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もちろん話し手は、例4に見られような一人称複数"we"を使って、話し手とその他の人に当てはまる、一般的な規則を提示することができる。

例4
We clean up after ourselves around here.

英語ではこのような、潜在的な曖昧さによって二通りの解釈ができる。受け手を含まない話し手とその他を表す排他的weと、受け手を含む包括的weがある。文法的にこの区別をもつ言語もある。フィジー語は排他的一人称複数に"keimami"を、包括的一人称複数に"kada"を使う。
英語では、例4の曖昧さが、聞き手に何が伝えられたのかを決める、繊細な機会を与える。聞き手が規則が適用するグループのメンバーに自分がはいっているのか、それとも入っていないのか、を決める。この場合、聞き手が、伝えらた以上のものを決める。
包括的ー排他的の区別は、"Let's go"と"Let us go"と言うときの違いにも見られるだろう。前者の行動は包括的だが、後者は排他的だ。



空間的直示
先に述べた、距離に関する概念は、空間的直示に関係している。人やものの関連する場所を、示唆している。現代英語は、基本的な区別に、"here"と"there"の2種類の副詞だけ使われているが、古い文章やいくつかの方言ではかなり多くの直示表現が見られる。"yonder(話し手から離れている場所)"はまだ使われているが、"hither(こちらへ)"と"thence(そちらから)"は今は古めかしく聞こえる。この2つの副詞は話し手の方へと、話し手から離れた方へ、の動きの意味を含んでいる。"some"や"go"のような動きを表す動詞は、"Come to bed!"のように話し手の方にあるいは、"Go to bed"のように話し手から離れた方への動きを示すために使われるとき、直示の意味をのこしている。

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話し手の方への動きの概念のひとつ(例えば、見えるようになる)は、子供たちが学ぶ最初の直示的意味であり、"this"や"here"の単語の使い方を特徴付けていつようである。これらは、"that"や"there"と区別され、子供たちの目に見える空間から出てゆくものと結びつけられる。
しかし空間的直示を考えると、話し手の視点からの場所は、物理的と同じぐらい、精神的につくられていることも重要だ。一時的に家のある場所から離れている話し手が、まるでまだそこに居るかのように(物理的に離れた)家のある場所を意味して"here"を使い続けることがしばしばある。話し手はまた、例えば"I'll come later"と言うとき、実際にその場所に行く前に、他の場所に自身を連れてゆくことができる。
これを直示投射と言うことがあるが、私たちは、科学技術でできるよりももっと私たちの居場所を巧みに操作できるのだ。もしも"here"が話し手が発話している場所を意味するのであれば(そして"now"が発話の時間を意味しているのであれば)、例5のような発話は意味不明になるだろう。

例5
I am not here now.

しかし私たちは、電話の自動応答メッセージで言うことができるし、"now"は、録音した時間ではなく、誰かが電話をかけてきた時いつにでも適応される。加えて、例5を録音する事は、未来の聞き手に、望まれた場所に存在を投射するというとてもドラマチックな行いだ。同様の直示投射は、人や場所、誰かの感情を表現する直接の会話でもドラマチックな行動となる。例えば、例6のようにペットショップにとずれた時の事を誰かに伝えるとしよう。
例6
I was looking at this little puppy in a cage with such a sad look on its face. It was like, 'Oh, I'm so unhappy here, will you set me free?'

この"here"は本当に人が話している物理的な場所ではなく、話し手が犬の役を演じている場所である。
空間的直示の本当の語用論的基礎は、精神的距離である。物理的に近接するものは、話し手に、精神的に親密さをもって扱われる。また、物理的に遠いものは、ふつう、精神的にも距離をもって扱われる(たとえば、"that man over there")。しかし、話し手が、物理的な近いものを(たとえば、話し手が嗅いだ香水)、"I don't like that."のように精神的に距離を置いているよう目立たせたいこともある。この分析では、"that"のような単語は、意味論的に固定されたい意味を持っておらず、話し手の文脈に寄って運用されている。
同様の心理学的手段は、一時的な直示を表すのに使われる近接や遠位の、私たちの区別に作用している。

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時間的直示
すでに、近接の"now"が、話し手の発話と一致する時間と、話し手の声が聞かれる時間(聞き手の今)の両方を意味する事はみてきた。
"now"と比較して、遠位の表現"then"は、話し手のいる時間によって、例7のa.のような過去と、例7のb.のような未来に当てはまる。

例7
a. November 22nd, 1963? I was in Scotland then.
b. Dinner at 8:30 on Saturday? Okey, I'll see you then.

注目すべきは、我々が、例7のa.のカレンダーやb.の時間など、直示以外の時間表現を使っている事である。しかしこれらの時間表現の形式は、"yesterday"、"tomorrow"、"today"、"tonight"、"next week"、"last week"などの直示表現のずっと後に習得されるものである。これら直示表現は関連する発話の時間の解釈によるものである。もしもその発話時間を知らなければ、例8のように、オフィスのドアのメモを見ても、どれぐらい待たされるのかわからない。

例8
Back in an hour.

同様に、例9のような看板を見てそのバーに翌日訪れたとき、ビール飲み放題には一日早かったとまた思うだろう。

例9
Free Beer Tomorrow.

