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言語の事で戦うということは、ありふれた事である。
なぜ、人々は、違う言葉を話す人たちに対して武器を手にとるほど、言語に執着するのだろうか。何年も続く緊張状態を生じさせる言語とは、一体何なのか。
答えは、言語と民族アイデンティティーとの親密な関係にある。
 
英語を話す人たちは、一つの言語を話すということが普通であるように考えているだろう。フランスにはフランス語、日本には日本語があり、言語と国の一対一の関係があると考えがちである。
しかし、世界には7000の言語が存在すると言われているにも関わらず、国家の数は200程しかない。そして、言語は民族と一緒に存在している事が多い。
多言語国家、多民族国家がかなりの数存在しているのである。
日本のような、ほとんどの国民が日本語を話す国は極端であり、反対側の端は、インドやナイジェリアのような、400近い言語と民族が共存している国家である。
 
多くの地域では、異なる言語をもつ人々がお互いに、影響し合い、特に問題なく過ごしている。
しかし、時には、緊張状態にある地域で完全な衝突が勃発することがある。
多くの場合、言語の対立には、社会や文化、宗教、国境、政権の違いが関わっている。
 
言語の対立は時に暴動や戦争、集団虐殺にまで過激化する場合がある。
1971年のバングラディッシュのパキスタンからの独立の際、ベンガル語話者の蜂起として始まった闘争が、9ヶ月間の独立戦争へとエスカレートし、結果300万人以上が死亡した。
 
現在は、継続した緊張常置と、時々起こる暴動による衝突が見られる。
スリランカでは、多数派であるシンハラ語話者からの独立を願うタミル語話者の反抗が続いている。
そして、スペインでの「バスク祖国と自由(ETA: Euskdi ta Aslatasuna)」の、バスク人国家建設を目指すテロリズムなどがある。
 
言語の対立が、いつも暴動につながる訳ではない。
カナダのケベック州には、隣接する州と対立するように、フランス語話者が集中している。
そして、歴史的に、少数派の英語話者が力を持っている為に、フランス語話者が脅威を感じているのである。
 
1977年に、ケベック州は英語の使用を制限する事で、フランス語の立場を守ろうとした。たとえば、公的な文書への署名はフランス語に限る等。
しかし、この法案が、英語話者の怒りを買った。
 
この問題はカナダ最高裁判所にまで持ち込まれ、結局、公平で的確だと思われる方法で和解した。
英語話者は、英語だけの署名を続ける事は出来ないが、法律も、フランス語だけでの署名を求める事は出来ない。いかなる言語も、フランス語と併記し署名する事が出来る。
 
この署名を巡る騒動は、全ての市民の言語権を守ることになった。
しかし、対立が収まった訳ではなく、ケベック州の独立を願う声も多い。それでもまだ叶っていないのである。
 
言語の衝突に限らず、闘争は存亡に関わる。
言語は人間の一部で、強い仲間意識を与える。同じように、異なる言語を話す人々への、強い敵対心も与える。
もしも、誰かが私たちの言語に対して攻撃を仕掛けてきたら、私たちは自分が攻撃されたと、思うのである。ひとつの言語を差別すれば、その言語を話す人間を差別するようになる。
 
参考文献
Paul B. Garrett, "19 Why do people fight over language?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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いつ、どのようにして言語が使われるようになったのか。
一番はじめの言語は何だったのか。
このような質問には、かつて流行していた超自然的な返答が簡単である。
言語は人間に与えられた天からの贈り物で、アダムとイブが誕生し、エデンの園で暮らしていた時から持っている能力である。
 
18、19世紀になると、歴史言語学(historic linguistics)が発展した。
学者達は現存する言語の相互関係を研究し、数千年も遡り、言語を分類する類縁の言語の樹形図をつくった。
 
多くの場合、この言語の系統は、今は存在しない祖語に行き着く。
歴史言語学者たちは、現存する言語から死語を再構築し、復元する方法を発展させ、その方法が、数千年前の言語に関して有効な結論を与えれくれると信じていた。
もっと昔の言語さえも復元出来ると考える学者もいた。
多くの学者は、一万年以上繰り返し分裂した言語は、変わりすぎて、その方法では導けないだろうと考えている。現在の人間言語は、その何倍も変化し続けているのである。
 
