Investigating language
チェスがどのように進んでいくかを、観察だけで、発見していくことを想像してほしい。試合の流れを見て、駒の動きを記録を分析する。誰もあなたに助言をしてくれないし、ルールブックも見てはいけない。
それでも、ある程度のルールを素早く見つけ出す事が出来るだろう。例えば、ビショップは対角線上に進む。キングは一度一コマしか進めない。
その他のルールはもっと分かりにくい。例えば、キングとルークを同時に動かす、キャスリングという不自然で複雑な一手がある。これは一試合で一回しか行う事が出来ない。キャスティングのルールを知るために、たくさんの試合を観察し、何回も仮説を確かめる必要がある。
それでは、何百、何千の駒があったらどうだろうか。
プレイヤーは全員が同じルールに従っている訳ではなく、間違いも良くする。その間違いが、間違いであると言うことも、あなたには分からない。
これは、言語学者が言語の規則を導きだそうとしているのと同じである。
言語を使用する能力、言語能力(competence)は、使用者のそれぞれの頭の中に少しずつ違う形で共有されている。能力の証拠である言語運用(performance)とても複雑でバラエティーに富んでいる。そして、言語能力と言語運用の関係性は、決して一直線ではない。
Form outside to inside
1950年代から、言語学の研究の焦点は言語運用から言語能力へと移っていった。紙の上やテープレコーダーの中の文法から、頭の中の文法に注目が映った。
ノーム・チョムスキーの「文法の構造(Syntactic Structures)」が1957年に出版されてから、多くの学者にとって、文法の研究は記述的なものから解釈的なものになった。この立場では、研究の目標は、ただ実際の言語に観察される規則を抽出するだけでなく、深層にある精神的な規則を明らかにする事である。その規則とは、言語の中で、全ての可能な文法的な文章を生成し、非文法的な文章は無い。
そうして最終的には、人間言語に普遍的な性質を明らかにしたいと考えている。
規則は、非文法的な文章を生成しないという考えはとても重要だ。
記述文法家たちは、伝統的に「そこにあるもの」に注目してきたが、使用者が無意識にしている規則化の方法を探るために、「そこにないもの」に対する注目も、同じぐらい重要である。
例えば、再帰代名詞の適切な説明のためには、何故再帰代名詞を用いるのかだけでなく、'*When they left they took the dog with themselves.'が不可能であるように、なぜ再帰代名詞を用いないのかを説明する必要がある。
このような問いは、誘出法(elicitation test)と呼ばれる方法で分析する事が出来る。これは、ある状況を説明する文法的な文章を、人々に作らせる方法である。あるいは、文法生判断テスト(grammaticality judgement test)がある。これは、用意した文章に、文法性の点数をつけてもらう方法である。
この方法で、あまり出てこない文章を調査する事が出来、安定した秩序と、単純なテストでは現れない制約(constraint)を明らかにする事が出来る。
英語では例えば、'wh'抽出と言われるものがある。埋め込み文への問いであっても、主文での'what'が使用出来る。'What did John think Ann told Peter she had bought?(ジョンは、アンがピーターに、何を買ったと教えたと思っているのですか。)'しかし、次の文で「アンが何を買ったか」を問う事は出来ない。'What did John get cross because Ann told Peter she had bought.(アンがピーターに何を買ったと言ったから、ジョンはふて腐れているのですか。)'(このような例文群の評価で、'what'と'bought'の間に、どこまで複雑な文章が介入する事が可能なのかを、計る事が出来る。)
このような関係構造の範囲に渡って、文法評価を引き出す事で、研究者は、下層にある生成文法(generative grammar)を築く事が出来る。生成文法とは、母語話者の慣用法を操作し制限するものである。
強力で効率的な発生源である規則の研究は必然的に、文法を、表面的な記述から、抽象的な公式へと導いた。
