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指示的用法と限定的使用

全ての参照表現が物理的な関連があるとは限らない、というのは非常に重要な事だ。不定名詞句は例2のa. のような物理的な存在を到底するのに使うことができるが例2のb. のようにまだ知られていないがあると思われる存在を描写するのにも使え、例2のc. のように存在しない物にも使える。

例2
a. There's a man waiting for you.
b. He want to marry a woman with lots of money.
c. We'd love to find a nine-foot-tall basketball player.

例2のb. の"a woman with lots of money"という表現は、説明的な性質に関してのみ話し手が知ってる存在を指定することができる。この場合、"a"は"any"とも言い換えることができる。これは限定的用法(attributive use)といい、"描写に合うものであれば何でも"という意味である。実際に頭の中に人が思い浮かんでいるときに、名前をなどの描写の代わりに使われるものは、指示適用法(referential use)と良い区別される。例2のb. の表現を選んだのは、この女性は、名前を持っているよりも多くのお金を持ってると聞いた時にきっと君は興味を持つだろうと思ったからだ。
同様の区別が定名詞句でも見られる。不可解な志を報じるニュースでは、レポーターは、おそらく例3のような事をいうだろう。"the killer"と定表現の参照している人が椅子か居ないかも知らずに。これは、話し手の参照される人が存在すると言う仮定に基づく、限定的な用法である

例3
There was no sign of the killer.

しかし、もしとある人物が殺人を犯し、建物に追い込まれた後逃げたとしたら、例3のような文章は、話し手の参照する人は存在するという知識に基づいた、指示適用法である。
この区別の重要な点は、表現それ自体は、参照元があるものとして扱われていないということである。しかし、話し手や書き手によって文脈の中で参照機能を授けられているか、いないかの違いがある。話し手は、よく、限定的用法によって、私たちに推測をさせ、私たちはかれらが何を考えているかを同定できる。たとえがそれが、例2のc.のように、存在しないものであってもだ。これらとおなじ類いの有名人は、歯の妖精とサンタクロースだ。

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名前と参照
これらの参照のバージョンは、"同定のための意図"と"意図するための認識"のコラボレーションの作品である。このプロセスは話し手と聞き手の協力だけではなく、言語野文化を共有する共同体メンバーの協力、慣習が必要だ。標準的な基礎の上で、とある存在を同定するために使われるある特定の参照表現が、慣習である。慣習の成功した日常的な表現は、その参照がある特定の存在を指名するだけのものだと見なしている。この推測は、"Shakespeare"のような固有名詞や名前を、その特定の人を指定するだけに使われ、例えば"the cheese sandwitch"のような一般名詞である表現は、ある特定の物を同定するためだけにわれると、思わせてしまう。この思い込みは間違いだ。実際の参照の語用論的視点では、"the cheese sandwitch"という表現を通してどのように人が同定されているのか、"Shakespeare"という表現を通してどのように物が同定されう得るのかを考えることができる。
たとえば、例4のa. のような質問を、生徒がもう1人の生徒にする事はおかしくないし、例4のb. のような答えを受け取る事も、おかしくない。

例4
a. Can I barrow your Shakespeare?
b.Yeah, it's overthere on the table.

この文脈では、意図された参照と、推測された参照は人物ではなく、本だ。
レストランでは、ウェイターが、他のウェイターに、オーダについて例5のa. のように質問し、b. のように応える。

例5
a. Where's cheese sandwich sitting?
b. He's over there by the window.

この文脈では、参照は物ではなく人物として同定されている。
例4と例5は、参照がどのように機能しているか明確に知ることができる。シェイクスピアの例では、ある一連の存在が、作家の名前に寄って同定されるという慣習がある事を示唆している。"作家がつくったもの"と呼ぼう。これらは、例6のような文章も意味を成してくれる。

例6
a. Shakespeare takes up the whole bottom shelf.
b. We're going to see Shakespeare in London.
c. I hate Shakespeare at school.

明らかに、この慣習は作家に限った物ではない。例7のa. のように芸術家、b. 作曲家、c. 音楽家などそのほかのプロヂューサーも当てはまる。

例7
a. Picasso's on the far wall.
b. The new Mozart is better value than the Bach.
c. My Rolling Stones is missing.

これらは、固有名詞と物の語用論的接続(pragmatic connection)として表われ、慣習的に、これらの名前と一緒に、社会文化的に確立した共同体のなかで形作られる。参照的に物を同定するために固有名詞を使うことは、聞き手が推測することを期待し、そうやって、彼や彼女を、話し手と同じコミュニティーのメンバーであるとする。このようなケースでは、言われたことより伝えられたことの方が多い問うことは明確である。
先程述べた参照解釈の本質は、例8のように、新聞の見出しで国家の名前が使われていいても読み手は意味がわかることにもつながる。例8のa. では、参照はサッカーチームであると理解され、b. は、サッカーチームではなく政府のことだと理解されるだろう。

例8
a. Brazil wins World Cup.
b. Japan wins first round of trage talks.

