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言語学において、音声学者は音について、辞書編纂者は語について、文法学者は文についての疑問から学問の分野が始まる。
この章では、語の形についての研究の素描を述べてゆく。

音声学と音韻論

言語の知識と行為の二分法において、
行為は、幾つかの物理的なメディア、を使用している。
空気の波や、紙の上の記号、電流などがそうである。
話し言葉(spoken utterance)、書き言葉(written utterance)という区別をしているが、
私たちはどうやって言語を知覚しているのか。

音声に関して言えば、私たちは重要な違いのある音だけを区別している。
すべての音声を掬い取り、音声としてではなく音素(phoneme)として知覚している。
無視される、様々な違いのある音声を同じ音素の異音(allophone)という。
音素と言う概念は完全に抽象であり、
異音の存在によってのみ現実のものとなる。
書き言葉に関しても同じである。
紙の上の文字には注目すべき特徴があり、ひとつひとつの歪みを無視して、
抽象概念である書記素(grapheme)として知覚している。
音素や書記素は決して物理世界に出現することは無い。
実際に話され、書かれる音声と文字は行動の構成要素であり、
典型としての音素と書記素は知識の構成要素である。

異音を明らかにし、音声が実際にどのように発音されているかの研究は、
音声学(phonetics)の範囲である。
音素と、それらの音声システム内での関係性に関する研究が、
音韻論(phonology)の範囲である。
ただし、抽象は常に現実の音を根拠に成り、
実際の音は、それが明らかにした抽象に言及することによって成っている。
この二つの学問分野は、本質的に相関している。

まず、音声現象の最小単位は二つある。
母音(vowel)子音(consonant)である。
先ほど述べたように、これらをどのように発音するかは音声学の範囲であり、
これらがどのように関係性を築き、出現するかは、音韻論の範囲である。
音韻論の記述は、一般の物理的描写の妥当性を認めながら、
音声区分の理想化を定義し、
単語の中での音の分布を定義する、その他の因子の存在を示す。

第三章(04/20)で見たように、/ p /には、気音についての違いが存在する。
これは、音声学的な音声に関する物理的事実であるが、
語と語と区別するような意味のある違いではない。
すなわち、気音を伴う音声と、気音のない音声は、音素/ p /の異音である。

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発話は、母音と子音の羅列では無い。
音は、より大きな区分である音節(syllable)へと組織される。

/ pɪt /(Consonant,Vowel,Consonant)、/ spɪt /(CCVC)、/ splɪt /(CCCVC)は一つの音節を構成している。
/ spɪrɪt /(CCV-CVC)は二つの音節からなり、
/ spɪrɪtɪd /(CCV-CV-CVC)は三つの音節からなる。
音節は普通、ひとつの母音を持ち、その前後の子音群からなる。
もちろん母音のみの音節をある。例えば"eye"/ aɪ /は(V)である。
このような音節の構成要素の分配は、言語ごと、方言ごとに異なる。

また音節は、子音ごとの音韻論的特徴に関しての基準となる。
例えば、音節の最後に/ b /は出現しない。
"lamp"は/ lQmp /と発音されるが、
"lamb"は決して/ lQmb /とは発音せずに、/ lQm /になる。
無正音である/ s /は、子音が3つ重なる場合には、必ず音節の先頭に来る。
"string"、"spring"、"sretch"などがそうである。
二番目に出てくるとき("psyche")は"p"が発音されないので、音声は/ s /が先頭。
また、/ kn /という子音の組み合わせは出現しない。
現れるときは、"likeness" / 'laɪknɪs /(CVC-CVC)のように音節の境界をまたぐ。

一つの語に音節が複数存在するとき、
ひとつの音節は、そのほかの音節よりも強調されて発音される。
これがもう一つの音声の現象、強勢(stress)である。
強勢には、現れる場所の選択の自由は無い。
英語では、名詞は最初の音節に強勢があり(PARson, WRITness, WEDding...)、
動詞には二番目の音節に強制がある(inSPIRE, deCIDE, proVOKE...)。
しばしば、強勢の位置で単語の意味を区別することがある。
REcord(noun)-reCORD(verb), REfuse(Noun)-reFUSE(verb)...
この固定された区別は、明らかに語の属性であると言える。

また、話者が言語外の意味を含めて、発話の強勢を調節することがある。
 The chairman may resign.
と言う文があったとき、通常はCHAIRmanとreSIGNに強勢がある。
よりCHAIRmanに強勢を置くことで、
「(他は誰も辞任しないだろうが、)その議長は辞職するだろう。」という含みを持たせる。
また、通常強勢を置かないMAYを強く発音することで、
「その議長は辞職するだろう(が、またあるいは、しないかもしれない)。」となる。
このように話者によるの個別の強勢は、超分節的(supersegmentally)に行われる。