例えば、英語の生成文法では、名詞句と形容詞句と前置詞句と節構造が、全て同じ下層の構造を持つ。しかし表層にはその構造は現れない。このように、深い部分にあるひとつ規則によって生成されている。さまざまな構造の表面的な違いは、話し言葉や書き言葉などでの現実化と抽象的な構造を結びつける規則によって説明される。
この方法では、単純に見える文章もかなりの分析が必要になる。
Learnability and universal grammar
以上のような報告が、とてつもなく複雑で未だ完全に理解出来ない構造的な原理により、作用するものとしての言語を描き出す。
これはもっと重要な問いを導きだす。子供達は、どのようにして、日常的に苦もなく母語を習得しているのか。
入力はきれぎれで不完全である。親の言語は、子供が下層の構造を理解し機能させるためには、不十分でばらばらで雑多なモデルのように思える。実際、入力は、実行されている安定して複雑で文法的な制約の根拠にはならない。例えば'wh'抽出を含む構造は珍しく、子供はその文章を作れないし、間違いを修正する事も出来ない。
事実として、言語の知識は、入手可能な入力によって決定するのではない。このような刺激の不足を理由に、多くの言語学者が、言語の知識には既に繋げられているものがある、と主張している。私たちは、生まれながらに言語の知識を持っている、という主張だ。
これは、遺伝的な才能によって、子供達はまず、どのように言語が組み込まれているかに関して知識を持っていると仮定する。そのため、一度の言語の入力で、子供達はすぐさま既存の枠組みに母語の詳細を当てはめる事が出来る。ガイドラインもなく与えられた記号を解読する必要な無い。
1950年代から、多くの言語学的研究は普遍文法(universal grammar)の性質を探る事であった。そしてさまざまなモデルが提示された。
もっとも影響力があった枠組みは、チョムスキーが1980年代に提唱した原理(princilpe)とパラメーター(parameter)である。簡単に言うと、私たちの遺伝的な才能は、全ての言語が従う原理に関する知識と、変える事が出来る特定のパラメーターに関する知識を含んでいる。
よく引用される原理の例は、依存構造(structure-dependency)である。2章で述べたが、言語の操作は、単語よりも構造と関係している。例えば英語の疑問文を作るプログラムを組むとして、一番始めの動詞を操作する、というような単純な方法では出来ない。
That man is Greek.→Is that man Greek?
That man who is laughing is Greek.→*Is the man who laughing is Greek?
2番目の文章で操作を正しく行うためには、最初の'is'は主語の名詞句の中のもので、主動詞ではないと知っていなければならない。
そしてパラメーターの例は代名詞主語省略(pro-drop)である。主語の代名詞を省略する事が出来る言語がある。例えば、通常、イタリア語では'He/She has paid'は'ha pagato(has paid)'と言う。主語を言う必要がある特別な時にだけ、主語を加え'lui ha pagato'と言う。しかし、フランス語では、このような代名詞の主語を省く事は非文法的である。
この説では、フランスとイタリアの子供は大量の入力を分析する必要は無く、パラメーターに関する知識を既に持っている。少量の入力が、この言語が代名詞主語省略をするか、しないかを示唆し、それに従って子供はパラメーターを設定する。それぞれの言語の文法的な違いは、複数のパラメータの設定の違いに収束する。
Problem with the innate view
生得的な言語の知識の主張は説得力があり、これを題材にした広範囲の研究は、さまざまな言語の文法への理解を大きく深めた。
それでもなお、普遍文法は、かなり議論をかもしている。
世界の言語の共通する中核を仮定するのに十分に抽象的で、そこから様々な言語の異なる表層を生じるさせる方法を含んだ文法は、とてつもなく複雑であるはずだ。
これは必然的にこのような疑問を投げかける。複雑な文法が遺伝的な才能と言う主張は、どの程度もっともらしいのか?
