アメリカで全ての人に教えられた、一番始めの言語は、アルゴンキン語(Algonquian)である。
アメリカに来たイングランド人が、先住民とコミュニケーションを取り、生き残る為に言語を学んだ。
そして直に形式化され、学校が設立されると、ヨーロッパと同じように、ヨーロッパの伝統に則った学校での語学教育が行われることになる。古代ギリシャ語とラテン語である。
1800年代には、近代的な言語がひろまった。
はじめは、フランス語、スペイン語、イタリア語、ドイツ語が設けられ、人々は、古典言語と同じようように、同じ目的で学んでいった。
ヴァージニア大学が創立される前年、1824年に、トーマス・ジェファーソンは以下のように述べている。
「ラテン語とギリシャ語は、よい教育の基礎を成しており、良く教育された人の人格を形成する上で必要不可欠である。」
そして翌年にはこう書いている。
「我々は一般的に、外国語で書かれた本を読む為に、その言語を学ぶ。」
人間によるコミュニケーションについての話は無い。
次の数世紀まで、アメリカ人は話す為ではなく、読む為に言語を学習していた。
語学の教室では、読解、翻訳、文法解説が行われ、話す能力は求められなかった。
第二次世界大戦により、アメリカは緊急に、大量に外国語話者を作り出す必要にかられた。
兵士でも一般人でも、文法や文学作品に精通していなくても、実際に、外国語話者と話せる人が必要であった。
そして必要な言語は、ドイツ語からビルマ語まで様々種類があった。
言語学専門家は、戦争のための言語教育にかり出され、そこで言語教育が激変する。
当時は学習に関する行動主義の最盛期であり、教師は、生徒達の頭に言語の型を押し込める為に刺激と応答による教育が行われた。
生徒は、会話を暗記し、口頭による問題の素早い回答により学習し、自らが文章を作り出すということはほとんどなかった。
かなりの程度までそれは有効だった。
以前の、書き言葉中心の文法と翻訳の学習に比べて、このオーディオリンガル(Audiolngual)学習によって人々はより流暢に、より短期間で、多くの言語を学んだ。
第二次世界大戦から冷戦へと受け継がれ、言語学習の需要は、特にロシア語が、高かった。
古代ギリシャ語は人気が下がり、ラテン語は上がったり下がったりしたが、語源として英語に多く含まれているために広く教えられていた。
1960年代初頭、アメリカ中でオーディオリンガル教授法が普及した。しかし、その欠点も明らかになってきた。
言語のように複雑なものを学ぶ時、刺激応答の学習モデルでは限界があった。
研究者はもっと細かく、言語修得の方法を研究し、より進化した獲得方法を明らかにした。
このような観点から語学教授法は再び変わった。
近年では、コミュニケーションを目的とした言語学習が詳細に明らかになってきたで、もっと進展した教授法が行われている。
年齢や、文脈(教室や全身洗礼や、海外留学)、スタイルの作用のようなものよりも、もっと多くが明らかになっている。
インターネットでの国境を越えたやり取りをし、外国のニュースのウェブサイトを読み、生徒達は限界に挑んでいる。
彼らは言語よりも文化に興味を持っているので、教室では現実的な課題に取り組んでいる。
もし、トーマス・ジェファーソンが現在の学校を見たら、ギリシャ語とラテン語の減衰を嘆くだろう。
しかし、様々な言語を学び、かなり高い言語能力を持った生徒達に感動するだろう。
教室中を歩き回り、不完全なしかし理解出来る文法を用い、短い文章で会話し、ジェスチャーで補完する生徒達が居る。
これはまさに、先祖達がアルゴンキン語を学ぼうとした時と似ているのではないかと思う。
June K. Phillips, "31 How has our thinking about language lerning changed through the year?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
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20世紀の中頃、コンピューターが発明された時、人々が期待したものの1つが、外国語の翻訳に使われることであった。
初期の機械翻訳(MT: Machine Translation)は、盛り上がったものの結局失敗であった。
60年代後半と70年代前半の研究は、ほとんど完全に見捨てられた。
聖書の一節である'The spirit is willing but the flesh is weak.(心は燃えても、肉体は弱い)'が、'The whisky is strong but the meat is rotten.(ウィスキーは強いが、牛肉は腐っている)'と翻訳されたという話を聞いたことがあるだろうか。
もしくは、ポンプの装置の名前である'hydraulic ram(水撃ポンプ)'が、'water goat(水ヤギ)'と訳された。
