン語の倍以上の時間がかかる。
 
以上のような時間的な問題に加えて、さらに2つの事柄が必要である。
その言語を話す人々との長い共同作業と、何が話されているかを理解する為の言語学的な手がかりである。
語学学習の為に外国に行っても、一ヶ月や一年では十分ではない。
突然アメリカに来て英語を学ぼうとする人は、"Wutchagonnado?"と言われて困惑するだろうが、いつか、それが"What are you going to do?"である事を理解する。
これは、聞き慣れていない言語を聞いた時、全ての人が体験することであろう。このような一連の音声を分かるようになるには、どうすればよいのか。
「全身浸礼」以外では、自分の国に居る、目標言語のネイティブスピーカーの会話を盗み聞きすると良いだろう。
彼らは、私たちに文法や、なぜそんな言い方をするのかを教えてくれないし、もっとも、知らないだろう。説明が無いと、学習は無秩序で非効率的になる。
 
思春期を過ぎると、ほとんどの人達が、音声の聞き取りや文構造の理解、文化的文脈の理解の為の枠組みを知る為に、教室での享受を必要とする。
認識の枠組みを勉強しない大人は、しばしば、不快な流暢さが残ってしまう。単語やスピードに問題が無く、正しい発音をしていても、文法がしばしば不適切で、そして単語の使い方に対して文化的な感性がない。
かれらはクルーゾー警部のような高原状態(プラトー)に陥り、上達も低下もしない状態で止まってしまうのである。
 
大人の語学学習には、留学に行く前に、学術的な確立された知識を得た方がよいが、教室で学ぶだけでは不十分である。
もし語学の授業を受けて、数年後に、何を学んだかまったく覚えていなかったら、それは、第2ステップを省いたからである。それは、その言語で話をする事である。
自分の国でも出来るし、夏休みの研修や、キャンプや、身近なネイティブスピーカーと話す事も出来ただろう。インターネットで海外のニュースを読んだり、聞いたりも出来る。読書も、ラジオも、映画でも、音楽を何回も聞く事も良い。
新しい技術のおかげでネイティブスピーカーと関わる事も出来る。これらはとても強い動機付けになるだろう。
外国語の一定の能力が身に付けば、その能力が、言語の流暢さを保つには十分の、動機を与えてくれるだろう。
 
Nina Garret, "30 What does it take to learn a language well?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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言語学が大好きな一般人のブログです。 過去の記事は、軌跡として残しておきます。
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