文法の仕組みは、規則は簡単でも、とても複雑にする事が出来る。
言語と言語は、どれだけ異なるのか。
言語を構成する、単語クラスにも違いがあり、さらに基本的な文法の効果を、語順、屈折、機能語から選択し、それらによって表現する付加的な意味も異なる。これらの違いの実例を述べていこう。
Word classes
英語話者は、全ての言語が、有名な9つぐらいの「品詞」を持っていることが当たり前だと思うだろう。しかし決してそうでは無い。英語の文法の分類は全く普遍的でない。
名詞、動詞、形容詞、副詞は多かれ少なかれ、普遍的なカテゴリーであるが、その構成員は言語ごとに異なっている。特に、形容詞と副詞は、英語のような大きいカテゴリーあるとも限らない。スワヒリ語(Swahili)の形容詞は50語で、閉鎖的なグループを成し、アマゾンのジャラワラ語(Jarawara)では14語、ニジェール・コンゴ語族(Niger-Congo)のイボ語(igbo)では8語である。
オーストラリアの言語は一般的に、英語で前置詞と呼ばれるものが無いし、カリブ(Carib)の言語は接続詞や関係代名詞がない。
これらの言語が、それらに適当な概念を論ずる事が出来ないという事ではない。形容詞で表されるような性質は、それらの言語では名詞や動詞として、問題なく記号化されている。ハウサ語(Hausa)の「硬い木」の表現は「硬さのある木」、「それは硬いです」は「それは硬さを持っている」という表現になる。
多くの言語は、英語話者にはエキゾティックに感じられるような語の分類を持っている。
英語では、抽象概念を表す前置詞を、動詞を用いても表現出来る。たとえば、'facing'を'opposit'の意味で用いる。フィンランド語(Finnish)は多くの時空の関係を、名詞の終止で表現する。
ケチュア語(Quechua)は、英語で人称代名詞を用いるところに接辞を用いる。'you hit me'が'Maqa-(hit)'に接辞がついた単語となる。
タガログ語(Tagalog)では丁寧の表現である'po'と'ho'が、希望や推測や質問の表現である法(mood)と同じように付け加える。
日本語には名詞の後に付く助詞(て、に、を、は、が、か?)があり、それによって文法的な関係性を指し示す。
樺太周辺で話されているニヴヒ(Nivkh)語では様々なものを数えるために26の基数のサブシステムがある。このようなシステムは多く、数字と数える単位である分類詞(classifier)を含むものである。
この分類詞の選択は、続く名詞の分類に依る。標準中国語(Mandarin Chinese)では2つの本を数える時は'liang-ben'、机や地図や紙は'liang-zhang'、行事や服は'liang-jian'、麦や砂や米などの粒状のものは'liang-li'、二ユースや蛇などは'liang-tiao'である。英語でも、'three blade of grass(3枚の芝の葉)'のような表現を用いる。
分類詞はとても多くなることがあり、タイ語(Thai)では60種類以上ある。
名詞の分類や性(gender)は様々な多くの言語で見られる。
アフリカの言語は20もの性の分類を持つ事が出来、多くのインド・ヨーロッパ語族では男性(masculine)、女性(feminine)、中性(neuter)と呼ばれるような、3つか2つの性を持っている。
性はそれぞれ、異なる冠詞、形容詞、動詞などの形式を必要とする。以下はフランス語の例である。'the report/letter that I have written'に対応する。
le long rapport que j'ai écrit (repportは男性名詞)
la longue lettre que j'ai écrite (lettreは女性名詞)
しばしば性は意味論上の偏向によって分類されるが、標準中国語ではまったく恣意的で予想出来ない。
インド・ヨーロッパ語でもそうで、スペイン語では「手」と「耳」が女性名詞で、「足」と「目」が男性名詞である。フランス語では「太陽」が女性名詞で「月」が男性名詞だが、ドイツ語では逆である。また、ドイツ語では「ナイフ」、「フォーク」、「スプーン」がそれぞれ中性、女性、男性である。
男性に関する事が男性名詞で、女性に関する事が女性名詞になる傾向があるが、以下のものはでたらめである。フランス語で'sentinelle(見張り番、歩哨')は普通、男性の仕事だが、女性名詞である。ドイツ語の'Mädchen(少女)'は中性名詞である。
