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「言語を習得する唯一の方法は、留学する事だ」という言葉を良く聞く。
それは厳密には真実ではない。
海外に行けば、自動的に言葉を覚えられるようになると思っているのならば、それは全く間違いである。
言語を習得するには必ず努力が必要である。
2、3年海外で過ごした人も、自国に戻ってくれば単一言語話者に戻ってしまうというのは、私たちがよく目にする現実である。

言語習得の方法はさまざまで、留学が良いと言うのは、その準備から考慮されているのである。
話されてい言語の予備知識もなく留学するのは、混乱するだけで、効果がない。
留学の準備は人によって様々だが、一般的には、学校での勉強が一番良いであろう。
現地での、語学教室も良い。
教室で知識を得た後に、街や飲み屋やその他のコミュニティーで、練習の場として、言語を使うのが良い。

留学の一番の優れた点は、文化的文脈の中の言語を体験出来ることである。
無菌状態の教室で習った単語やフレーズが、一服中やサッカーの試合中の母語話者と言語体験により、生きた言語となり、しばしば意味が変わってくる。
しかし、気をつけなければ行けない事は、ホームシックにつけ込んでくる、私たちの母語を学びたいと思っている現地人である。
留学先で母語を話す事は、出来るだけ避けなければならない。

スペインに留学した友人の体験がある。
彼女は「全身浸礼」を実践した。
彼女はスペインに行ったあと、英語を全く話さなかった。
英語話者のコミュニティーには決して属さず、スペインのテレビ番組を見て、スペインの映画を見て、46時中スペイン語で考えスペイン語を話した。
最初は片言のスペイン語を話していた彼女も、半年後には、かなりのスペイン語上級者となる事が出来たのである。

留学初期は、言われている事を理解するのに精一杯で疲労するだろう。
言語習得が目的ならば、言語的孤立を試すと良い。
母語での生活を極力避け、現地人のコミュニティーに所属する。

様々な支援団体によって、留学のプログラムが組まれている。
注目するべき事は、最終的な目的が言語学習である事、そして、それにふさわしい現地の環境が整えられている事。しっかりと計画された言語教室があるのか、現地の人々と接する機会があるのか。
もしも読み書きや、その他の能力を高めたい時は、また別の学術的なプログラムへの参加が必要である。
留学から戻ってきた人は、たいてい、現地での言語習得や異文化体験に熱狂的になり、そして、自国文化に対しての新しい視点を披露するだろう。
留学それ自体は決して、言語習得の要ではないが、文法的な学習や全身浸礼と組み合わせる事によって、本領を発揮する。

参考文献
Sheri Spaine Long, "Why study languages abroad?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
原文は英語話者に対して書かれていたので、だいぶ表現を変えました。

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"Wherefore art thou Romeo?"
シェイクスピアの代表作『ロミオとジュリエット』で、バルコニーからジュリエットが、真下に居るロミオに語りかける。 
"wherefore"はどこ(where)ではなく、なぜ(why)の意味である。
時を経てこのような単語はなくなってしまった。
もちろん、当時は"blog"のような新しい単語も存在していない。

言語は、雲のように絶え間なく変化する。
昨日見た雲が、まだ今日も空に浮かんでいたり、明日も見れるような事は、とても不自然である。同じように、言語も常に変化するように出来ている。

英語ではしばしば発音と表記が一致しない。
'name'はかつてnah-muhと発音されていた。それが、語末の'e'を発音しなくなり、'a'が二重母音になったことで、現在のようにnaymと発音されるようになった。

発音だけではない。文法も変化した。
千年程前の英語では、動詞は文末に置かれていた。
そして、代名詞も変わった。
かつては目の前にいる人たちの事を、'you'の前身である'thou'であらわし、格言などの一般的な呼びかけを表す時は、'man'を用いていた。
現在はどちらも''you'である。

言語が変化する事は、多くの別の言語を生む原因でもある。
もしも言語が変化しなかったのであれば、私たちは、アフリカで生まれた時のままの、単一の言語を使っていただろう。
しかし私たちは、各地に散らばり新たな土地で新たな言語の形式を採用した。
中国語の声調、アフリカの言語の吸着音や、概念、単数形複数形など違いを生み出す結果となった。

言語が、永遠に全く変わらぬ姿を保っているものは、唯一、印刷である。
誰にも話されず、本に書かれたものしか存在していないラテン語を、私たちは死語と見なしている。
しかし、教室で学ばれているラテン語は、決して死ぬことのない言語の一つの段階である。ラテン語は、フランス語やスペイン語、イタリア語へと、形を変えていっただけである。

