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第7?章、 項の価値と語の意味、両者の一致
 
項があるところには価値がある。両者はしばしば同一視され、また、価値は項に含まれるものとして考えられるので、区別することが難しい。
 
価値に関して、それは、意味(仏 sens)もしくは意味作用(仏 signification)と混同される。
価値は、意味の要素である。同時に、意味は、価値以外にはなり得ない。
言語学において、意味がどのように価値に依存しているか、両者の関係は複雑な問題である。言語学者的な観点と、言語を目録として考える観点で、おおきく異なる。
 
まず、意味作用に関しての考察が必要である。
 
  概念
  ↑      ←項←→項←→項→
 聴覚イメージ
 
1、聴覚イメージが、ある概念を指し示すという意味作用がある。
2、複数の項が、言語システムの中で水平な関係を築いており、お互いがお互いを暗示する意味作用がある。
システムにおいて、隣接する価値との関係がないと、1つの項の価値が定まらない。
 
これらの意味作用の働き方の別により、価値を次の様に2つに言い換えることが出来る。
1、似ていないけれども交換出来るもの。100円玉がもつ、50グラムのチョコレートの価値。
2、似ていて、比較出来るもの。100円玉が持つ、10円玉10枚の価値。あるいは、5円玉20枚の価値。
価値は、この両方に対応するものでなければならない。
 
言語の意味を考える時も、この2つの働きを区別しなければならない。
語の中にある価値は、語の周囲にある、連辞的関係と連合的関係を持つ他の語に制限されることで、決定する。
 
サンスクリット語の複数形の価値と、ラテン語の複数形の価値は異なるが、意味作用は同じであると言える。
サンスクリット語には双数形があるので、ラテン語の複数形をサンスクリットの複数形に変換することが出来ない場合がある。
フランス語の'mouton'の価値は、英語の'sheep'の価値と異なる。
'sheep'は歩いている羊しか意味することが出来ない。'sheep'の価値の範囲を観察するときは、その他の項'mouton'や'mutton'との横の関係がなければならない。
 
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007 

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言語のシステムから項、項から価値が導き出される時、項の意味は、隣接関係なしに考えることが出来ないことが分かる。
価値に関して、語のシステムからの考察をする。
 
言語のない概念はあるだろうか。哲学者と言語学者は否定する。
事前に確立された概念は存在しない。
では、概念と関係のない、確固たる音の単位は存在するのか。これも否である。
言語はこの不定形なもの同士の、完全な恣意的な契約によるものである。したがって語に発生する価値も恣意的である。
 
では、シニフィアンとシニフィエの結びついた項についての考察。
この結びつきが記号の存在理由であり、価値は二次的な産物である。どちらか片方では存在し得ない。
この契約はどのように生じたものなのか。
概念が囲まれるのが先だろうか。それでは、自然に出来上がるひとまとまりの概念があり、それを表すものが、必然的に他の言語でも一致してなければならない。
人々の心の中に生まれる「親愛なる」あるいは、フランス語で'cher'という概念がまず始めに出来上がり、そのあとシニフィアンを付与されるのであれば、ドイツ語の「親愛なる」と「高い」の両方の概念を持つ'theuer'の存在を説明出来なくなる。
言語以前に「親愛なる」や'cher'や'theuer'という概念は、存在しないのである。
 
項としてのシニフィアンとシニフィエのまとまりは、他の項との対比による輪郭を表している。
概念の輪郭は、他の概念の分布との関係でしか決まらない。
輪郭が決まれば、シニフィアンとシニフィエの契約に基づく項が出来上がる。
 
以上のことは、語彙以外にも言える。
たとえば、セム語のシステムには、現在、未来、過去の区別が存在しない。古ゲルマン語には未来形がない。時制は事前に確立されている概念ではないのだ。言語によって生じる価値であると言える。
 
まとめ。
シニフィアンとシニフィエの契約は恣意的で、その契約に基づき生じる価値も、曖昧で誰がか決めれるものではない。
シニフィアンとシニフィエ、どちらが欠けていても語は存在しない。
シニフィエは、各言語システムにおける、項の相互関係を前提としている。
 
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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第7章で述べたように、シニフィエは他のシニフィエとの隣接関係がなければ決定されない。
項も、価値も、確立された存在はなく、曖昧な関係性でしかない。
 
言語の価値に関して、次のことが言える。言語には差異しか存在しない。
記号の存在しない、記号間の差異である。
 
今まで述べてきたシニフィアンとシニフィエの契約に関する考察から、項に関する考察に進むと、そこにあるのは対立である。
チェコ語の「女」という意味の単語'žena'の属格複数形は'žen'である。
'žena'とž'en'の対立は、シニフィアンの差異である。
フランス語の'aller(行く)'が語として機能するのは、'allon(行きながら)'と'allant(行きましょう)'との、シニフィアンの差異が存在するからである。
シニフィエの差異はどのように表れるのか。シニフィアンの差異として表れるのである。
 
言語システムを、音の差異と概念の差異が結びついたものであると言える。
 
第5章(09/04)で述べた、絶対的な恣意性と、相対的な恣意性に関して次のように述べることが出来る。
システムにおける項が、他の項と強い関係を持っていることは、その関係が連辞関係であっても連合関係であっても、結果として、価値の恣意性を限定する。
 
 
 
このように、言語の外的な部分、共時的な部分を主に観察してきた。
以上に述べたことは言語学の一般的な原理だけである。
それから、管理人の為の整理メモです。詳細は参考文献や関係書を直接読んでください。
 
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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