機械は1つの言語からその他の言語への文章の翻訳ができるかもしれないが、聖杯となるべく「全自動高性能機械翻訳」の姿は、まだ見えない。
問題は何だろうか。
一般的な言語の複雑さが一番の問題であろう。単語レベルでもはや、ややこしい。
'bark'の例を挙げてみれば、この単語は、動詞で「(犬などが)吠える」の意、名詞として「樹皮」の意で用いられるが、機械は、犬に樹皮が無く、木が吠えないことを知らない。
スペイン語の動詞'comer'は、文脈によって、「食べる」「捕まえる」「見渡す」「錆びる」「衰える」「かゆい」「飛び跳ねる」「けなす」「飲み込む」「取る」などの意味を持つ。
機械の計算能力によってこれらの中からもっとも適したものを選ぶのである。
文章のレベルになると、複雑さはもっと増す。
'John saw the woman in the park with a telescope.'に関しては、5、6個の解釈が可能だろう。
まず、誰が望遠鏡を持っているのか。そして、公園に居るのは誰か、もしくは両方なのか。
人間は近くの文章から手がかりを探し出して意味を推測するが、機械にはそのようなことはまだ不可能である。
そして重要な機械翻訳の問題が、言語が皆、同じように知識を単語に振り分けていないことである。
英語は三人称の代名詞を3つ、'he', 'she', 'it'があるが、トルコ語には1つ、'on'だけである。性別の差がないので、トルコ語の'on'を英語に訳すときに問題が生じる。
そして、青と緑を区別しない言語がある。逆に、ロシア語には青に対応する単語が2つある。
しかし、言語間の完全な翻訳は不可能であると、言うことが出来ない例がある。
特に、狭い分野での利用には、機械翻訳はとても向いている。
カナダ気象センターでは、二言語での天気予報に機械翻訳を用いている。
商業的には、専門的な文章を書く人が、機械翻訳の修正が最小限になるような、取扱説明書や部品カタログを書く方法を、学んでいる。
インターネットでも、なかなかの出来で、ウェブページまるまるの翻訳を、マウスのクリックで出来てしまう。
機械翻訳は、完璧ではなくても、十分に役に立つものである。
特に9.11の後、翻訳者が不足していたり、翻訳すべき書類の量がとても多かったりするときに、人間による翻訳を必要とする文章を選別するのに、とても役に立っている。
国家保安機関のダイバーセキュリティーは、国防総省と情報局によって作られ、正確に、言語を認識し、綴り間違いを修正して、65の言語から英語に翻訳し、さっと読むのには十分な文章の質を保っている。
9.11後の政府の資金援助を機に、研究機関での機械翻訳専門家、商業部門、そのほかの政府機関が新しく、機械翻訳に取り組み始めた。
特に、この数年間でアラビア語ー英語翻訳は驚異的に改善された。
機械は、インターネット上での多言語でのチャットを可能にするし、多国家との軍事会議にも役に立つだろう。
もちろん生身の人間が良いだろう。「全自動高性能機械翻訳」が未だ遠い存在であっても、その道を辿っているのは確かだ。
質は恒常的に改善され、機械翻訳の使用は飛躍的に伸びている。これからは、機械の時代である。
David Savignac, "45. How good is machine translation?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
広く共有された大衆文化は、方言を追い出してしまうのだろうか。
今も新たな方言が生まれているのだろうか。
アメリカ合衆国には少なくとも4つの'bought'の母音の読み方が存在する。
'awe'か'ah'か、もしくは南部の田舎'ow'に近い発音か、生粋のニュー・ヨーカーを風刺するのに使われる'wo'だろうか。
炭酸飲料には、'pop''soda''tonic''co-cola'それにアパラチア山脈地方の方言'dope'などの単語がある。
都市の環状道路を自転車で走る時はその道路はなんと言う名前か。'a beltline'か'a beltway'か'a ioop'もしくは'a perimeterか'。
銀行から現金を引き落とす機械は'a bank machine'か'an automated teller'か'a cash machine'もしくは'ATM'か。
私たちは、方言を避けることが出来ない。
そして多くの場合、それは他人方言にしか見られないので、ボストンから来た人も、メディシンハットから来た人も、みんな「私の住んでいるところでは方言を話さない。みんな普通の英語を話す」と、同じ意見を言うのである。
もちろん人々は異なった母音の発音をするし、同じものに対して異なる単語を使うのである。
方言はどこにでも、都会にも田舎にもある。
方言を用いずに、言語を話すことは不可能である。好き嫌いに関わらず、私たちはみんな方言に直接関与しており、それは避けられない。
