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名前と参照
これらの参照のバージョンは、"同定のための意図"と"意図するための認識"のコラボレーションの作品である。このプロセスは話し手と聞き手の協力だけではなく、言語野文化を共有する共同体メンバーの協力、慣習が必要だ。標準的な基礎の上で、とある存在を同定するために使われるある特定の参照表現が、慣習である。慣習の成功した日常的な表現は、その参照がある特定の存在を指名するだけのものだと見なしている。この推測は、"Shakespeare"のような固有名詞や名前を、その特定の人を指定するだけに使われ、例えば"the cheese sandwitch"のような一般名詞である表現は、ある特定の物を同定するためだけにわれると、思わせてしまう。この思い込みは間違いだ。実際の参照の語用論的視点では、"the cheese sandwitch"という表現を通してどのように人が同定されているのか、"Shakespeare"という表現を通してどのように物が同定されう得るのかを考えることができる。
たとえば、例4のa. のような質問を、生徒がもう1人の生徒にする事はおかしくないし、例4のb. のような答えを受け取る事も、おかしくない。

例4
a. Can I barrow your Shakespeare?
b.Yeah, it's overthere on the table.

この文脈では、意図された参照と、推測された参照は人物ではなく、本だ。
レストランでは、ウェイターが、他のウェイターに、オーダについて例5のa. のように質問し、b. のように応える。

例5
a. Where's cheese sandwich sitting?
b. He's over there by the window.

この文脈では、参照は物ではなく人物として同定されている。
例4と例5は、参照がどのように機能しているか明確に知ることができる。シェイクスピアの例では、ある一連の存在が、作家の名前に寄って同定されるという慣習がある事を示唆している。"作家がつくったもの"と呼ぼう。これらは、例6のような文章も意味を成してくれる。

例6
a. Shakespeare takes up the whole bottom shelf.
b. We're going to see Shakespeare in London.
c. I hate Shakespeare at school.

明らかに、この慣習は作家に限った物ではない。例7のa. のように芸術家、b. 作曲家、c. 音楽家などそのほかのプロヂューサーも当てはまる。

例7
a. Picasso's on the far wall.
b. The new Mozart is better value than the Bach.
c. My Rolling Stones is missing.

これらは、固有名詞と物の語用論的接続(pragmatic connection)として表われ、慣習的に、これらの名前と一緒に、社会文化的に確立した共同体のなかで形作られる。参照的に物を同定するために固有名詞を使うことは、聞き手が推測することを期待し、そうやって、彼や彼女を、話し手と同じコミュニティーのメンバーであるとする。このようなケースでは、言われたことより伝えられたことの方が多い問うことは明確である。
先程述べた参照解釈の本質は、例8のように、新聞の見出しで国家の名前が使われていいても読み手は意味がわかることにもつながる。例8のa. では、参照はサッカーチームであると理解され、b. は、サッカーチームではなく政府のことだと理解されるだろう。

例8
a. Brazil wins World Cup.
b. Japan wins first round of trage talks.

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co-textの役割
多くの今までの例では、私たちの、意図された参照を同定する能力は、実は多くの部分が、私たちの参照表現の理解に寄るものである。それは、参照表現についてくる言語学的材料やco-textなどに支えられてきた。例8のa. が見出しにきたとき、"Brazil"は参照表現で、"win World Cup"はco-textの一部である(残りの大部分は新聞だ)。co-textは明らかに、"Brazil"のような単語が持つ解釈の可能性の幅を、限定する。それゆえ、参照表現を通じて参照を同定する私たちの能力という点で、参照は、単独で理解されると考えるのは、間違いだ。参照表現は、実際は参照の幅(range of reference)、つまり複数の可能な参照を提供する。前の例にもどり、同じ"the cheese sandwich"を使ってco-textの違う、異なる解釈を導く例9のa. とb. を見てみよう。

例9
a. The cheese sandwich is made with white bread.
b. The cheese sandwich left without paying.

もちろんco-textは参照表現が使われている環境の言語的な部分である。物理的な環境、あるいは背景は、どう参照表現が解釈されるべきかについて非常に強い影響を及ぼしていると、簡単に理解できる。レストランの物理的な背景、あるいはそこで働いているもの同士の会話は、b. の解釈は非常に重要である。同様に、例10のa.は背景は病院であるし、b. は歯医者、c. はホテルの受付である。

例10
a. The heart-attack mustn't be moved.
b. Your ten-thirty just cancelled.
c. A couple of room have complained about the heat.