結局歴史言語学では。言語を使えない原初の人間と、今の私たちのようなしゃべり好きとの間の溝はうまらなかった。
言語の登場初期に、人々は何を話していたのか。
19世紀の初め、動物の鳴き声や自然の音の真似声から、発話へと発展したんだと言う主張がなされた。
しかし、その推測を裏付ける証拠は見つからなかった。
人々はそれらに、「わんわん説」、「ゴンゴン説」とちゃかした名前を付けて馬鹿にしていた。
それから何十年もの間、言語の起源は遅れた分野となっていた。
 
20世紀の後ろ25年で、様々な知識人達大勢が、この問題に夢中になった。
 
化石と人工物の研究をする古生物学(paleontology)によって、原始の人間達の年代学(chronology)が進歩し、どの時代に人間の言語が出現したかに関する議論が盛んになっている。
初めて道具を使用した、200万年前のヒトなのか、解剖学的に現代の人間の祖先とされる、5万年前の人なのか。
 
他の学問領域に置いても、人間言語の起源に関心が向いていいる。
心理学は、どのように幼児が言語を習得するのかという問題に集中的に取り組んでいる。
霊長類学(primotology)の分野では、猿達がどれぐらい人間言語を習得出来るかという巧妙な実験を開発している。
神経学(neurology)と解剖学(anatomy)の研究では、どれほど、人間言語が肉体によって進化し制限されているかを明らかにしている。
 
特に、解剖学者達は、人間が、音声を生成するのに適した声道と、それらを操作する適した緻密な組織がなければ、言語活動は不可能であると主張している。
現代の人間と他の動物の物理的な違いは、人間の喉頭が低い事である。
人間の言語能力は、呼吸や咀嚼、嚥下するためにつくられた体内のシステムから与えられた、おまけではない。喉頭の降下により咽頭や口も変化し、喉が詰まり易くなるという不利を被っている。
人間は、牛飲馬食が出来ない変わりに、話すことが出来るのである。
 
このような多くの学問領域に関わる努力も、原初の言語の再構築に関しては、有効ではなさそうである。
しかし、20世紀末の興味深い調査によると、原初の文法に関しては、知る事が出来そうである。
この数百年のあいだに、ヨーロッパ諸国といわゆる第三世界との接触によって、新しい言語が誕生している。
植民地や、奴隷たちの間で話されていた、様々な言語のごちゃ混ぜのピジン語が、クレオール言語へと育っていった。
スリナム、ハイチ、ハワイ、パプアニューギニアなど、遠くはなれた、全く語彙の重ならないようなクレオール諸語が、似たような文法体系を持っているのである。
人間の脳は、特定のパターンの発話をするように組み込まれているのではないかと、主張されている。
これが、原初の言語の仕組みについての手がかりとなりうるだろう。
 
Barry Hilton, "4 What was the original lanhuage?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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ひとつの言語しか話さない人ならば、自分が普通で、複数の言語を話せる人が例外で少数派だと考えるだろう。
しかし、実際は、世界の4分の3の人口が、二言語話者(bilingual)もしくは多言語話者(multilingual)である。
単一言語話者(monolingual)が、少数派なのである。
 
もちろん、それと二言語使用能力(bilingualism)とは、また別の問題である。
全てのバイリンガルが2つの言語を同レベルに話せる訳ではない。
9.11事件後、アメリカ政府が行った、英語とアラビア語のバイリンガルに関する調査では、一方の言語が日常生活には不十分であったり、両方とも流暢に話せても文字が書けなかったりする人々が居た。
 
どのようにしてバイリンガルになるのだろうか。
まず、家庭内が二言語環境である事がある。両親が子供達に対して、異なる言語を話すのである。
そして、言語学者が付加的バイリンガル(additive bilingual)と呼ぶ状況がある。
大きくなってから、学校で新たに言語を学んだり、幼いときに外国へ移住する等である。
 
バイリンガルの能力はどんどん減ってゆくもので、例えば、海外に移住した場合には、第一言語が置き換わってしまうこともある。
これを減法バイリンガル(subtractive bilingual)と言い、移民の家族に多く見られる。
例えばベトナムからアメリカに来た人が、だんだんベトナム語が話せなくなってゆき、英語話者となることである。
ベトナム語を話さなくなった、そのあとに、ベトナム語を話せるようになるには、きちんとした学習が必要になる。
 