1950年代から、単純化したため、生成文法はおおきく変化して来た。近年の急速な変化とチョムスキーの最初主義プログラムの発展にも関わらず、この事業が成功したのかもわからない。
もう1つの問題は、普遍文法の学習可能性に関するものである。普遍文法は、入手可能な入力では学ぶ事が出来ないものである。
子供達は、仮定の普遍的な核文法(core grammar)だけでなく、多くの周辺文法(peripheral grammar)も習得する。周辺文法は各言語で異なるため、遺伝的な才能の一部ではあり得なし、格文法と同じぐらい複雑である。
この周辺文法は、入力から学ばなければいけない。そのほかの情報源がないからだ。そこで、今の知識でその方法がわからないとしても、どうして、周辺文法と同じ方法で、入力から核文法を学べないのか。という疑問が生じる。
しかし、既に繋がれた言語の知識があっても、なくても、人間は言語を学び発展させる強い性質を備えている事は確かだ。
教養に差があっても環境が違っても、すべての子供達はこのすばらしい手柄を収める事が出来る。
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series
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Usage-based associative learning
近年の電子コーパスの発展は、言語運用の分析を革新し、結果的に記述文法への回帰を促した。そして、言語獲得での入力の役割へ注目が集まっている。
現在のもっとも有力な説では、言語の使用は、生得的なものではなく、利用別連想的学習(usage-based associative learning)の結果である。
子供達は、言語の入力の中から、規則に関する膨大な統計的情報を見つけ、蓄積する事が出来る、という証拠が増えている。言語習得の速い段階で、関係のない言語の塊を習得し、少数の単語を組み合わせた小さい構造を得、その後、少しずつ異なる構造の何千もの実例と、抽象的な規則、頻繁に出現する構成要素の無意識の一覧表、合成語、形式と機能の関係性を学んでゆき、言語が発展すると言われている。子供達は、自分の言語の規則を、内在化した規則の主要なパターンを参照する事で段階的に獲得してゆく。
認知心理学者ニック・エリスは「言語の規則は、データと記憶と発話の合わさった、中心的な傾向として現れる。」
この頻度に基づく言語学習の説明は、生得的な知識が無くても、言語学習者が、言語の中に見られる規則と言語に決して現れない制約を発見する方法を説明できると主張する。
そしてこのモデルは言語獲得だけでなく、言語使用も扱う。言語使用としての生産と理解は、話し手と聞き手の、言語学的項目と構造の発生の見込みに関する細部の理解を深めるのである。
多くの文法理論が、脳の中での構造と手続きが裏付けられる方法を知る事ができないとしてきたが、この連想的学習モデルは、神経ネットワークの操作の仮説を含んでいる。このような結合説支持者(connectionist)のモデルをコンピューター・シミュレーションで使用する研究は、構造的でない入力から文法的な規則を得る実験に成功している。
Modularity: grammar in the brain
多くの、モジュール方式(modularity)に関する議論がある。人間は、認知に関する働きとは区別出来る、言語を操作する機能(module)、あるいは複数の機能を持っているのか、という問題である。
言語獲得と蓄積と使用が、その他の認知機能と独立しているという証拠があるようだ。
例えば、言語獲得の臨界期(critical period)がある。ある年齢を超えると、新しい言語を母語話者のように話す事が出来なくなるようである。また、言語入力が無かった子供達の場合、大きくなってから言語を学ぶと、ずっと不完全で非文法的な言語使用が残る。
その他の例は、脳を損傷した患者の報告である。病気や事故が、その他の精神的な機能はそのままに、患者の言語使用能力の一部、あるいは全てを奪う場合がある。精神障害者が、全く問題なく言語を使用出来るのとは真逆の例である。
近年まで、脳の中での言語の活動は、脳損傷の事例を調査するという間接的な方法でしか研究する事が出来なかった。このような研究により、長い間、言語に関係ある脳の部分が知られている。左耳の前方に位置するブローカー野(Broca's area)の損傷は、名詞と少量の動詞を含む、ほとんど文法構造のない、とぎれとぎれの発話を呈するが、理解力に損傷は無い。左耳の下の方に位置するウェルニッケ野(Wernicke's area)の損傷は、滑らかさと文法性を残したまま、正しい単語が少なく意味の分かりにくい発話を呈し、理解力は乏しい。
近年の脳画像の技術により、言語を使用している最中の、脳の血液の流れや電流の動きの変化を見る事が出来るようになり、そして、脳の部分と言語使用の関係性の詳しい観察を得る事が出来るようになった。例えば、文法と語彙では、異なる刺激のパターンを伴う。
しかし、集められたデータは、複雑で分析が難しい。知識が増えてきていても、詳細な画像が出来上がる前に、もっと研究が必要である。