例10は、場所的な文脈と、聞き手の局地的な知識に依存した参照の分析のヒントを与えてくれる。それは非常に、推測の基礎として、現地の社会文化的慣習に対する詳しさに依存している(例えばもし、看護師の間では、病気の名前で病院に居る患者を同定しているのであれば)。これらの慣習は、ある社会グループとその他のグループで、相当違う。そして、言語間でもかなり違う。参照は、単語や句の意味と、世界の物や人物の単純な関係ではない。それは、話し手が、物や人物を意味するために選んだその単語や句が、話し手の意図のように解釈されるという、社会行動である。


前方照応的参照
これまでは、参照の単独の行動を考えてきた。しかし私たちの話や書くことのほとんどは、同時にひとつ以上の文章についての話についてゆかねばならない。冒頭、いくつかの存在の紹介のあと、話し手は例11のような参照を保持するためのさまざまな表現を用いるだろう。

例11
In this film, a man and woman were trying to washa cat. The man was holding the cat while the woman poured water on it. He said something to her and they started laughing.

英語では、最初の参照や紹介ではよく不定形である("a man"、"a woman"、"a cat")。例11では、定形("the man"、"the cat"、"the woman")と代名詞("he"、"her"、"them")は、すでに紹介された参照のその次の参照で、一般的に前方照応的参照として知られている。専門用語では、2回目やそのあとの表現は、照応形(anaphor)といい、一番はじめの表現は先行形(antecedent)である。
前方照応的参照を、先行で示されたものと同じ存在と意味することを持続させるプロセスとして考える気になってしまう。多くの場合、この仮定は、解釈とは少し違う。いくつかの変化や効果が描かれている場合、前方照応的参照は違うように解釈しなければならない。レシピからとった例12では、最初の参照表現"six potatos"は、照応すえう代名詞"them"の解釈と何か違う物である。"them"は"the six peeled and sliced potatos"と解釈されなければいけない。

例12
Peel and slice six potatoes. Put them in cold water.

先行 - 照応の入れ替わるパターンも時々、例13のような物語の始まりで見られる。

例13
I turned the cornerand almost stepped on it. There was a large snake in the middle of the path.

代名詞"it"が最初に使われ、次の文章の完全な名詞句が現れるまで、解釈が困難である。このパターンは専門的に後方照応(cataphora)としても知られていて、前方照応よりは珍しい。
英語では前方照応的参照が使われた表現の幅がひろい。もっとも一般的な形式は、例14のa. で使われている"it"のような代名詞だが、例14のb. のような定名詞句もよく使われる。

例14
a. Peel an onion and slice it.
b. Drop the slices into hot oil.
c. Cook for three minutes.

c. のように言語学的表現がなく、何を調理するのか解釈するには存在の同定が必要なとき、それをゼロ照応(zero anaphora)省略(ellipsis)という。参照保持としてのゼロ照応の使用は、聞き手が話し手が意味したかった人や物を推測できるということが期待されている。これも、明確に、話されことよりも伝えられた物が多いケースである。
照応形が、先行と言語学的につながっていないときも、聞き手は特殊な推測をすることを期待されている。
これは、1章で自転車の例でみたことでもある。例15で詳しく見てみよう。

例15
a. I just rend a house. The kitchen is really big.
b. We had Chardonnay with dinner. The wain was the best part.
c. The bus came on time, but he did't stop.

例15のa. では、照応的接続のために、(もしxが家ならば、xは台所を持っている、というような)推測が求められる。b. のような推測は、(シャルドネがワインの種類である、という)より専門的な知識をもっているという仮定に依存している。加えて、c. では、(バスには運転手が居るという)話し手にとってあまりにも無意識の推測と思われるし、前方照応的参照の代名詞とすぐにわかる。この例では、先行"the bus"と照応"he"が文法的に一致していない。既に指摘されているように、成功する参照は、ことばそのものや、参照の無いようと選ばれた参照表現の文法的な正しさに拠るものではない。"sandwich"という単語は人物を意味し、代名詞"he"と照応する。参照の意味を成す鍵は、語用論的プロセスである。それによって、話し手は、とある存在を同定する意図と、また話し手が意図した表現の解釈と共同する聞き手の仮定と一緒に、言語学的表現を選ぶ。
参照の社会的側面は、共同作業の効果とむすびついている。最小限の表現であっても、参照の意味の即座の認識は、共有されている何か、共通の何か、それから社会的な親密さをを示す。
成功した参照は、推測によって意図が認識され、共有の知識な社会的結びつきを示していることを、意味している。共有の知識の仮定は、前提の研究とも、きわめて関係深いことである。