時間的直示の心理学的原則は、空間的直示と同様である。我々は時間的事象を私たちに向かって動く、あるいは離れてゆく物として扱うことができる。英語のあるメタファーでは、未来からやってくる。例えば"the coming week"や"the approaching year"。そして、"in days gone by"や"the past week"のように、過去へ去ってゆくのだ。また、我々は近くにあり、すぐそばの未来を、近接の直示"this"で表すことができる。"this (coming) weekend"や"this (coming) Tursday"のように。

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英語での基本的な時間的直示は、動詞の時制の選択である。他の言語では時制に寄って異なるたくさんの形の動詞があるが、英語は基本的に2つしか形が無い。例10のa. は現在形、b. は過去形である。

例10
a. I live here now.
b. I lived there then.

現在形は近接の形式であり、過去形は遠位の形式である。例11のa. では、典型的に話し手の現在の状況とは離れていることとして、過去に起こったことが扱われている。しかしすこし分かりにくいが、話し手の現在の状況からすると、絶対そうならないあるいは不可能だと考えられていることも、例11のb. のように過去形が使われる。

例11
a. I could swim(whenIwas a child).
b. I could be in Hawaii(if I had alot of maney).

このようなIF句では、いつも過去形が使われ、例12のように、現実とはかけ離れていることを提示する。

例12
a. If I had a yacht, ...
b. If I was rich, ...

例12のどちらに表現も、過去に起きたこととしては扱われない。話し手の現在とは、直示的に離れていることを表している。加えて、非常に遠いので、実際は否定形も付いてくる。(話し手がヨットを持っていないとかお金持ちじゃないと、示唆しているのだ。)
英語の条件文構造("Had I know sooner"のような形式も含む)を理解するために、時間的直示では、遠くあるいは遠位の形式が、現在の時間との距離を伝えるだけではなく、今の現実や真実との距離を伝えるためにも使われることを、認識しなければならない。

直示と文法
これまでみてきた人間、空間、時間的直示の基本的な特徴は、直接話法と間接話法(伝聞)という、英文法の中でもっとも平凡な構造のなかで働くということだ。既に述べたように、人称代名詞(you)、空間的直示表現(here)、時間的直示表現(this time)は、話し手の文脈のなかで解釈される。例13のa. がそうだ。

例13
a. Are you planning to be here this evening?
b. I asked her if she was plannning to be there that evening.

a. の発話の報告であるb. のように文脈が変化すると、a. の発話は尋ねる状況と直示的に相対となる。a. の例文の近接の表現は、b. では対応した遠位表現に変化している。この、英語でよく見られる伝聞の違いは、話し手の近くは直接話法、話し手からは慣れた表現は間接話法を意味する。直接話法の近接の直示形式は、発話と同じ文脈にいることを伝える。間接話法の遠位の形式は、もとの発話がより離れたものにしてしまう。
直示表現は、語用論のゴミ箱の中から見つかったと言っても驚かないだろう。これらの解釈は文脈に寄り、話し手の意図に寄り、また相対的位距離を表現する。小さなからだと非常に幅広い使用の可能性を与えられ、直示表現は、言われたこと以上の物をいつも伝えている。

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直示に関する考察を通し、人やものを参照する単語は、比較的単純な物であると癒ええる。参照するのはかなり簡単だが、どのように参照しているのかを説明するのはかなり難しい。人は参照する。参照(reference)は、聞い手や読み手が何かを識別するための、話し手や書き手の言語形式の使用と考えるのが良いだろう。
このような言語形式は参照表現(referring expressions)といい、代名詞("Shakespeare"、"Cathy Revuelto"、"Hawaii"など)、明確な名詞句("a man"、"a woman"、"a beautiful place")、あるいは不定の名詞句("he"、"her"、"it"、"them"など)である。参照表現のあるタイプの選択は、話し手が、聞き手が知っていると前提するものにかなりの度合い、基準となっている。共有している見ることができる文脈では、直示表現として機能する代名詞("Take this."や"Look at him!"など)は、十分に成功する参照だろう。しかし、同定はもっと困難で、もっと詳細な名詞句が使われるだろう(例えば、"Remember the old foreign guy with the funny hat?")。
そして、参照は、言語の使用の中で、明らかに話し手のゴール(例えば、何かを同定すること)と、話し手のビリーフ(例えば、聞き手は特定の物を知っていると期待できるか)とむすびついている。参照が成功するために、私たちは推測(inference)の役割も知っておかねばならない。実在と単語には直接的な関係がないので、聞き手の役割は、話し手が特定の参照表現を使って同定しようとした存在を正しく推測することである。何か存在や人を、その名前やもっとも適切な単語を使わずに参照したいと思うことは、珍しい事ではない。私たちは、曖昧な表現、例えば、"その青いもの(the blue thing)"、"あの嫌な話(that icky stuff)"、"名前の分からない彼(ol' what's his name)"、"例のアレ(the thingamajig)"などを使うが、これは聞き手の、私たちの頭の中にある参照を推測する能力に委ねられている。話し手は、名前すらでっち上げる。荷物をオフィスに届けにきた人がいて、宛先人の完全な名前が分からないが誰か分かる場合、彼には例1のように、こっそり参照することができる。

例1
Mister Aftershave is late today.

例1では、客観的に正しい(あるいは間違った)名前に基づいた参照により表現されているが、局地的には成功した(あるいは失敗の)表現の選択である。
例1から、成功した参照表現は、相手が頭の中について考える役割のある、話し手と聞き手の協力が必須であるといえるだろう。

注:Cathy Revueltoって誰だ!

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