さしあたって私たちはどのように言語が蓄積され処理されるのかはほとんどわかっていない。どの程度の言語の活動が、科学的、電気的に現れるのかもはっきりしていない。私たちの精神的で言語学的な概念の表現と言語学的規則が、神経の中で物理的な部分を持っているのか、あるいはその他の形態として現れるのかもわからない。
現在の研究では、私たちの知識の多くが神経の活動の分布パターンの形式によるもので、場所の表示ではない。時がたてば、おそらく明らかになるだろう。
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series
世界の全ての物理的な様相と、人間に関する全ての様相は変化する。言語も例外ではない。
個々の変化は、新しい語が出来たり普及したり、突然で分かりやすい。しかし、普通の言語の変化は、世代ごとの発音の小さな差など、徐々の変化で気づかない程のものである。
言語の変化は2つの同等の形式の共存を引き起こす。変種として、一方がもう一方に
例えば、2つの単語や、同じ単語の2種類の発音、は同じ共同体の言葉の中に共存しているだろうが、異なるサブグループや、異なる状況で用いられているだろう。後で詳しく述べるが、結果としてこの2種は競い合い、最終的に1つが支配的に、もう1つが衰退する。
小さい言語の変化は、日常の経験から明らかだろう。そして人々は言葉の使い方や発音の違いに気づいていて、時々不満を言うだろう。
しかし、古い文章を見ると、大きな言語の変化はもっと分かりやすく、そしてもっと歴史を遡れば、その変化は、明白になる。
次の文章は、9世紀後期のアルフレッド大王の時代の古英語の例である。その下は現代英語訳である。
(1)Ælfred kyning hateð gretan Wærferð biscep his wordum luflice ond freondlice ond ðe cyðan hate, ðæt me com swiðe oft on gemynd, hwelce wiotan iu wæron giond Angelcynn ægðer ge godcundra hada ge woruldcundra, ond hu gesæliglica tida ða wæron giond Angelcynn.
[King Alfred sends greetings to Bishop Wærferth with his loving and friendly words, and I would declare to you that it has very often come to my mind what wise men there were formerly throughout the English people, both in sacred and in secular orders, and how there were happy times then throughout England.]
見る影も無く言語が変わってしまっているだろう。この文章に関する言語学的な議論はこの本では出来ないが、少しだが現代の英語に引き継がれている単語がある事がわかる。'luflice'が'lovely'に、'freondlice'が'friendly'のように様々に変化している。また、'æ'や'ð'の文字はもう現代英語では使われていない。
次は500年程後の、チョーサーの『カンタベリー物語』からの中期英語の例である。
(2)Ye goon to Caunterbury -- God yow speede,
The blisful martir quite yow youre meede!
And wel I woot, as ye goon by the weye,
Ye shapen yow to talen and to pleye;
For trewely, confort ne myrthe is noon
To ride by the weye doumb as a stoon;
これは現代英語との差が小さい。明らかな違いは動詞の語尾の形と、単語の形である。'goon'と'talen'は複数の語尾'-(e)n'が付いているし、'ye'は'you'、'woot'は'know'である。
この文章を声で聞けば、現代英語との差はかなり大きく感じるだろう。しかし、中期英語は現代英語と関係が深いと認識する事が出来る。
最後の文章は『カンタベリー物語』の2世紀程後、16世紀下旬に書かれたシェイクスピアの『夏の夜の夢』からの引用である、
(3)Lysander Now she holds me not;
Now follow, if thou darest, to try whose right,
Of thine or mine, is most in Helena.
Demetrius Follow! nay, I'll go with thee, cheek by jowl.
Hermia You, mistress, all this coil is long of you: Nay, go not back.
Helena I will not trust you, I,
Nor longer stay in your curst company.
Your hands than mine are quicker for a fray,
My legs are longer though, to run away.