親達は、子供が異なる言語に晒されて、混乱する事を恐れるかもしれないが、心配は要らない。
子供の言語習得は大人達の心配事となるが、家庭で二言語を使用する長所は、すべての短所に勝る。
子供達の言語の切り替え能力は非常に高く、すぐに2つの言語を適切に習得してしまう。
 
もともとの母国語を、子供達にも覚えてほしいと願う移民の親は、特別に働きかけをしなくてはならない。
少数派のエスニック言語を、学校で学ぶ機会はほとんどないので、いくつかの移民コミュニティーが語学教室を開催し、子供達に教えている。
子供のときにバイリンガルであっても、生涯バイリンガルであるとは限らない。
 
二言語使用能力はバイリンガル教育とは異なる。
バイリンガル教育は、様々な教科のなかの一種類として、学校で英語を教える試みである。
このプログラムはいくつかの理由から、頻繁に論争の的となっている。
 
近年では、二重の言語教育(dual language education)が人気で、有効だと考えられている。。
これは、単一言語話者である子供達を対象に、二言語で学校教育を行い、付加的バイリンガルを育てようとするものである。
多数言語と少数言語の共存する地域で、どちらの話者も一緒に参加出来る授業となっている。
 
もちろん、新しい言語圏への移民達が現地の言語を学ぶべき重要な理由がある。しかし、母国語を使い続けるべき重要な理由もある。
かれらは、新しい言語の習得に熱中し、母語を保ち続ける事に気が向かなくなるだろう。
しかし、両方の言語に長けた、本当のバイリンガルは社会で非常に有利である。両方の文化に所属し、境界のない世界への架け橋となる事が出来る。
私たちには、そのような人材をもっとたくさん育てる方法が必要である。
 
参考文献
Dora Johnson, "20 What does it mean to be bilingual"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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*近年の英文の傾向では、一般的に、"deaf"は耳の聞こえない人を指し、"Deaf"は手話を使用する耳の聞こえない人たちのコミュニティーを指す。

 
手話に関して、良く耳にする噂が2つある。
一つは、「手話は、まったく言語ではない」というもの。
もう一つは、「手話は世界共通で、手話使用者は世界中の手話を理解出来る」というもの。
 
まず一つ目についてである。
手話が、私たちの認識している言語というものとあまりにもかけ離れている為に、それが言語である事を疑う気持ちは良くわかる。
そのものの形をなぞる手話もあるので、単なるジェスチャーであると言う事も理解出来る。
しかしそれらの意見は、1960年のガロデット大学教授のアメリカ手話(ASL)の専門書によって論駁された。
手話は、音声が無いだけで、話し言葉と同じように組織立って、文法的な特徴を持っている。
手話には音声と同じ弁別的な特徴があって、例えば、ASLでの"candy"と"apple"の違いは、頬に寄せる人差し指が、まっすぐか、曲がっているかの違いである。
単語と単語は一直線に並んで、文となり、文と文が連続して章になる。
具体的な話題から抽象的な話題も、政治的演説も演劇でも、何でも表現する事が出来る。
 
2つ目についてであるが、人々は、いろんな種類の手話があるという事にあまり気づかない様である。
時間的、地理的に離れた人々の言語は、もちろん変化するし、ASLには方言だってある。社会的な集団によっても手話使いが異なる。
当然、国の間では手話が異なる。
実はギリスの手話とアメリカの手話は全く異なるので、話し言葉が通じても、互いに手話は通じない。
理由は、アメリカに初めて聾唖者の為の学校を設立した人物、ガロデット・ホプキンスがフランスで手話教育法を学んだからである。
前述のガロデット大学は、その、アメリカで一番最初の聾唖者の為の普通科大学である。
ASLには、偶像的な手話が含まれるが、そのものの姿を現す動作さえも、異なるのである。
ASLでは、「木」を、左手で水平に地面を型取り、右手を垂直に立てて五指を大きく開き木に見立てる。
しかし、オランダ手話では、上から木の輪郭を両手でなぞるように、動かすのである。
 
神に沈黙の誓いを立てた修道士がいると考える。かれは修道院の様々な仕事に、言葉が無いと不便である。
あるいは、アボリジニのある部族では、未亡人はかなり長い期間喪に服し、そのあいだ口をきいてはいけないと言う習慣がある。
このような場合、修道士や未亡人の間で使われている話し言葉が、その構造を保持したまま手話に移行される。
これは特殊な例であって、多くの場合、手話は話し言葉とは別に発展する文化である。
 