Structual types
言語は、それら利用している文法のタイプで区別し分類する事が出来る。
伝統的なものは、言語の構造を基礎とする形態論(morphology)である。
ベトナム語や中国語のような、孤立語(isolating language)あるいは分析言語(analytic language)と呼ばれる言語は、単語はまったく形を変えない。文法関係は語順と機能語によって示される。
ロシア語やギリシャ語のような、屈折語(inflecting language)や総合言語(synthetic language)と呼ばれる言語は、文法的な地位を示すのに、単語がことなる形式をとる。
トルコ語やナバホ語のような、膠着語(agglutinating language)は、極端に言うと、一連の形態素をすべて単語に包合(incorporating)してしまう。
この分類では、英語は孤立語の端の方に位置するだろう。
英語の祖であるアングロサクソン語は、名詞、代名詞、形容詞と動詞が様々な形式をとり得る、形態論的に複雑な言語であった。現代英語では、ほとのどの屈折の役割を、語順と機能語に移している。
英語には、屈折は、所有を示す'-s'と、代名詞の主語と目的語の違い、動詞の三人称単数現在の接辞と時制の語末、それから形容詞の比較の語末が残っている。また多くの派生形態素(derivational morphology)を持っているが、'un-'、'-ize'などの接辞は文法関係よりも、新たな意味の付け加えや、単語の分類を変えるのもである。
この分類は一般化するのに便利だが、言語が1つのカテゴリーにきっちり収まるとは限らない。
日本語は、ある部分では孤立語だが、ある部分では膠着語である。名詞は屈折せず、助詞に依って主語、目的語などの機能が示される。しかし動詞は屈折し、形態論上、幅広いの意味を表現する事が出来る。
また、このような分類はそんなに役に立たない。これらの3つの分類はそれぞれの関係性を示しておらず、役に立つ一般化に導くこともない。
現在の類型論(typology)では言語の、もっと特定の性質を比べ記述している。例えば、単語の分類の形式と数、句の構造、発音、節の構造、一致や語順の選択である。
Morphological complex
例えば、英語話者がロシア語で'in my garden'を書きたいと思うと、庭どころか、以下のような文法の樹海に迷い込んでしまう。
-ロシア語の名詞は6つの格をもつ。主格(nominative)、対格(accusative)、生格(genetive)、与格(dative)、前置核(propositional)、造格(instrumental)である。これらは名詞の文法的機能に対応しており、語尾に変化が見られる、屈折である。
-ロシア語の'in (v)'の後ろには、前置格が続く。その他の前置詞は、対格や生格や与格や造格が続くことがある。
-ロシア語の'garden (sad)'は男性名詞に属しているので、それらの単数の前置格は、語尾に強勢のある'-e'が付く。
-しかし、'sad'は例外的に、'v'の後では、'sade'ではなく'sadu'が使われる。
-ロシア語の'my'は9つの単数形があり、'sadu'との性と格の一致をするのは、男性で前置格形の'moyem'である。
従って、'v moyem sadu'となる。これに形容詞を付加するとまた新たな複雑な解説が必要である。
屈折語は、ロシア語のように複雑なものだけでなく、英語の機能語である'the'や'a/an'などの無害そうなものもある。しかしこれらの語も共通する言語は無く、分析や学習するには、意味や区別がとても難しいので、英語母語話者ではない人にとってはとても複雑である。
しかし、屈折語の形態論は、機能的な域を超えた、その存在が言語としてのあり方そのものであるように思える。
ロシア語のパターンは、多くのインド・ヨーロッパ語の現在と過去の様相の典型を表している。
ヨーロッパの子供達は、膨大な分類と例外のある、ラテン語の曲用(declension)と活用(conjugation)の語尾一覧表を暗記させられただろう。
現在のラテン語の子孫たちは、ほとんどの名詞語尾を失ったが、動詞の複雑さは保ったままである。例えばスペイン語の動詞は、助動詞との結合もあわせて、最高110の形態をとる。