発音も含めて、この英語はかなり現代英語と似ている。しかし、言語学的には文法と語彙に差がある。まず、'-st'の2人称単数の動詞活用が存在する。そして、'you'の他にある'thou'と'thee'の単数人称代名詞がある。否定の文章'she holds me not'は現代英語の文法では'she does not hold me'であるし、'Your hands than mine are quicker for a fray'の語順は現代英語には無い。形のまったくちがう単語は無いが、意味が異なるものはある。'coil'の中期英語での意味は、電気に関するものではなく「騒乱」のことだ。
特定の言語を長い時代を通して観察するとき、言語の変化には分かりやすい言語の段階なく、歴史的な連続体である。なので、話者が自分より前と後の言語を理解する事は簡単であるが、年代が離れるほど、言語を理解するのが難しくなる。
これは方言の連続体と良く似た現象である。地理的に隣接する地域の方言は互いに理解出来るが、遠くは慣れた地域の言葉は通じない。時間的な言語の差異と、地理的な言語の差異の深い関係は、ブリテン島を南から北へ、あるいは西から東へ旅をすれば、気づく事も多いだろう。田舎には、古い言語が残っている。
言語の変化は、特定の言語や世代に限られたものではなく、この世の真理である。しかしこれは、人々がこの運命を喜んで受け入れるということではない。
Herbert Schendl, Historical Linguistics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series
Attitude to language changing
言語は社会的なアイデンティティーと固く結びついているため、人々が言語に関して強い思い入れを持っている事は当然だ。
言語の変化は社会を不安にし、それを悪い事として見なすのが一般的な態度である。ある世代、ある文化に所属する話者は、自分たちの言語が昔の言語より劣っていると考える事が多い。したがって、言語の変化は衰退であり、腐敗である。
ある社会学者はこの様相を聖書のバベルの塔の逸話に遡っている。そこでは、1つの共通言語がさまざまな言語に分離したことが、罪深い行為に対する罰として描かれている。
ヨーロッパの言語の歴史では、言語の変化に対して衰退や腐敗といった否定的な態度が大半で、中立的な意見より多い。一方で、賛成的な意見は全くない。
ほとんどのヨーロッパの国家の言葉で、言語を成文化し浄化しようとする試みが見られる。例えば、正しい用法である規範的な規則に当てはめて、言語が変化するのを防ごうとした。このような事業は公式の機関で行われることがあり、1582年フィレンツェに創立されたクルスカ学会(Crusca)、1635年設立のアカデミー・フランセーズ(Académie française)や、17世紀から18世紀にかけてドイツのさまざまな言語学会で行われていた。イギリスでは18世紀に強い言語変化への抵抗が起こり、規則化と整頓を求めてたが、成文化(codification)は個人によって行われた。
ジョナサン・スィフトやサミュエル・ジョンソンなどこの時代の知識人や文筆家は、言語の変化に対して、激しく反発している。1755年出版の『英語辞典(Dictionary of the English dictionary)』を編纂したジョンソンは、言語の変化は「言語の悪そのもの」であるとし、彼の辞書の冒頭で以下のように述べている。
(4)言語は、政府と同じで、生まれつき退化してゆく傾向がある。我々は長い間憲法を守って来た。同じように、私たちの言語のために努力をしよう。
このような、人間の設立したものとの比較は、決してイギリスだけのことではない。アメリカの政治家のベンジャミン・フランクリンは、言語は社会の現実を反映していて、言語の退化は直接に当時の社会の退化であるとした。
フランクリンが言った、「病気の伝統」は今世紀まで続いている。次に上げるのは、アメリカの芸術評論家ジョン・サイモンによる言語に関する本、「Paradigms Lost」からの引用である。このような意見は、教育を受けた一般人の間でも繰り返し主張されている。
(5)概して、言語の変化は、話し手と書き手の無知によりおこる。あと数世紀もすれば、教育や辞書や文法書に依って、有毒なツタのようなこの無学は根絶させられるだろう。