では、人々が活発に動き回り、頻繁に旅行に行き、携帯電話で話し合うような、地球全体のコミュニティーでもそうなのか。
メディアや、人々と情報の流動性によって、方言が無くあることがあるだろうか。
方言学者は、「方言は、北部や中部、南部の有力な方言によって消え去ってしまう。それら有力な方言は200年後まで生き残る」という噂を否定している。
アメリカの北部と南部の口語は、今まさに、さまざまな方言に分かれている。統一されるような動きは無い。
北部のシカゴとバッファローでは異なる発音を確認することが出来る。
その変化はとても捉えがたいので、確認出来なくても当然なのだが、アメリカ北部の中で、南部や西部の方言がだんだん分化していっているのは事実である。
孤立している訳でもない地方で、現在でもまだ方言が変化し分化していることは、非論理的に聞こえるかもしれない。
しかし、言語はいつだって変化している。
もちろん私たちはみな、同じテレビ番組で同じニュースキャスターの言葉を聞いているが、それはあまりにも非人格的である。
方言は日常生活での相互作用によるものであり、私たちがどれだけ地元のコミュニティーに溶け込んでいるかを知る指標となる。
世界的な文化を侵略する多くの地域も存在するが、それらは、強い地方共同体の観念によって追いつめられている。
ピッツバーグの人々は、ピッツバーグ語を話すことを誇りに思っているし、ピッツバーグ人になりたかったらピッツバーグ語を話すのが良い。
一方、危機的な方言もある。観光客によって、孤立した山や島の人々が話している方言が、危機に陥ることもある。
だが、それらの言語はピッツバーグの人々のように自分たちの言語に誇りを持っているし、方言は観光客と地元の住民を区別するのに便利である。
驚くべきこととして、多文化の影響が大きいシアトルや北カリフォルニアなどでは、今まで無かった方言を目立たせることによってに、地元の人々のアイデンティティーを表わそうとしている。
伝統的な方言が滅ぶこともあるだろうが、まるでモグラたたきのように、新しい方言が取って代わるだろう。
それらの死の噂は、誇張されるものだ。と、有名なマーク・トウェーンの言葉がぴったりである。
方言は生き残るし丈夫である。それに、地域と社会文化的風景の重要な一部分を担っている。
Walt Wolfram, "41 Are dialects dying?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
外国語が好きな人には、どんな仕事があるだろうか。
そのためにどんな準備が必要だろうか。
学校や軍隊、平和部隊や海外旅行などで、言語を学びそれを使うことの楽しみを知るだろう。
1つの言語を徹底的に学ぼうとか、それとも他の言語を学ぼうとか思ったときに、「何に使うのか」とい問いの心配がある。
複数の言語を知っている人々が、その能力を使って人生を良いものにする方法はたくさんある。
言語で生活するには2種類の方法がある。
ひとつは言語の仕事(Careers in Language)とも呼べる、言語能力が中心な専門職である。
もうひとつは、仕事における言語(language in Careers)とも言える、言語が、仕事上の重要な道具となる職業である。
言語の仕事(Careers in Language)は、直接的に、ひとつもしくは複数の優れた言語能力に基づいている。
典型的なものが言語教師である。学校や大学、その他の語学教室で多くの勤め口がある。アメリカでは、局所的に教師が不足しているため、多くの国から教師を受け入れている。
もしも言語とその文化が好きならば、教師になるのはどうだろうか。とてもやりがいのある仕事だ。
そして、翻訳と通訳の仕事がある。
両方とも、飛び抜けた言語能力と深い文化理解が必要で、加えて特殊な訓練を受けなければならない。
科学記事から法的契約、文学、不審なメールから、食品の広告に至るまで、仕事は多岐にわたる。
通訳は、単一言語話者の患者と医者のやりとりを手助けするし、仕事上での役員や外交官との海外出張や、'language line'という電話での通訳の仕事もある。
本当に良い翻訳者や通訳者を見つけるのは難しいので、国や地方の行政府から、多国籍企業、非政府組織での仕事がたくさんある。
言語の仕事(Careers in Language)は言語能力なしには出来ないが、外国語を話し読める人のほとんどは、この仕事に付くことが出来ない。
外国語を話したり読んだり出来る人では、仕事における言語(language in Careers)の仕事に就いていることが多い。
社会福祉士、警察、役者、医療事務員、買い出し人員、新聞記者、歴史家など、さまざまな専門的な職業に付く。それらは言語が中心ではないが、言語を知っていることで有利になる仕事である。
この仕事では、言語は道具として力を発揮する。
複数の言語を使用出来るビジネスマンには、高い給料が支払われることが一般的であるし、海外の論文を読む科学者も、さまざまな国の本を扱う司書も、熱帯雨林で活躍する環境問題研究者も、医者やナースも、外国語が話せることはとても有利である。