屈折はさまざまな機能を担っている。ラテン語の動詞の活用は、人称(person)、単復(number)、時制(tense)、法(mood)、態(voice)を表す。名詞は単復と格で屈折し、それから主語(subject)、直接目的語(direct object)、間接目的語(indirect object)と受動関係を区別する。そして異なる前置詞は、後続する語に異なる格を求める。
格の屈折は言語ごとに異なっている。
北アメリカのカワイイス語(Kawaiisu)では、否定文の主語は対格である。そして多くの言語で、自動詞文の主語と他動詞文の目的語が同じ格をもつ。
また、1つの屈折の中に様々な機能が合体している。
ドイツ語の'Mein Vater hat einen grossen Hund. (My father has a big dog.)'の中の'einen'の'-en'は、後続の名詞が単数の直接目的語で男性名詞である事を示している。このような音声の変化によって、現代ドイツ語は示差的な屈折が比較的少なく、ある形態がいろんな場面に出現する。異なる文脈では、'-en'は、複数、単数の属格、単数の与格、(動詞の)一人称二人称三人称複数、不定、過去冠詞などを示す。
以上のように、形態論上の変化が、接辞によってのみ行われる訳ではない。
語の一部や全体が変わる事もある。例えば英語の'foot/feet'や'bring/brought'や'be/am/is/was'である。ウェールズ語(Welsh)では語頭の音が変わる。例えば「歯」が文脈と文法的な機能によって、'dant/ddant/nhant'と変化する。
多くのアフリカの言語と同じように、バンバラ語(Bambara)ではトーンを用いる。限定的な(definiteness)名詞は、語末のトーンが下がる。
膠着語でも同じように、形態論上の多くの機能が、数百や数千もの複雑な構造を持った形態によって表される。
多くのネイティブ・アメリカンの言語では、動詞がさまざまな分類の接辞を包括した構造を持っており、その接辞はそれぞれ異なる文法的、意味論的な要素を表現する。
ナバホ語(Navajo)では、接頭辞が以下の順番で付く。(1)間接目的語/再帰、(2)反復のマーク、(3)複数のマーク、(4)直接目的語、(5)指示詞、(6)副詞形態素、(7)法/相、(8)主語のマーク、(9)分類。ジャラワラ語(Jarawara)には3つの接頭辞と25個の接尾辞の位置がある。
このような構造は、語と句と節の境界を霞ませるものである。
また、オーストラリアのムリンパタ語(Murrinh-patha)は目的語が動詞に包括されてしまう。'He will cut his hand'が'putmartalnu(he-hand-cut-will)'となる。
シベリアで話されているケット語(Ket)は目的語、自動詞の主語、造格、方向の副詞が動詞に包括される。カナダのヌートカ語(Nootka)では、'He invites poeple to a feat'が一単語で表される。
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series
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Agreement
文法関係の形態論的な印は、個々の単語を越えた一致(agreement)をなすことがよくある。単語の形態が、他の単語の文法上の分類や形態によって決まる事である。
名詞句の構成要素はよく、この方法で結びついている。一致のマーカーは比較的分かりにくいものがある。
ロシア語の'moyem'と'sadu'は、両方とも男性で単数の前置格であるが、その語尾に共通点は無い。イタリア語は冠詞だけが、名詞の分類を示している。もっとも分かりやすい例はバンツー語派(Bantu)の言語である。この語派は、名詞の分類を示す接頭辞が、名詞句を通して繰り返される。以下はスワヒリ語(Swahili)の例である。
ki-kapu ki-kubwa ki-moja
basket large one (one large basket)
主語、目的語の関係性は、名詞と動詞の一致によって示される。
インド・ヨーロッパ語族では共通して、動詞は、主語の数と人称を反映している。また多くの言語で主語が、主語の形式や位置ではなく、動詞の形式によって示されている事がある。その動詞は、その主語がある意味的で、形式的な分類に属している事を意味するような屈折である。以下はモーホーク語(Mahowk)の例である。