個人だけではなく、政治的な機関もある変化に関して、かなり感情的で思想的な態度を取っている。ナチス・ドイツはドイツ語の高潔さを、外来語をドイツ語式に言い換える等することにより、主張しようと試みた。例えば、'Telephon(電話)'のかわりに、'Fernsprecher(遠隔声器)'とした。しかし、例え民主主義政府も、膨大な外来語をからの借用を中止すると言う、国粋主義的な傾向には免疫が無かった。
近年の例では、フランス語と英語の混じった俗語「フラングレ(flranglais)」の使用に対する、フランス政府の措置がある。成功しなかったが、例えば、'le walkman'のような語をフランスの公式委員会が'le baladeur'という新語を作って言い換えを提案した。
しかし、本当の古い言葉や、想像上の伝統的な言葉への回帰、あるいは純化も、もちろん変化をとも無いものだが、この変化は、政治的な理由で「正しい方向」と見なされた。
過去には、専門的な言語学者も、言語の変化に関して保守的な態度を取る傾向があった。19世紀初頭の学者は、成長期のある生きた組織であると考えていた。一時の進化的な成熟があり、その後には腐敗がある。したがって、古英語から現代英語、ラテン語からフランス語にかけての格屈折の消滅と、前置詞句による補完は、衰退とみなされた。
現代の言語学者は一般的に、言語の変化に関して、中立的、あるいは肯定的な態度としめす。肯定的な立場には、社会のニーズの変化に会わせて、コミュニケーションの効率を高めるために、言語の変化は必要であると主張する人もいる。
これは、政治的に正しい言語を作るための言語政策などの目的に達するために、故意の言語変化の推進に応用される。さらには、言語システムの均衡や調和を保ち、文法を単純化するのために、言語の変化は必要な治療的措置であるという見方もある。
このような視点では、時代をまたぐ言語の変化は、当時行われた勢力の機能である。この点において、言語でもなんでも、歴史の研究は現在への理解に依存しており、現在とは、過去に依って明らかになる。
Language state and process
それれでも、言語学的な過去と現在は異なる研究分野に分かれる。ある時点の言語の状態を研究する共時的(synchronic)言語学は、時を経る言語の進化を研究する、歴史的な通時的(diachronic)言語学を考慮しない方がよい、というのが、共通の考えである。
しかし、この厳格な分離は、言語の研究に関するこの2つの側面の関係性の誤解に基づいている。一方では、共時的な言語システムの研究が、過去の再構築に使用出来る見識をもたらす事があるし、もう一方では、共時的な言語システムが完全に体系的で安定して均質であるという仮定が架空のものであることが、わかるだろう。
全ては、ある点において、非体系的である。例外と呼ばれる、多くの不規則な初期システムの名残は、共時的な文脈では解釈出来ないが、過去の状態や進化を参照すれば説明する事ができる。共時的な言語での不安定な状態は通時的過程の結果であり、その不安定さは、現在にもその過程が引き継がれていることの証拠である。
同様に、共時的な言語のバリエーションと、通時的な言語の変化にも相互関係がある。ここ30年程、これら真実に気付き、言語学の領域に置いて歴史言語学を正しく位置づけるように、学問の方向付けが大きく改定された。
The aim and scope of historical linguistics
近代的な意味での歴史言語学の始まりは、200年以上前に遡ることができるが、もっと古い言語の研究の伝統をもつ文化もある。従って、異なる学問的伝統や歴史言語学に対するアプローチの仕方が存在する事は、驚く事でない。それぞれが対象を定め、異なる方法論を採用している。以下のような領域の研究がある。
1、現存する文書に基づく、特定の言語の「歴史」の研究。
2、比較再建(comparative reconstruction)による言語の「史前」の研究。記録に無い過去を、それ以後の記録から推測すること。
3、言語の「現在起こっている変化」の研究。
これらの研究自体がどんなに魅力的でも、これらの研究はその他の研究と、もっと抽象的な目標につながっている。すなわち、もっと一般的で、出来る限り普遍的な言語変化の性質の発見である。