人間の短い人生では、その変化は誤りと認識される。
フランスが国家として成立する以前、その土地の官僚や学者達はラテン語を話していた。彼らの周りで話される初期のフランス語は、Fランク(出来の悪い)のラテン語であったという。
いわゆる若者言葉である。
それらの差は、古典英語と現代英語と、同じ過程なのである。

参考文献
John McWhoeter, "7 Why do languages change?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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旧約聖書のエデンの園の話によると、アダムは人間として完全な姿でつくられた。もちろん、言語を話すの力も持っている。
アダムの最初の仕事は、全ての動物達に名前を与える事であった。
イブは、口の達者な蛇に唆されて、知恵の実を食べた。
では、それはどんな言葉だったのだろうか。
アダムとイブが話した言葉は、蛇の言葉、そして神の言葉と同じであったと考えられる。

もちろん、英語や中国語のような、今ある言語ではないだろう。
人間は5万年以上前に言語を話せる肉体をもって生まれた。
文字は約5000年前に現れているが、その数千年の間だけでもずっと、アダムの言語は変化し続けているのである。
したがって、現在存在している言語が、エデンの言語であるはずがない。

上に述べた考えは近代のものであって、近代以前、特にキリスト教の初期から、宗教改革までは、アダムの話していた「唯一の言語(lingua adamica)」はまだ存在すると考えられていた。
もっとも有力な候補がヘブライ語であった。
理由はもちろん、旧約聖書が書かれた言語である事だ。
4世紀の聖ヒエロニムスの言う事には、ノアの子孫は、バベルの塔の建設に参加せずに居たので、神に罰せられることはなかった。
(バベルの塔ーノアの大洪水後、人々が築き始めた天に達するような高塔。神は人間の自己神格化の傲慢を憎み、人々の言葉を混乱させ、その工事を中止させたという。『広辞苑』より引用)
従って、原初の言語は未だ残っている。
聖アウグスティヌスやその他の神父たちはその話を信じ、アダムとイブの言葉がヘブライ語であるという説は、その後1000年も語り継がれていった。
皮肉なのが、それを、中世の学者達が、ラテン語で真剣に議論していた事だ。

ルネサンスによる民族主義の熱がまだ冷めない16、17世紀には、この話題が盛んに取り上げられた。
アダムの言語が、意味を知らなくても理解する事が出来る、完全な言語であると考えられるようになると、さまざまな国が同様な主張をするようになった。
自分たちの言語が完璧である、と。
ドイツを始め、オランダ、フラマン、ケルト、バスク、ハンガリー、ポーランド、スウェーデンの人々が、聖書と絡め自国語の神聖性を解いた。
ヘブライ語はドイツ語から派生したという人も出てきた。

18、19世紀になると、宗教と結びついた哲学が下火になり、原初の言語への興味も薄くなっていった。
単語と物の間にな必然的な結びつきはなく、人間の共同体によって作られる言語は、神によって与えられてものではないと考えられるようになった。
ヨーロッパの学者の、様々な言語の比較によって、言語同士の関係や時間による変化が分かってきた。
インド・ヨーロッパ語が発見されたが、学者達はそれを原初の言語だとは言わなかった。
原初まで言語の過去を遡る事は、不可能ではないにしても、甚だ難しい。
こうして、唯一の言語の探求は終焉を迎えた。

参考文献
E. M. Rickerson, "6 What language did Adam and Eve speak?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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子供の言語習得は、喃語(赤ちゃん言葉)を話す以前から始まっている。
胎児が子宮の中で既に、音に対して反応することは明らかであるし、彼らは体内で母親の会話を始終聞いて、生まれたときには母親の声を聞き分けることができる。
最初、言葉はただの音の連続であろうが、子供たちは言語を学ぶ準備が整えられた状態で生まれてくるのである。

生まれてから5ヶ月半もすると、彼らはごちゃごちゃとした音の中から単語を見つけるようになる。一番最初は自分の名前である。
彼らはストレスを手がかりに単語を区別する。例えば、ービングとアットの違い。
もう少したつと、同じストレスの違う単語を区別できるようになる。例えば、ービングとウィルソンの違い。
その次は、他のよく聞く単語を覚える。例えば、ママやパパである。
それらが、音の塊を解読する支えとなる。
(外国語の学習初期も同じような現象が起こる。)
生後6ヶ月には、自分の名前の後ろに続く単語を、認識できるようになると言われている。