Ieksá:a raksá:'a wahonwá:'ienhte'
girl boy hit+'girl' class marker (The girl hit the boy)
Ieská:a raksá:'a wahshakó:ienhte'
girl boy hit+'boy' class marker (The boy hit the girl)
その他の言語では、目的語と動詞の一致が行われるものもある。また、他の言語では、主語や直接目的語と間接目的語やさまざまな情報を示唆する接辞が、動詞にたくさん付いている事もある。
一致は名詞句や動詞句だけでなく、副詞などでも行われる。英語の多くの方言や、ロマンス諸語の否定の動詞は、副詞や代名詞の否定形に対応する。
Meanings
ある1つの目的の為に開発された道具は、よく、後からその他の使い道がある事が分かる。計算の為に開発されたコンピューターもそうだ。今はあらゆる事にコンピューターが使われる。同じような機能上の拡散が見られるのが文法である。
第1章で述べたように、文法は、語単独では扱えない、限られた目的にとってのみ必須の装置である。その目的とは、参与者の役割を区別したり、構造的な関係を築いたり、発話の形式的な地位を築いたりすることである。
しかし、実際には、その他のさまざまな概念や関係性を指し示すのに、とても便利で経済的であることがわかった。
英語ひとつとっても、文法的な特徴が、時制、完了(perfective)や進行(progressive)などの相、数、定性、人称や性、有生性(animacy)などを表す。車のような不連続なものと、空気や香りや埃などの連続したものの区別も出来る。そして、英語話者やその祖先が選んで取り入れた文法の中核によって、さまざまな意味を伝える事が出来る。
これらの概念は、細かい部分はさまざまだが、世界中の言語で頻繁に見られる。例えば、数に、英語のような単復ではなく、双数(dual) 、三数(trial)、不特定少数を示す少数(paucal)などの形がある言語もある。
しかし、これらの文法化は、明らかに、普遍的ではない。
英語話者は、多くの言語の文法に、時制や数がないことに驚く。それらはその他の単語を付加してその概念を表す。
そして、多くの言語は、英語には無い文法項目を表現する。ネイティブ・アメリカンやオーストラリアの言語には、可視性(visibility)という文法項目がある。話題に上がっている物が、見えるか見えないかを示す、名詞と代名詞の形式である。
また、証拠表示(evidentiality)の項目をもつ多くの言語で、話題に上がっている物事を、話者がどのように知ったかということを、動詞が示す。例えば、目撃、噂、常識や推測の違いである。
あるいは、ネイティブ・アメリカンの言語には、2つの三人称の代名詞をもつ言語がある。ひとつは話題の中心で、もうひとつはその他の人たちに用いる。
多くの言語が2種類の一人称複数を持っている。聞き手を含む私たちと、聞き手を含まない私たちである。
また、譲渡可能な所有(alienable possession)と譲渡不可能な所有(inalinable possession)の区別も共通してみられる。例えば、兄弟と車の違いである。
韓国語や日本語では、尊敬や社会的地位を示すたくさんの文法的装置がある。
文法は、私たちの世界の知覚の基礎である意味を表現しているので、とても比喩的な能力を秘めている。
英語は、時間的な差を、その他の切り離しや疎遠を表すのに利用している。質問や依頼は、過去や未来時制を利用する事によって、より遠回しに、丁寧な表現になる。また、空間的な距離が感情的な距離を示す。例えば、'I like this music.'と'Turn off that bloody noise.'である。
多くの言語は代名詞を比喩的に用いて、尊敬を暗示する。例えばフランス語などで、一人の聞き手に対して、複数の二人称を用いる事で、丁寧さを表現する。三人称の代名詞はさらに遠回しな表現で尊敬をしめす。
文法には、言語ごとに異なる意味を記号化しているため、話者の知覚やカテゴライズが本当に異なっているのかという疑問はとても自然である。