ある特定の言語が、その他のあるいは全ての言語と共通するものに関する記述的事実を関係づける事で、歴史言語学者は、なぜ言語が変化するのか、どのように空間的時間的に変化が広がっていくのかの説明を求める。これらの疑問の答えがわかる見込みのある分野は、現在の変化の研究である。特に、社会的な要素との関係性と、共時的な言語のバリエーションと、通時的な言語の変化との関係性を強調する枠組みのなかで実行される。
Herbert Schendl, Historical Linguistics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series
The date of historical linguistics
現在の、生きている言語の共時的な記述はさまざまなデータに基づいている。母語話者の内省や、母語話者達から引き出したデータや、コーパス等を用いた観察などである。異なる言語学の分野は、重要視するデータの種類も異なる。
歴史言語学のデータはかなり制限されている。明らかに、ほとんどの過去は、内省や質問などでは手に入らない。昔の文書の、限られたデータベース観察を通してのみ、手に入れる事が出来る。
幸いな事に、多くの言語が、言語の発展の証拠となる過去の記録が残っている。そしてそれは、言語の変化の一般的な性質の証拠にもなる。しかし、どうしてもデータの質と量は制限される。時代を遡ればさかのぼる程、データは少なくなり信頼性も減り、同時に、言語も遠く隔たったものとなる。
加えて、多くの場合、そのテキストの著者や目的、読者など、言語外の情報が欠如している。テキストの種類も限られている。20世紀以前の音声記録は全くない。過去の書き言葉の再構築は難しいが、過去の話し言葉の再構築はもっと難しい。
言語の再構築は決してまっすぐな事ではない。
手に入るデータの解釈、あるいは選択は、常に言語に関する一般的な仮定や、歴史言語学者が立てた特定の理論に基づいている。つまり、歴史を扱うものに良くある事だが、過去の説明は競い合っている。
言語の誕生に関して、現在ある推測は5万年前から10万年前までさまざまで、100万年以上前だという仮説もある。言語の始まりがいつであっても、文書で証明出来る言語の発展は明らかに、言語全体の歴史の中でほんの少しである。そして、5千〜6千あると言われている現在の人間言語のなかでも、少ない。
しかし、史前の言語記録の欠如は、一番古い言語データの比較によって補完する事が出来る。これは恐竜の卵や絶滅した生物の化石と同じぐらい夢をかき立てるもので、過去の証人として、史前の記録に無い言語の進化の知識を深めてくれる。言語の歴史の再構築は、比較再建の問題である。
The written evidence
文書は、歴史言語学において重要な資料である。そして、言語システムや話し言葉の証拠として、これらの資料をどう解釈するかはきわめて重大な問題である。
未知の言語のシステムの言語の場合、この解釈が克服しがたい困難となる。このような言語の解読は、二言語あるいは複数の言語で書かれ、どれかひとつでもすでに知られている言語で書かれているような、文書の存在に依存している。有名な例は、ナポレオンのエジプト侵攻の際に発見されたロゼッタ・ストーンであり、今は大英博物館ある。ロゼッタ・ストーンは、古代ギリシャ語と2種類の古代エジプト語の3つの言語が刻まれており、エジプトのヒエログリフの読解の鍵となった。
言語システムや音声言語の証拠としての文書の解釈は、例えその言語システムが高度なものであっても、問題が無い訳ではない。
アルファベットの英語とその他のヨーロッパの言語での使用を考えるとわかる。そのほかの書記システムでは記号が音節や語を示すのに対して、ラテン文字でもギリシャ文字でもキリル文字でも、アルファベットは母音と子音等の直接的に音声を示す。これらのアルファベットは長い伝統があり、表記の慣習は何世紀も引き継がれてきた。しかし、この「文字」と「音声」の関係を見定めるのは決して簡単ではない。
話し言葉と書き言葉は明らかに関係の深いシステムだが、この2つは別のもので、関係性は何回も変化している。アルファベットの記述は、最初は、言語の示差的な音声を表示するためにあり、示差的でない音声は無視する傾向にあった。例えば、ラテン語と古英語、古代フランス語における'r'の文字は、'l'や'm'とは異なる音声がある事を示す。しかし、実際その'r'の文字の表す音声が、どのようなものだという事はわからない。英語とスコットランド語、フランス語、ドイツ語で'r'の文字が異なる音声を示すのと同じである。