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co-textの役割
多くの今までの例では、私たちの、意図された参照を同定する能力は、実は多くの部分が、私たちの参照表現の理解に寄るものである。それは、参照表現についてくる言語学的材料やco-textなどに支えられてきた。例8のa. が見出しにきたとき、"Brazil"は参照表現で、"win World Cup"はco-textの一部である(残りの大部分は新聞だ)。co-textは明らかに、"Brazil"のような単語が持つ解釈の可能性の幅を、限定する。それゆえ、参照表現を通じて参照を同定する私たちの能力という点で、参照は、単独で理解されると考えるのは、間違いだ。参照表現は、実際は参照の幅(range of reference)、つまり複数の可能な参照を提供する。前の例にもどり、同じ"the cheese sandwich"を使ってco-textの違う、異なる解釈を導く例9のa. とb. を見てみよう。

例9
a. The cheese sandwich is made with white bread.
b. The cheese sandwich left without paying.

もちろんco-textは参照表現が使われている環境の言語的な部分である。物理的な環境、あるいは背景は、どう参照表現が解釈されるべきかについて非常に強い影響を及ぼしていると、簡単に理解できる。レストランの物理的な背景、あるいはそこで働いているもの同士の会話は、b. の解釈は非常に重要である。同様に、例10のa.は背景は病院であるし、b. は歯医者、c. はホテルの受付である。

例10
a. The heart-attack mustn't be moved.
b. Your ten-thirty just cancelled.
c. A couple of room have complained about the heat.

例10は、場所的な文脈と、聞き手の局地的な知識に依存した参照の分析のヒントを与えてくれる。それは非常に、推測の基礎として、現地の社会文化的慣習に対する詳しさに依存している(例えばもし、看護師の間では、病気の名前で病院に居る患者を同定しているのであれば)。これらの慣習は、ある社会グループとその他のグループで、相当違う。そして、言語間でもかなり違う。参照は、単語や句の意味と、世界の物や人物の単純な関係ではない。それは、話し手が、物や人物を意味するために選んだその単語や句が、話し手の意図のように解釈されるという、社会行動である。


前方照応的参照
これまでは、参照の単独の行動を考えてきた。しかし私たちの話や書くことのほとんどは、同時にひとつ以上の文章についての話についてゆかねばならない。冒頭、いくつかの存在の紹介のあと、話し手は例11のような参照を保持するためのさまざまな表現を用いるだろう。

例11
In this film, a man and woman were trying to washa cat. The man was holding the cat while the woman poured water on it. He said something to her and they started laughing.

英語では、最初の参照や紹介ではよく不定形である("a man"、"a woman"、"a cat")。例11では、定形("the man"、"the cat"、"the woman")と代名詞("he"、"her"、"them")は、すでに紹介された参照のその次の参照で、一般的に前方照応的参照として知られている。専門用語では、2回目やそのあとの表現は、照応形(anaphor)といい、一番はじめの表現は先行形(antecedent)である。
前方照応的参照を、先行で示されたものと同じ存在と意味することを持続させるプロセスとして考える気になってしまう。多くの場合、この仮定は、解釈とは少し違う。いくつかの変化や効果が描かれている場合、前方照応的参照は違うように解釈しなければならない。レシピからとった例12では、最初の参照表現"six potatos"は、照応すえう代名詞"them"の解釈と何か違う物である。"them"は"the six peeled and sliced potatos"と解釈されなければいけない。

例12
Peel and slice six potatoes. Put them in cold water.

先行 - 照応の入れ替わるパターンも時々、例13のような物語の始まりで見られる。

例13
I turned the cornerand almost stepped on it. There was a large snake in the middle of the path.

代名詞"it"が最初に使われ、次の文章の完全な名詞句が現れるまで、解釈が困難である。このパターンは専門的に後方照応(cataphora)としても知られていて、前方照応よりは珍しい。
英語では前方照応的参照が使われた表現の幅がひろい。もっとも一般的な形式は、例14のa. で使われている"it"のような代名詞だが、例14のb. のような定名詞句もよく使われる。

例14
a. Peel an onion and slice it.
b. Drop the slices into hot oil.
c. Cook for three minutes.

c. のように言語学的表現がなく、何を調理するのか解釈するには存在の同定が必要なとき、それをゼロ照応(zero anaphora)省略(ellipsis)という。参照保持としてのゼロ照応の使用は、聞き手が話し手が意味したかった人や物を推測できるということが期待されている。これも、明確に、話されことよりも伝えられた物が多いケースである。
照応形が、先行と言語学的につながっていないときも、聞き手は特殊な推測をすることを期待されている。
これは、1章で自転車の例でみたことでもある。例15で詳しく見てみよう。

例15
a. I just rend a house. The kitchen is really big.
b. We had Chardonnay with dinner. The wain was the best part.
c. The bus came on time, but he did't stop.