政府に関して考えると、外交官は仕事の為に複数の言語が使用できることが望ましいし、アメリカの軍隊の事務員には同等の能力が求められていた。
諜報機関や法の執行部、法廷や、調査事務所などの商業組織では、何百もの役職で言語能力が求められている。アメリカでは、80以上の連邦政府機関で100以上の言語の専門家を必要としている。
これらの仕事は教師や翻訳家のような言語の専門職ではないが、言語能力のある職員、社員は組織に取ってとても価値があると認識している。
そしてもうひとつの、言語に興味がある人の仕事が、言語学者である。
言語学者は、言語一般に、もしくは特定の言語に存在する、システムの調査である。そして、文化的社会的文脈の中での言語の機能の研究もする。
言語教授法や音声認識ソフト、コミュニケーションスキルの向上の研究など、応用言語学(Applied Linguistics)と呼ばれる分野も含んでいる。
言語学専門家は、文語文法、電子コミュニケーションのための辞書、自動翻訳、学生の指導まで、おおくの重要な仕事に携わっている。
行政的対話、公的関係、医者と患者の意思疎通、法廷での文化的な言語使用の差などの現象に、専門的な調査や助言を与えてくれる。
有名な言語学者デボラ・テネンは、職場や家庭での意思疎通の失敗などに関するさまざまな洞察を本に記している。
言語を学び、それが楽しいと思うのならば、その気持ちに従い、言語学習に多くの時間を割くべきである。
何かにつけて、その能力は功を奏するだろう。
Frederick H. Jackson, "42 Can you make a living loving language?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
通訳になるには何が必要なのか。
良い辞書があれば、誰でも翻訳が出来るのか。
通訳は、聞くのと話すのを同時に行い、辞書も引けない。
彼らの仕事は、機械のように単語を吐き出すことではなく、「意味」を伝えることである。
多くの意味は、声色や語と文のニュアンスで伝えられるので、彼らの仕事は逐語訳とはまったくことなる。
そして、責任が重い。
裁判での、裁判官と陪審員の言語を話せない被告人を想像してみると、通訳の仕事の重みがわかる。
誰もが2つの言語を簡単に訳せる訳ではないので、誰かがしなければならない、その誰かが、通訳なのである。
通訳は話された言語を扱うが、翻訳家は書かれた言語を扱う。
有名なホワイトハウスとクレムリンを繋ぐ「ホットライン」は電話ではなく、暗号化された高速のデータ通信で、ほとんどが文字情報である。そのため翻訳家が必要である。
プロの翻訳と通訳になるには何が必要か。
ただ単に2つの言語を知っているだけではない。それはスタート地点である。
通訳は、第二言語を話せる事だけではなく、2つの文化と、俗語や方言の使用、それから話題に関連する知識が必要である。
かれらは並外れた記憶と、通訳の訓練がなければならない。
翻訳は、通訳と同様の、2つの言語の膨大な知識を持っている事が出発点である。
多くのプロの翻訳と通訳は、特定の学術的分野の学位を持っている。たとえば、機械、建築、内科、弁護士などである。
翻訳や通訳は「職務執行令状(writ of mandamu)」や「肥大型心筋症(hypertrophic cardiomyopathy)」などの専門用語を使用する。このような単語の意味を知っていなければならない。
翻訳家はまず、1つの言語で書かれた内容を理解し、それから、他の言語に書き直すのである。
簡単にいうと、翻訳は言語に関するものではなく、言語が述べている事に関する仕事である。
ではどのようにしてプロフェッショナルになるのか。
まず、機械や薬学や経済など、1つの分野に特出している事が望ましい。
多言語社会に埋めれていると有利だが、生まれつきバイリンガルでなくても、その後勉強すればかなりの能力が身に付く。
そして、翻訳や通訳の技術の質は、訓練と練習の問題である。少なくとも修士課程を修了するべきである。そして、翻訳協会のような機関の認定を受ける。
それなりの時間がかかることだが、翻訳と通訳は儲かる仕事である。
言語サービスの業界はアメリカだけでも110億円の市場である。そしてEUの誕生により、人や製品、思想の行き来が盛んになった今、ヨーロッパでは認定された通訳の需要が膨大にある。
全ての分野で、質の高い翻訳と通訳が不足しているのである。
Kevin Hendzel, "44 Why do we need translators if we have dictionaries?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
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