そして私たちは、発話において、強勢だけでなく音の高さ(pitch)をよく利用する。
この二つによって独特の抑揚(intonation)がつくられる。
言い方を強くしたいときは、reSIGNに強勢を置き低く発音する。
疑問文にしたいならば、reSIGNの強勢を高く発音する。
また、CHAIRmanの強勢を高く発音することによって、
「なぜ議長が?」という疑問を強調する発話となる。

音声学と音韻論は、個別の音から始まった研究であるが、
音節や語のような、より大きな単位に関する記述も含まれている。
私たちは細かな違いを表すために、強勢や音の高さを使っている。
音声学と音韻論の目的は、音声システムを使って、私たちはどのように無限の意味を創造しているのかを明らかにすることである。

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次は、語の構成について、形態論(morphorogy)的な描写をしてゆく。
昨日述べたように、
"parson"は二つの音節に分かれる。
"parting"も同様に、二つの音節からなっている。
"parting"は特に、語彙要素としても、二つに分けることが出来る。
第三章(04/22)で見たように、
"walking"、"building"、"passing"など、"-ing"は無数の単語と連結して出現する。
"part"、"walk"、"build"、"pass"などのように、
独立した語として出現できる要素を自立形態素(free morpheme)と言い、
"-ing"のように、そのほかの語彙と結びつき出現する要素を、
付属形態素(bound morpheme)と言う。

では"parson"はどうだろうか。
"par-"で始まる単語は数多くあるが、それ自体に意味は無い。
"par-cel""par-king""par-ticle"など、後ろの語彙を説明することが出来ない。
境界を変更し、"pars-on"と考えても同様に、二つの構成要素に別れることはない。
従って、"parson"は二つの音節で一つの形態素(morpheme)であり、
"parting"は、二つの音節で二つの形態素から成っている事がわかる。

ただし、こんなに単純な説明だけでは終わらない。
"parson"は名詞である。
"parting"は、"the parting of the ways"では名詞であるし、
"They were parting company for good"では現在分詞である。
前者の考えでは、"-ing"は動詞の語彙を名詞にする。
後者の考えでは、"-ing"は一時的に語彙の形を変えただけであり、
動詞の現在形の代わりに、現在の進行相を現している。

形態論には二つの現象がある。派生(derivation)屈折(inflection)である。

派生は様々な接辞(affix)が語彙や語根に結合することでおこる。
"de-"、"re-"、"un-"、"dis-"のように語根の前につくものを接頭辞(prefix)と言い、
"-able"、"-age"、"-ize"、"-ful"のように後ろに付くものを接尾辞(suffix)と言う。
これらの要素によって、様々な結合による創造を法則化できる。
音と音の結合で語を形成した、音韻論的な結合との違いは、
派生形態論(derivational morphology)は、語彙を作る、意味の結合であることだ。

一方、屈折形態論(inflectional morphology)は、新たな語を作り出さない。
これは主に文の中で行われる現象である。
英語の、動詞の過去形"-(e)d"や、名詞の複数形"-(e)s"がこれにあたる。
屈折形態素は音素と同様に、抽象的なものであり、
音素に異音があるように、実際の現れとしての異形態(allomorph)がある。
例えば、"pert-ed"の発音は/ ɪd /であるが、
"pull-ed"は/ d /で母音がない、さらに"push-ed"は/ t /と無声音化してしまう。
"sleep"にいたれば、"slept"となり、音も綴りも原型と大きく変わってしまっている。

音節と形態素は一致しない、ということは重要である。
特に屈折形態素においては、それが語根と別れた音節として出現しないこともある。
形態論には、二つの研究分野が存在する。
屈折形態論は、やがて意味論へと展開する可能性のある分野であり、
派生形態論は、文の中での単語の役割を研究する統語論(syntax)へ続く。

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"-(e)d"や"-(e)s"のような、屈折的な付属物は
句や文の構成要素として、語を機能させる装置であると言える。
この、語が適応すべき、より大きな構造を統語論(syntax)と言う。
形態論では、語が、どのように文中に順応させられるかに注目したが、
統語論では、語が文中でどのように他の要素と結合しているかに注目する。
明らかに、
この二つの分野は相互に依存しているし、
両方とも、文法体形(grammar)の研究の一部である。