例15のa. では、照応的接続のために、(もしxが家ならば、xは台所を持っている、というような)推測が求められる。b. のような推測は、(シャルドネがワインの種類である、という)より専門的な知識をもっているという仮定に依存している。加えて、c. では、(バスには運転手が居るという)話し手にとってあまりにも無意識の推測と思われるし、前方照応的参照の代名詞とすぐにわかる。この例では、先行"the bus"と照応"he"が文法的に一致していない。既に指摘されているように、成功する参照は、ことばそのものや、参照の無いようと選ばれた参照表現の文法的な正しさに拠るものではない。"sandwich"という単語は人物を意味し、代名詞"he"と照応する。参照の意味を成す鍵は、語用論的プロセスである。それによって、話し手は、とある存在を同定する意図と、また話し手が意図した表現の解釈と共同する聞き手の仮定と一緒に、言語学的表現を選ぶ。
参照の社会的側面は、共同作業の効果とむすびついている。最小限の表現であっても、参照の意味の即座の認識は、共有されている何か、共通の何か、それから社会的な親密さをを示す。
成功した参照は、推測によって意図が認識され、共有の知識な社会的結びつきを示していることを、意味している。共有の知識の仮定は、前提の研究とも、きわめて関係深いことである。

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前の参照についての話しでは、ある情報を聞き手が既に知っているという話し手の仮定という考えを訴えた。既知であると扱われているために、そのような情報は一般的に言及されないし、それ故に、言われていることよりも多く伝えられている部分として数えられる。専門用語では前提と含意といい、情報の異なる2つの側面を描写している。
注目すべきは、かつて前提と含意は、いまよりも語用論の中心として捉えられてきたことである。昨今のアプローチでは、前提と含意のような、現象を論理的に分析する専門的な議論への興味が少なくなってきてる。この分析的な議論の紹介無く、現代の意味論と語用論の発展の関係を理解するのは難しい。この章は見ることができる意味のいくつかの側面の分析におけるいくつかの問題を通して、この考え方の過程を説明する。では用語の定義から始めよう。

前提(presupposition)は話し手がかつ忘る時に最優先であると仮定するものだ。文章ではなく、話し手が、前提を持っている。含意(entailment)は、発話の中で断言されたことに論理的についてくるものだ。話し手ではなく、文章が、含意している。
私たちは、例1の発話にくみこまれた、潜在的な仮の情報を同定することができる。

例1
Mary's brother bought three horses.

この発話するとき、話し手は普通、メアリーと呼ばれる人は存在して、兄弟がいるという前提を期待する。話し手は、もっと特定の前提、メアリーは1人だけ兄弟がいる、そして彼はお金持ちだというような前提を持つかもしれない。これらの前提は、話し手のもので、実際と異なる事もある。例1の文章が含意しているのは、メアリーの兄弟は何かを買い、メアリーの兄弟は動物を買い、メアリーの兄弟は2頭の馬を買い、メアリーの兄弟は1頭の馬を買った、など同じような論理的な結論がたくさんある。話されて伝えられたことに関わらず、これら含意は、文章からでてくるものである。しかしその論理的性質から、含意は、一般的に現代の語用論では議論されない。前提の話し手に依存した気づきんほうがよく議論される。

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前提
この多くのコンセプトの議論では、前提は、2つの命題の関係として扱われる。もし例2のa. の文章が命題 p を含み、例2のb. の文章が命題 q を含んでいるのであれば、>>の"前提"という記号を用いて、この関係を例2のc. のように表記する。

例2
a. Mary's dog s cute. (=p)
b. Mary has a dog. (=q)
c. p >> q

興味深いことに、否定する(=NOT p)ことで例2のa. の反対の文章を作るとき、例えば例3のa. ように、私たちは前提の関係は変わら無い。つまり、例3のc. にあるように、同じ命題 q が、例3のb. で繰り返されているが、NOT p の前提となっているのだ。

例3
a. Mary's dog isn't cute. (=NOT p)
b. Mary has a dog. (=q)
c. NOT p >> q

前提の特性は一般的に否定のもとの恒常性(constancy under negation)と表現される。基本的に、発言が否定されていても、発言の命題は恒常的に変わらない(正しいままだ)ということだ。他の例を挙げると、あなたが誰かの発言、例4のa. に賛成しない(例4のb. にあるような)状況を考えて欲しい。

例4
a. Ebrybody knows that John is gay. (=p)
b. Everybody doesn't know that John is gay. (=NOT p)
c. Jhon is gay. (=q)
d. p >> q & NOT p >> q

発言する時に、話し手が p の妥当性には賛成できないが、q を真実だと推測していることに注意してほしい。例4のd. にあるように、否定のもとの恒常性を保ちながら、命題 q は、 p と NOT p の両方に前提とされている。

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