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前の参照についての話しでは、ある情報を聞き手が既に知っているという話し手の仮定という考えを訴えた。既知であると扱われているために、そのような情報は一般的に言及されないし、それ故に、言われていることよりも多く伝えられている部分として数えられる。専門用語では前提と含意といい、情報の異なる2つの側面を描写している。
注目すべきは、かつて前提と含意は、いまよりも語用論の中心として捉えられてきたことである。昨今のアプローチでは、前提と含意のような、現象を論理的に分析する専門的な議論への興味が少なくなってきてる。この分析的な議論の紹介無く、現代の意味論と語用論の発展の関係を理解するのは難しい。この章は見ることができる意味のいくつかの側面の分析におけるいくつかの問題を通して、この考え方の過程を説明する。では用語の定義から始めよう。

前提(presupposition)は話し手がかつ忘る時に最優先であると仮定するものだ。文章ではなく、話し手が、前提を持っている。含意(entailment)は、発話の中で断言されたことに論理的についてくるものだ。話し手ではなく、文章が、含意している。
私たちは、例1の発話にくみこまれた、潜在的な仮の情報を同定することができる。

例1
Mary's brother bought three horses.

この発話するとき、話し手は普通、メアリーと呼ばれる人は存在して、兄弟がいるという前提を期待する。話し手は、もっと特定の前提、メアリーは1人だけ兄弟がいる、そして彼はお金持ちだというような前提を持つかもしれない。これらの前提は、話し手のもので、実際と異なる事もある。例1の文章が含意しているのは、メアリーの兄弟は何かを買い、メアリーの兄弟は動物を買い、メアリーの兄弟は2頭の馬を買い、メアリーの兄弟は1頭の馬を買った、など同じような論理的な結論がたくさんある。話されて伝えられたことに関わらず、これら含意は、文章からでてくるものである。しかしその論理的性質から、含意は、一般的に現代の語用論では議論されない。前提の話し手に依存した気づきんほうがよく議論される。

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前提
この多くのコンセプトの議論では、前提は、2つの命題の関係として扱われる。もし例2のa. の文章が命題 p を含み、例2のb. の文章が命題 q を含んでいるのであれば、>>の"前提"という記号を用いて、この関係を例2のc. のように表記する。

例2
a. Mary's dog s cute. (=p)
b. Mary has a dog. (=q)
c. p >> q

興味深いことに、否定する(=NOT p)ことで例2のa. の反対の文章を作るとき、例えば例3のa. ように、私たちは前提の関係は変わら無い。つまり、例3のc. にあるように、同じ命題 q が、例3のb. で繰り返されているが、NOT p の前提となっているのだ。

例3
a. Mary's dog isn't cute. (=NOT p)
b. Mary has a dog. (=q)
c. NOT p >> q

前提の特性は一般的に否定のもとの恒常性(constancy under negation)と表現される。基本的に、発言が否定されていても、発言の命題は恒常的に変わらない(正しいままだ)ということだ。他の例を挙げると、あなたが誰かの発言、例4のa. に賛成しない(例4のb. にあるような)状況を考えて欲しい。

例4
a. Ebrybody knows that John is gay. (=p)
b. Everybody doesn't know that John is gay. (=NOT p)
c. Jhon is gay. (=q)
d. p >> q & NOT p >> q

発言する時に、話し手が p の妥当性には賛成できないが、q を真実だと推測していることに注意してほしい。例4のd. にあるように、否定のもとの恒常性を保ちながら、命題 q は、 p と NOT p の両方に前提とされている。

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前提の種類
話し手の過程ががどのように表現されるかという分析では、前提は大量の単語や句や構造の使用によって関連している。これらの言語学的形式を潜在的な前提(potential presupposition)として捉えるべきである。それは、話し手の文脈での、実際の前提にだけなる。
例1や例3に既に説明しているように、英語の所有格の構造は、存在の前提と関連している。実在的な前提(existential presupposition)は、所有格の構造で(例えば、 your car >> you have a car )だけでなく、もっと一般的にはどんな定型の名詞句でも、存在としてみなされている。例5のどの表現を使うことによっても、話し手は、名付けられた存在物の実在を約束するものとして見なされている。