言語が私たちの思考方法を定めると言う、伝統的な考えを言語相対性(languistic relativity)と言う。20世紀の上旬に、人類学と言語学が世界中の言語のより詳細な知識を蓄えて行くのとともに、この考えは新たに勢いを増した。
北アメリカのホピ語(Hopi)は時間を表現する文法が、明らかに、ヨーロッパの言語とは異なる。この事実により、エドワード・サピアやベンジャミン・リー・ウォーフなどの言語学者が、ホピ族と英語話者の時間の概念が全く異なると主張した。
サピア=ウォーフの仮説は後の調査からも指示されず、普遍文法の信仰が強まるに連れて、衰退していった。
しかし、この観点への興味は現存しており、言語と認知の関係性を調査している研究者は、ある種の言語相対性が存在していると言う証拠を探している。
Why is everything so complicated?
世界中の文法システムを見ると、必ず困惑するだろう。なぜこんなに複雑なのか?何のために?
ロシア人は本当に、数と性と格の形態素の難解なルールと一致した、9個の単数形と4個の複数形を持つ'my'の概念を明確に表現出来ているのか?
中国語での数の数え方は、全ての名詞の後に付くふさわしい分類詞を付ける事に依って、明らかに難しくなっている。
なぜ英語では過去の事を話す時に、いつも6個の時制と相を表す形式を使わなければならないのか、それは何かを便利にしているのか?
なぜナバホ族の人々が、話す情報の出所を全ての動詞に付け加えるのに何の価値があるのか。
中国語での数の数え方は、全ての名詞の後に付くふさわしい分類詞を付ける事に依って、明らかに難しくなっている。
なぜ英語では過去の事を話す時に、いつも6個の時制と相を表す形式を使わなければならないのか、それは何かを便利にしているのか?
なぜナバホ族の人々が、話す情報の出所を全ての動詞に付け加えるのに何の価値があるのか。
ドイツ語の'good'にあたる語彙は、6つの形式を持っているが、その中の1つである'guter'は、それだけでは主格男性単数形なのか、属格女性単数形なのか、属格複数形なのかわからない。
エスペラント語のような人工言語開発者言う通り、もっと良いシステムを作れると考えるのは、ごく自然な事であるように感じる。
言語の複雑さに寄与している1つの要因は、歴史である。
言語の発展とともに、音声学的な変化が単語を変え、浸食し、そのために、規則的で予測可能な形式を、特異で予測不可能な語末に変わってしまった。
言語の機能が生き残ることもある。例えば、語順が機能として採用されたからと言って、格の語形変化が消える必要は無い。結果、全ての言語はゴミ箱を含んでおり、そこには使い古された機能や、時代遅れの道具が収納されているのである。
しかし、新しいものといっしょに古い言語学的な装置を保存しておく事は、有利になるだろう。このような重複はコミュニケーションを破綻しにくくするだろう。
2つめの要因は、規則やシステムを普遍的に用いようとする、人間の性質にある。
新たに作られたクレオール語(creole)では、時間の関係性が、数世代の間で、選択から義務へと移行して行く様子が観察されている。なぜそうなるのかは明らかでは無いが、それぞれの状況に依って適用されるのか、されないのかを判断するより、常に規則を適応させるような少ない計算が求められているのだろう。
それは、他の自動車があっても無くても、信号が赤ならば止まらなければならないのと、同じである。
3つめの要因は、実際のその言語の話者にとっては難しくないので、複雑な文法を整理整頓しようと思わないことである。
子供達は途方も無く精巧な言語システムを習得するのに、苦もなく、完璧に、無意識に完了してしまう。
西アフリカのフラニ語(Fula)は、形態論的に、それぞれの単語が特異な屈折の形態を取る。習得に時間はかかるが、フラニ族の成人は全く問題なく使いこなす。むしろ、英語の複数形のほうが難しい。
言語の使用者はその言語の複雑さをうまく乗り越えているどころか、彼らは複雑さを生み出している。エスペラント語を話す子供達は、完全に規則的に変化する言語に、不規則変化を持ち込んだのである。
自らの言語を複雑にするのは、外に対する城壁であり、メンバーを示すバッジとして機能する、と言われる事もある。
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series
How different are grammar and vocabulary?