屈折も何も無い原型の語群で、統語論的な考察を見てみる。
 church gothic in live artist
を、意味の通じる文に並べて変えてみる。
ひとつひとつの単語を詳しく見てみると、
"artist"と"church"は名詞で良いだろうから、主語か目的語になる。
"gothic"は"realistic"、"rustic"、"fantastic"などから、形容詞であるように見える。
形容する名詞は、"church"の方が適切であろう。
"live"はこれだけでは形容詞か、動詞か分からないが、
この語群の中に、このほかに動詞らしき単語が無いので、動詞とする。
 artist live in gothinc church
これが一番妥当であるだろうか。
これで凄く曖昧であるが、示唆している意味の分かるものとなった。
「一人なのか、何人もいるのか分からないが、芸術家が、
これまた数の不明なゴシック形式の教会に、住んでいる。それが、今の話なのか過去なのか分からないが、とりあえずそのような状態がある。」

さて、屈折を考慮すれば、もちろん分かりやすい文になるだろう。
まず、動詞は時制(tense)相(aspect)を決めなければならない。
現在なのか過去なのか、そしてその動作は進行しているのか完了しているのか。
そして名詞に関しては、数(number)定性(difiniteness)を決める。
それは一つなのか、複数個あるのか、
そして、みなが知っているそのものなのか、不確定多数のものなのか。
このような文法システムに適用させれば、多くの可能性が出来上がる。
The artist lives in a gothic church.
An artist lived in a gothic church.
The artist was living in a gothic church.
Artists live in gothic churches.
Artists have lived in gothic churches. など。

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昨日の分析の過程から、
以下のことが指摘できる。

名詞と動詞が通る文法システムは、相互に調節されなければならない。
特に名詞の数と動詞の関係は深い。
より大きな構造である文の、相互に依存した構成要素として、
適応されなければならない。

そして、昨日のサンプルは屈折しか扱っていない。
文法的な役割を果たす機能語(function word)と呼ばれるような、
名詞や動詞から分離した形態素も存在する。
機能語は、大きな構造の構成要素であると同時に、
構成要素へと構築されたものである。
動詞には助動詞(auxiliay)と呼ばれるものがある。
"live"でも"lives"でもなく、"is living"や"has lived"と言ったものである。
名詞につく限定詞(determiner)にはおおきく三つあり、
"the artists"や"an artist"などの数や定性の目印となる冠詞(article)、
"that artist"や"these artists"などの対象を示す指示詞(demonstrative)、
"his artist"や"their artists"などの所属を示す所有格(possessive)である。

そして限定詞と名詞の間に介在することが出来る、形容詞がある。
"the gothic church"のような構造である。
このとき、形容詞の語を増やすと、例えば"old"と"derelict"を加えると、
"the derelict old gothic church"の語順に確定される。
この制限は曖昧なものではない。
名詞に近ければ近いほど、名詞との関係が密接な形容詞であることを示す。
この特徴は些細なものに思えるかもしれないが、
示された内容は否定できないものである。

言語の構造上の性質は、形式の観点からの分析が可能である。
語が結合の際に正しく組み合わせられるように、
それらを特定の方法で屈折的に修正させる機能を持つ、統語論的制限についての話をしてきた。
私たちの話していた語順や句や文の制限などの文法は、
情報伝達における長所である。
人々が表現したい現実を発信できるように、
形態論的に適応したり、統語論的に組織するのである。
文法は、文脈でのより適切な方角に正確に焦点を合わせるための道具である。
"Hungry?"は"Would you like to have your lunch now?"と言う意味であり、
"Door!"は、"You have left my door open, and I would like you to close it."となる。

名詞句には厳しい語順の構造の制限がある。
が、高性能な構造とは、より操縦の余裕があることを示す。
名詞句の制限が証明されたように、文における制限の緩和も証明された。
一般的に、構造が大きくなるほど可動性も大きくなる。
すべての場合において、統語論は、
語から読み取れる意味を十分に利用できるような手段となる。

構成要素の構造の規則は、統合関係(syntagmatic relation)連合関係(paradigmatic ralation)に基づいている。
これらはとてつもない種類の結合と配列を生み出す。
言語学者は時々、これを、
気になる、まごつかせるような複雑な文章の発明により確かめようとする。
その文章は敢えて、実際の生活で使われる言葉に似せてある。
が、このような文章は、統語論的な方法を説明するための装置でしかない。

このように概略を示した形態論、統語論の思考の過程は、
形式という観点においてのみの描写である。
それらは言葉の意味を広げ、情報伝達の資力を築く。

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