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意味論(semantics)の中心は、
言語においてどのように意味が解読されるのかの研究である。
語彙項目としての語の意味を扱うが、それだけではない。
接辞により意味が付加される派生形態論にも、
語形変化により意味も変わる屈折形態論にも、
統語論にも、意味論が欠かせないものである。

特に、文は語順を入れ替えると意味が変わる。
 The bishop offended the actress.
 The actress offended the bishop.
当然のように思えるかもしれないが、上の二つの意味は違う。
使われている単語は同じなのに、意味に違いが生じるのは、
英語において、語順が重要な統語論的な装置であるからだ。

この事実は語の語彙的意味の研究に進められることがある。
語の意味論的な不確定さを、
新聞の見出しのような配列によって確かめることは、良くあることである。
 SQUAD HELP DOG BITE VICTIM
このような曖昧な表現を解くことが出来るのは、文法体形だけである。

上の主張の根拠として、よく、ルイス・キャロルの「ジャバウォックの詩」が引用される。
文法体形の優れた意味論的記号である。
'Twas brillig and the slithy tove
Did gyre and gimble in the wabe
これらの単語は意味を成さないが、
文法的根拠によってこれらの分類をすることが出来る。
('Twasは"It was"の詩的な表現である。
the、in、didなどの機能語を頼りに考えればおのずと以下のような結果が出ると思う)
まず、"brillig"と"slithy"形容詞であり、
"gyre"と"gimble"は動詞、"tove"と"wabe"は名詞である。
これらは通常の英語には存在しない語彙であるが、
似ている単語を思い浮かべることが出来る。
思い浮かぶ単語は読者ごとに異なり、異なった内容となる。

文の意味は、語彙のみによって決定されるものではない。
上の詩に、ヒントとなる機能語が何もなかったら、
その文字の羅列から意味を掬い出すことは出来ないだろう。
また、文の意味は、文法体形によってのみ決定されるものでもない。
次の文章に、何らか意味を見出せる人は居ないだろう。
'Twas adjective and the adjective noun
Did verb and verb in the noun

意味は実際、語の適応と組み立ての、形態論的、統語論的過程によって伝えられる。
明らかに、これらの過程で語が働き続ける必要があるし、
語は、選ばれた形式、外形で、意味論的な内容を与えるものである。
語彙の意味の単位に存在するルールとしての文法体形は、
組織され、修正され、要求に合わせられている。
それが意味を疎かにすることは無い。
既に存在する意味ののっとって、文法の過程は語彙的に働く。

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世界でどのような意味が作られているのか。
同じレベルの構成要素の集まりの規則を参考に分析をはじめよう。
屈折的接辞は、二つの形態素を一つに結合させることが出来る。
"come"+(past tense)=came など。
"re-"や"un-"などの派生的接辞は、様々な語彙項目とくっつくことが出来る。
このような形態論的形式の、意味論的説明を試みてきた。
例えば、"unfix"は、"un-fix"として、お互いに分離した表現としての、
二つの意味成分(semantic component)からなると言える。

では、以下のような、一つの形態素からなる同義語をもつ派生語はどうだろうか。
 unwell=sick
 unhappy=sad
一語でなうならば、例はたくさん見つかる。
 unwell=not well
 reborn=born again など。
もしも"sick"が"unwell"の一種として捉えられるならば、
"sick"は"unwell"と同様に、二つの意味論的構成要素からなると言える。
もしこの二つの語が、異なる意味成分からなっているとすれば、
全ての語に対しても、同じ意味論成分を持つものは無い、と言えるはずである。

派生的形態素は、基語(stem)と接辞の意味が単純に足されているものではない。
"carefull"は"full of care"であるが、
"careless"は"with less care"ではなく、"with no care"である。
"-able"の接辞は受動態の略であるため、
"eatable"は"able to eat"ではなく"able to be eaten"の意味である。
動作主を表す"-er"の接辞を使った単語、"cooker"は
予想できる意味"a person who cooks"ではなく、"a device for cooking"の意味である。

