前回、前々回では、人間の言葉の特徴について述べた。
それでは、
言語は、人間という種の、特異的なものなのだろうか。
犬には犬の言語があるかもしれない。
犬はお互いに、自分の両親がどんな犬だったかを語り合えるかもしれない。
このような疑問を確かめるのに、
人間言語を、他の動物に教えるという試みが数多く存在する。
最も盛んだったのが、チンパンジーの調教であった。
しかしこの実験は、
チンパンジーは人間言語を話すことが出来る発声器官を持っていない
と言うことを明らかにしただけであった。
学者は他のものを使って、どうにか人間言語らしいものを教えようとした。
ワショーという名のチンパンジーは、アメリカ式手話を習得し、
4年後には80種類ほどの手話を使い分けることが出来たという。
サラは、色と形の異なる複数のプラスチックのチップ使い、
ラナは、コンピューターのボタンを使い、かなりの種類の記号を覚えることが出来たという。
もちろん、
記号となるチップやボタンと、それが示す意味はまったく恣意的なものであった。
例えば、赤の四角がバナナを意味する、などのように。
しかしこの結果を見ても、腑に落ちない点がいくつかある。
人間により強制され、厳しい教育を受けた割りに、まずまずの結果であることだ。
人間の子供は、強制されずに流暢に言葉をしゃべることが出来る。
また、自然とは懸け離れた環境におかれた動物達の結果を、
どう解釈すればよいのかも、議論の余地がある。
チンパンジー達は、新しく得た言語を、仲間同士で使おうとは思わなかった。
言語を学ぶ能力があるなら、
なぜ、それを利用しようとしなかったのだろうか。
彼女達の「不自然」な習得は、不自然な言語でしかない。
チンパンジーは既に、私たち人間が言語とは思わないような、
目と口を使った、とても複雑で適切な信号伝達のシステムを持っているのだ。
結局この試みで分かった事と言えば、
私たちは、人間の言葉以外の言語を思いつくことが出来ない、
ということである。
ワショーについての詳しい記述は、
ロジャー・ファウツ著 『限りなく人類に近い隣人が教えてくれたこと』 2000 角川書店
にある。私は未読だが、参考までに。

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