例5
the King of Sweden, the cat, the girl next door, the Counting Crows
実在的な前提の基本はあとに考え直すとして、はじめに、例4にある違う前提の種類に注目してみよう。例4では、前提として q と、構造の中に動詞"know"がある。"Everybody knows that q"だ。その"know"のような動詞に続く、前提とされる情報は、真実として扱われ、叙述的な前提(factive presupposition)として描かれる。その他の多くの動詞、例6のa. の"realize"、例6のb. の"regret"、例6のc. の"be"と"aware"、例6のb. "odd"、例6のe. "glad"も、叙述的な前提を持っている。

例6
a. She didn't realize he was ill. ( >> He was ill)
b. We regret telling him. ( >> We told him)
c. I wasn't aware that shi was married. ( >> She was married)
d. It isn't odd that he left early. ( >> He left early)
e. I'm glad that it's over. (>> It's over)

<語彙的な前提の例として圧合われる他の形式も、たくさんある。一般的に、語彙的な前提(lexical presupposition)では、強く主張された意図のある形式の使用は、慣習的に、ほかの(主張されていない)意図が理解されているという前提があると解釈される。誰かが何かをうまくやった"managedという時はいつも、主張された意図はその人が何らかの方法で成功しているということだ。誰かがうまくやってなかった"didn't manage"というとき、主張された意図は、その人が成功していないということだ。しかしどちらの場合も、その人が何かをしようと試みたことが、前提とされている(主張されていない)。従って、「うまくやる」とは慣習的に成功していると主張され、試みていることを前提としている。その他の例では、"stop"、"start"、"again"のような語意が、例7のような前提を持っている。

例7
a. He stopped smorking. ( >> He used to smoke.)
b. They started complaining. ( >> They weren't complaining before.)
c. You're late agan. ( >> You were late before.)

語意的な前提の場合、話し手の特定の表現の使用は、他の(発話されていない)コンセプトを前提としているとみなされる。それに対して、叙述的な前提では、ある特定の表現は、そのあとに述べられる情報が真実であることを前提としている。
特定の単語や句を使った前提に加えて、構造的前提(structural presupposition)もある。この場合、ある特定の文構造が慣習的にまた恒常的に、構造の一部が既に真実をいみしていると、前提としていると分析される。話し手はこのような構造を情報を前提とし、聞き手に真実であると受け入れさせるために使うことができる。たとえば、例8のa. とb. のように、英語での wh-疑問文構造は慣習的に、wh-疑問詞の後ろは既にそうであると知られている情報であるという前提として解釈される。

例8
a. When did he love? ( >> He left)
b. Where did you buy the bike? ( >> You bought the bike)

例8にあるこの種の前提は、ただ単にある人が質問をしているという前提よりも、聞き手に提示された情報が必然的に正しいと信じるように導くことができる。例えば、あなたが夜に交差点に立っているとしよう。車が交差点に進入する前に、信号が赤に変わったかどうか気付かなかった。交通事故を目撃し、あとで例9のような質問を聞かれる。

例9
How fast was the car going when it ran the red light?

もし、聞かれた通りに、車の速度を予測してこの質問に応えたとすると、あなたは前提( >> the car ran to be red light)の正当性を受け入れたということになるだろう。このような構造に基づく前提は、話し手が信じている情報を聞き手も信じるべき情報であるようにする、繊細な方法をあらわす。
今までのところ、前提が真実であると思われる文脈だけを考えてきた。しかし、英語には、おおくの動詞と一緒に用いられる非叙述的前提の例もある。非叙述的前提(non-factive presupposition)は真実とは思われないものである。例えば、例10にあるdream"、"imagine"、"pretend"のような動詞が、その後には続く真実ではないことの前提とし一緒に使われる。

例10a. I deamed that I was rich. ( >> I was not rich.)
b. We imagined we were in Hawaii. ( >> We were not in Hawaii)
c. He presented to be ill. ( >> He is not ill.)

非叙述的な前提と解釈される構造は、直示の議論の最後で既に見てきた。加えて、この種の構造は、反叙述的前提(counter-factive presupposition)を作り出す。それは、前提されたことが正しくないだけではなく、真実とは反対、あるいは事実とは反対であるという意味である。例11にある種の条件文構造は、一般的に、反叙述的条件と呼ばれ、if節は発話された時は、真実ではないという情報を前提とする。

例11
If you were my friend, you would have helped me. ( >> You are not my friend)

非叙述的前提の存在は、複雑な構造の発話の分析において非常に興味深い問題である。一般的に投射問題として知られているが、これは次のセクションで詳しく見てゆこう。

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