語源(tymology)の歴史的変化で、基語の個別の意味は消え、接辞と混ざり合っている。
例えば"reckless"は"with no reck"ではない。
なぜなら、英語に、"reck"という名詞としての語彙素が存在しないからである。
逆に、また接辞も、それの意味が単純に加えられている訳ではない。
"re-"は一般に、動作のくりかえし"again"の意味とされるが、
"returen"は"turn again"ではないし、"recall"は"call again"でも無い。

全ての語彙素を、一つまたは複数の意味成分の発信の形であると考えられる。
動詞"return"は[come+back]、[give+back]から構築されている。
"come"は[move-self-towards]であり、対比される"go"は[move-self-away]と分析できる。
また、"give/take"は[move-something-towards/away]と書き出せる。
これらの要素は音の区分に似ている。
音声の最小対(minimal pair)である"come"/ kʌm /と"gum"/ gʌm /と同様に、
意味の最小対としての"come"[movement+here]と"go"[movement+there]である。
このような成分分析(componental analysis)で、
語彙の中に記号として存在する気味論的特徴を書き出し一覧にすることが出来る。
当然、結果は多量で複雑で混乱を招くものとなるだろう。
成分分析の基本的な目的は、ある特定の概念のカテゴリーや、
特定の要素を含んだ表現に見られる、意味論的法則を調べることである。
それは、"come"と"go"で問題となった「方角」から、
「過程」、「場所」、「所有」、「状態」、「容積」、「因果関係」などである。
これらを利用することによって、
語彙素の、字面通りの明示的意味(denotation)から、
語彙素の間に存在する意味関係(sense relation)へと話を深めてゆくことが出来る。

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「方角」という基準を用いて、"come"と"go"の違いを説明できるとしたが、
これはその他の対立についても、言える事である。
"give/take"、"arrive/depart"、"push/pull"、"send/receive" など。

これらの語の組み合わせは、
行為に共通点があるが、反対の方向性を表わす語である。
これらの性質を反義性(antonymy)という。
これらの語の中で、ある共通の性質を持つ語の組み合わせがある。
"give/take"や"buy/sell"などがそうであり、
これらの語が持つ性質を正反対性(converseness)と言う。
一方が起こると、必ずもう一方が生じなければならない事例である。
つまり、XがYにものを売れば、YはXからものを買わなければならない。
これは「方角」だけの関係ではなく、"above/below"の「場所」や、
"parent/child"といった「相関関係」にもいえる。
AがBの親であるならば、BはAの子でなければならない。

次に、違った種類の反対の意味について、考えなければならない。
"big/small"、"long/short"、"thin/fat"、"far/near" など。
これらは完全に反対の関係であるわけではない。
とある基準と、何かを比べての、違いの程度を示すものである。
大きいネズミは、小さい象と比べたら、小さい。
このような種類の形容詞は段階的なものであると言える。
"very"や"extermely"を加えて強調することができ、
比較級(omparative degree)や最上級(superlative degree)という表現が出来る。
このような語彙は、上記の「方角」に関する語彙も同様に、
範囲の構成要素であることを制限されることは無い。
"happy/unhappy""は段階的であるが、
"male/female"や"married/unmarried"は決して段階的ではない。

"happy/unhappy"と"married/unmarried"を、他の意味関係の例として考える。
昨日の考察では、接頭辞"un-"は明示的意味において、合わさった語と同等である。
つまり、"unhappy"="sad"であり、"unmarried"="single"である。
接辞のついた語は、明示的に反義性が読み取れるが、
二つの語が一つの語に対して、同等な反義性を持っている例はたくさんある。
"sell"に対する"buy"と"purchase"や、
"arrive"に対する"depart"と"leave"である。
これらの語の組合わせが持つ性質を、同義性(synonymy)と言う。