世界には数百万人の手話使用者がおり、50万人〜200万人もの人々がASLを使用していると言われている。
アメリカ中でASLの教育を受ける事が出来、147の大学でASL習得者の入学が認められている。
2003年にはイギリスで、BSLが正式なイギリス政府の公用語として認定された。
 
手話は、話し言葉が出来るのと同じだけのものを表現する事が出来る。
耳の聞こえる人が手話を学ぶ事は、新しい文化に踏み込む事で、世界の見方を変えてくれるだろう。
何か言語を学ぼうと思ったとき、手話を選択してみたらどうだろうか。
 
Leila Monaghan, "23 Do deaf people everywhere use the same sign language?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)  

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言語は、小さい頃に難なく私たちの頭の中で発展してきたものであるし、文化的な営みや人間としての重要な役割を果たしている。
なので、実際に言語を奪われる機会が無い限り、言語を知らずに育つということは、ほとんど想像できないだろう。
近代に、人間社会と隔離され狼やその他の動物に育てられた、と言われる子供たちが保護されている。
これらの話にはさまざまな裏話が噂されているが、どれも言語に関しては大して変わらない。
簡単にまとめると、こうである。
幼い間に保護された子供は話せるようになる。しかし、9歳ごろに保護された子供は少しの単語を覚えるだけか、まったく言語を習得出来ない。
 
最も有名なのが映画『野生の少年(L'Enfant Sauvage)』のモデルとなった、少年ヴィクトール(Victor)である。
アヴェロン(ヴィクトールが保護された南仏の県)の野生児とも言われ、1800年に保護された時は10歳か11歳ぐらいであった。
熱心な若い医師が、彼への会話と読み書きの教育を試みたが、結局、話す事は出来ず、いくつかの短い単語を覚えただけであった。
 
もう一人、孤立児とよばれる別のケースでもっとも有名な少女がジーニー(Genie)である。
彼女は12年以上にわたって、父親により、寝室の子供用の椅子に縛り付けられて監禁、虐待されていた。
目の見えない母親と一緒に、父親から逃げて福祉施設を訪れたときには、ジーニーは13歳と6ヶ月で、言葉を知らなかった。
 
ジーニーは約10年間にわたって言語学者による指導を受けた。
保護から数ヶ月は急速に単語を覚え、単語を組み合わせた短い文も使えるようになった。
しかし、時勢や人称、冠詞、代名詞、疑問詞などの文法的な項目をつかえるようにならず、片言の英語しか話せなかった。
彼女の英語は文脈があれば理解する事が出来るが、英語のSVOの構文には従わなかった。
けれどもテストでは、"The girl is pushing the boy."と"The boy is pushing the girl."の違いを理解出来ていた。
そのあとも文法に関してはほとんど上達しなかったが、彼女は言葉以外によるコミュニケーションに長けていた。
 
耳の聞こえない子供達は、ジーニーのような状況ではない。
彼らは言語を覚え、手話によって問題なく人付き合いが出来る。
多くの研究によって、聾の子供が手話を知るの時期が、はやければはやいほど、手話が上達する事が分かっている。
手話を知る時期は、単語の学習には影響を及ぼさないが、文法の学習には劇的に影響を及ぼす。
就学後に手話を知った聾者の研究報告によると、文法的発展の臨界期は就学初期の年齢である。
 
ニカラグラでの新しい手話の創造において、興味深い報告がある。
アメリカの政治干渉に対抗した、サンディニスタ民族解放戦線後、はじめて聾者が集まる機会が出来た。
一番最初の世代では簡単なジェスチャーのシステムを作り、意思疎通を行っていたが、のちに10歳以下の子供達が参加すると、そのシステムが短い期間で、話し言葉とまったく劣らない文法体系の整った完全な言語へと変容したのである。
 
耳の聞こえない人たちも、聾唖者のコミュニティーの中で言葉と社会生活を知り、問題なく生活する事が出来る。
しかし、言葉を知らない健常者は社会的な交流が無く、心理学的にも不適切な環境である。
言語は、人間にとって非常に重要である為に、それを欠かすと、社会的に放棄され孤立してしまう。
 
Susan Curtiss, "22 What happens if you are raised without langage?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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