さらに、ラテン語を書くために整えられたラテン文字を、初めてその他の言語に使用した人は、ラテン語の綴りの伝統を引き継いだと、考えると良い。このような伝統は西ヨーロッパの俗ラテン語として知られている。
しかし、ラテン語の初期システムを、たくさんの新たな言語のシステムに合わせて改めなければならなかった。例えば、ラテン語は英語の'th'に相当する音を持っていなかったので、古英語では古代ルーン文字の'þ'用いるか、あるいはラテン文字の'd'を変形させた'ð'を用いてこの音を表した。
始めは、文字と音の直接の関係であっても、言語の音声の変化と、変化についてこない、あるいは、時間差で変化する保守的な綴りのおかげで、その関係は薄れてしまった。
さらに複雑にする要因は、文化接触によって、異なる地方や国の綴りの仕方を混同させた事である。
1066年のイギリスでのノルマン人の侵攻以降、英語の文書に多く、アングロ・ノルマン語の伝統が現れる。英語の簡単な歴史の例を挙げると、古英語の'house(家)'は'hus'と綴り、発音は長母音で/hu:s/と読んだ。これはラテン語の音と文字の1対1の対応に基づいている。中期英語では、アングロ・ノルマン語の'ou'を/u:/と読む伝統の影響を受けて、'hous(e)'と綴り、/hu:s/と読む。綴りは現代英語と同じ形式になったが、現代英語の初期に/u:/の二重母音化が起こり、今と同じ/haʊs/の発音なった。
英語の書記は始め、音声の次に発生して、音声に依存するものであったが、だんだん自律的になり、そして実際の発音と関係なくなってしまった。
Sources of evidence
歴史言語学の仮説は、データの解釈に左右される。
それは、データの量の問題だけでなく、質の問題もある。資料の質を評価するために、その資料の著者や、写本した人、目的、資料の場所など非言語的な情報と、原本と写本と引用などの文書の伝承に関する情報を出来るだけ見つけなければならない。これは文献学の領域である。歴史学や古代文字の研究をする古文書学の補助領域である。
著者本人によって書かれた資料は少なく、それらもさまざまな間違いを含んでいる。多くの間違いは、時代や地域の異なる筆記者により何回も写本されたことによる。ホメロスの「イリアス」と「オデッセイア」、サンスクリット語の最も古い聖典の「リグヴェーダ」のように、ある特定の他者によって口承のテキストなどから書き起こされ編集された文書もある。このような文書の歴史で、文書はさまざまな言語が混ざっており、写本した人が不注意や原本の言語に不慣れである事による間違いが多く含まれる。
言語学の分野の仮説を形成する資料として文書を用いる前に、方言や通時的なものでも、このような異なる言語の層のもつれをほどかなければいけないし、筆記者の間違いを特定しなければならない。加えて、多くの古文書はラテン語からやギリシャ語からの翻訳が多く、原本の言語の影響も計算に入れなければならない。
文書が、歴史言語学の主要な資料であるが、その他の資料も重要な証拠となる。例えば、陶器のかけらやお墓の埋蔵品や、アングロ・サクソン人の生活の歴史の知識に関するものなどである。これらは方言の分布の再建にも役立つ。
データとして特に面白いものは、当時の話し手による、言語の直接の記述や明白な批評である。
しかしこのようなメタ言語学的な証拠は、ほとんどの言語の初期の段階では数が少なく、サンスクリット語やギリシャ語やラテン語など優れた文法があるのに、それらはあまり信頼出来ない。ヨーロッパ言語でのこのような情報は近代に至るまで無い。
英語の発音や音素に関する詳細な記述のある文献は16世紀まで遡る。現在でも使われている専門用語のリストとラテン語などからの翻訳によって、中世ヨーロッパの単語の意味を探る事が出来る。
最後に重要な事だが、現代の方言と同族の言語は、歴史言語学の仮説を立て、証明するのにとても役に立つ。
次はどのように資料を用いて言語の歴史を再建するかの説明である。
Herbert Schendl, Historical Linguistics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series
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