さて、昨日は"come"を[move+self+towards]と分析したが、
意味の素性としての"move"は、数え切れない程の語彙の明示的意味として表れる。
"walk"は[move+on+foot]であると言える。
しかし、"walk"も、意味論的に他の語彙に組み込まれている。
例えば、"march"、"amble"、"stroll"、"tramp"、"stride"などである。
このとき"walk"は上位語(superordinate)であり、その他は従属的な語である。
このような"walk"とその要素を含む他の語彙との関係を、包摂関係(hyponymy)と言う。

この関係は樹形図に似ている。
「動物」は「哺乳類」の上位語であり、「哺乳類」は「げっ歯類」の上位語であり、「げっ歯類」は「ハツカネズミ」の上位語である。
包摂関係の同じ場所に二つの語彙が現れたとき、それを類義語(synonym)と言う。
"amble"と"stroll"がそうである。
この二つは上位語である"walk"に対して同等の包摂関係にある。
これらは、記号の要素としての明示的意味の同等性を対象としなければならない。
ここで言う類義語は、意味論的な関係である。
類義語の意味する範囲を広げると、
コミュニケーションの文脈において実際に使われる語としての機能も含まれてしまう。
それは語用論(pramatics)の範囲である。

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この章では、
派生の接辞による、意味成分の発信の方法について、話してきた。
その次は、語が、どのように意味論的に関係しているかを考えた。
しかし語彙と言うものは、常にひと単語で居るわけではない。
動詞句や名詞句など、ふたつの語の組み合わせで出現することもある。

もちろん語彙も大きな語彙の塊となる。
例えば、一つの形態素からなる"often"と、
複数の接辞からなり形態論的に複雑な"repretebly"を例に挙げる。
この二つの単語は"over and over"や"tome after time"の意味を表す、類義語である。
上の表現のような、決まり文句(formulaic phrase)は、
完成された意味の単位として、一つの語彙のように扱われる。
複数の意味成分が混ざり合わさることなく、
分離した語として表現を見ることが出来ることが特徴である。

このような決まり文句は複合語(compound word)であり、
語の結合としての、統語論的語彙ではない。
"tome ater time"の語は分離しているが、文法的には独立していない。
したがって一つの語彙素として、"time"を複数形にしたり、冠詞を加えたりは出来ない。
これらの語は固い組織の中に合成されてしまているので、統語論は中に入れない。
このような複合語は英語には数え切れないほど存在する。

語彙の配列である連語関係(collocation)は結束が固いが、統語論的に修正されたものも多くある。
しかしそれも限界がある。
語の合成から、結合関係へと移動するところに、
語彙(lexis)と統語法(syntax)との間に不確かだが境界線がある。

意味論は、個別の、形態素や語の単位に意味を割り当てるだけではなく、
それらがどのように結びついたのか
それらどのようにお互いに作用しているのかなど、
形態素や語の関係性を考慮している。
意味論は形態論と語彙と統語論の複雑な相互作用である。
とても複雑だが、全ての意味を網羅してはいない。

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意味論は、言語の中の意味の研究である。
言葉が何を意味しているか、という研究である。
これとは別に、語用論(pragmatics)は、
人が、言葉によって何を意味したいのか、
どうやって意味を表現しているのかを研究する分野である。

例えば、以下の文を解読してみる。
the parson may object to it.
"the"とは、定冠詞であり、
限定詞のシステムの中で他の"a"や"this"などの表現と区別している。
"parson"は宗教関係の職の名詞であり、
上位語としての"clergyman"と包摂関係にある。
私たちは英語の文法知識によって
"the parson"が構成要素としてどのような機能を果たしているかがわかる。
"may"が動詞句の、様態を現す要素であることがわかる。
そして、この表現が統語論的に、完成された文である事が言える。
しかし、とある文脈の中で実際の言葉として、
この表現によって何が意味されたのかはわからない。

誰かが会話でこの表現を使用したとしたら、
これはどういう意味だろうか。
この言葉をどのように解釈したら、意味論的基準をもってこの文を解読できるだろうか。

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