単語を認識することができたら次は意味である。
6ヶ月までに、子供は、「ママ」が、自分の母親を指し、他の女の人は含まないと言うことを理解する。「パパ」に関しても同様である。
語彙が増えるにつれて、意味の習得はかなり複雑になってゆく。
しかし、子供は生後12ヶ月までに、単語を物の名前として解釈してゆく。

単語を認識し、いくつかの意味を覚えてくると、次はどのように語が結びついて文章となるかを学び始める。
やっと話し始めるようになる12ヶ月頃には、子供はもうすでに、数百もの単語を理解しているのである。
生後18ヶ月には、5~6単語の文章を理解できるようになっている。

テレビ画面を左右二つに区切り、左の画面には「クッキーモンスターがビッグバードを抱いている」映像を写し、右側には「ビッグバードがクッキーモンスターを抱いている」映像を映す。
それを子供に見せ、「クッキーモンスターを抱いているビッグバードのはどっち?」とたずねる。
すると、まだ話せない子供たちの多くが、右の画面に視線を移すのである。

何もできない子供たちは、まるでスポンジのように言語を吸収してゆく。
彼らは、両親よりも上手く、言語を習得しているのである。

参考文献
Roberta Michnick Golinkoff, Kathryn Hirsh-Pasek, "13 How do babies learn their mother tongue?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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世界には多くの文字が存在する。
左から右へ、右から左へ書くものもあれば、上から下へ、下から上へ書くことさえもあり、形状も様々である。
話し言葉と違い、書き言葉の始まりはよく分かっている。
石に刻まれた最古の文字がまだ存在しているの。

文字の発見は、社会がある程度複雑になれば、必然的に起こる。
小さな村では問題ないが、大きな町となると、誰が何をしたか把握できない。実際問題として、納税の記録が必要になる。
ある所では、縄の結び目で、他の町では楔の刻印や、絵を用いている。

文字の発見にもうひとつ重要なことは、話し言葉の、音の成分である。
アルファベットが読めない人が、英単語を、子音と母音に分解することは難しい。
ひとつの音節で出来た単語を、絵(文字)で書きあらわすと、絵として書き難いものの名前に含まれる同じ音を、作った絵(文字)で書き表すことが出来る。

最古の文字は5000年前のメソポタミアで生まれ、もう死語となった、シュメール語を記すために用いられた。
4000年前には、それとはまったく異なる文字が、中国語の先祖を書き記すために作られた。
紀元後4世紀ごろに、中央アメリカでマヤ語のための文字が発明されたが、それは数百年後に、マヤ文明と共に滅んでしまった。
従って、現存する書き言葉の全てが、中国か、古代イラクに還元される。

文字は、非常に便利なものなので、一度発見すると、ほとんどの人々はそれを採用しようとする。
日本語が漢字で表記されるようになったように、メソポタミアでは、さまざまな言語に、シュメール文字が採用されていった。
その過程で文字は様々に形を変え、エジプトの神殿や墓石に書かれるような神聖文字にも影響を与えた。
フェニキア人によってシュメール文字は、原材料となり、アブジャド(abjad)となった。
アブジャドとは、子音しか書き表さない文字体系のことで、子音と母音を一文字ずつで書き表すアルファベット(alphabet)や、基本的に子音だけを書き表し例外的に母音を書き加えるアブギダ(abugida)のもとなった。

ヨーロッパや北半球をはじめ、オセアニアや東南アジアなど、世界には数百種類のアブジャドがあると言われている。
下はソロモン諸島の11文字から、上はカンボジアのクメールアブギダ74文字まで、様々なアブジャドが存在している。
どのアブジャドも、帰る所はみな同じ地中海の古代フェニキアである。

フェニキア人は、偶然にも、アブジャドをギリシャに持ち込み、ギリシャ人はそれをエトルリアを通り、ローマへと持ち込んだ。
そこで、今日まで保たれるあの文字の形になったのである。
他のギリシャ人は東ヨーロッパにアブジャドをもたらし、キリル文字となった。
一見まったく異なる文字体系に思えるが、アラム語やインド語にも、フェニキアのアブジャドが引き継がれていった。

文字は、人間と人間社会の基本的な特徴であるが、世界中で見られる訳ではない。
半数以上の言語が、文字体系を持っていない。
しかし、時代は変わり、それらの言語も、冒険家や言語学者たちによってもたらされた文字で書かれるようになった。
ほとんどがローマ字である。

文字がなかったら私たちはどうなっていただろうか。
文字は言語と人間の歴史の重要な要素である。
文字がなくても、歴史は存在できるのだろうか。

参考文献
Peter T. Daniels, "10 Where did writing come from?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
アブジャド』、『アブギダ』---Wikipedia

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