言語の学習者たちは、語彙を習うし、文法規則も習う。
例えば、フランス語で「緑色の」は'vert'で、「木」は'arbre'である。そして、形容詞は名詞の後に来るので、「緑色の木」は'un arbre vert'である、と習う。
以上のように、語彙と文法は全く異なるもののように思われる。
語彙は単語であるし、文法は、単語と単語を並べるための物である。語彙は辞書に載っているような、特定の項目から成っている。文法は、全ての項目に適用される規則を含んだ、もっと一般的な性質である。
実際、多くの文法規則は、とても広い範囲に適応され、あるカテゴリーの語とその他の語を関係づける方法や、英語の前置詞は動名詞'-ing'に先行するなどの事実などを示す。
規則そのものの焦点は文法構造であり、文法と語彙は遠く離れている。しかし、その他の文法規則は語彙論(lexis)ともっと身近に結びついている。
実際に、多くの言語では、単語の形を変える事で、形態論的にある種の文法の意味を示している。
屈折のシステムは複雑なだけではない。屈折システムは面倒なことに、語彙の細かい分類に依って異なる屈折を用いている。
例えば、ラテン語の'amare(to love)'の三人称単数未来能動の形は'amabit'であるが、'regere(to rule)'の同じ文法機能の形式は'reget'である。この2つの単語は異なる分類なので、異なる形式、あるいは活用をするのである。
英語の法助動詞(modal auxiliary)は10個ある。'can'と'could'、'may'と'might'、'will'と'would'、'shall'と'sould'、そして'must'と'ought'である。
クロアチア語の'braća'(brothers)は、数少ない複数形の名詞の1つである。この単語は形式的には女性単数の形で、複数形の動詞ではなく、女性単数の形容詞と共に用いられる。
文法は、とても語彙と近い存在であると言える。
Grammar of words
規則や規則の焦点ではなく、個々の単語とその文法的な性質を調べても、文法と語彙と近さは明らかだろう。
精神的な語彙目録への典型的な入り口は、意味の特定や使用と並ぶ、構造的な情報の大部分を含むだろう。
まず、語は、文法的な分類に分けられる。
'arbre'は「木」を意味するだけでなく、名詞であり、その他の動詞や形容詞などとは異なるのである。加えて、名詞の中でもまたある種の名詞である。可算名詞なので複数形'arbres'がある。男性名詞に分類され使用される冠詞は'un'と'le'である。
分類は形式的に自明である事もある。イタリア語の'-mente'で終わる単語は多く、様態の副詞である。英語の'-ation'で終わる単語は、動詞から派生した名詞である。
単語の分類とともにはたらく文法はとても複雑である。ある言語では、人称、数、時制、法によって、数十個、または百個にもなる動詞の変化がある。
単語の文法は、ただの単語の属する分類の機能だけではない。語そのものが独特の文法的側面を持つ事が出来る。
不規則変化がそうである。それらは1つの分離を成しているという事も出来るだろう。英語の'penny'の複数形は'pence'で、'lose'の過去形は'lost'である。
形態論のように、統語論も、単語に特有な物である。
英語の''suggest'の後には'-ing'の形が続く。不定詞は続かない。'expect'と反対である。'rely'は目的語の前に前置詞が必要であるが、'trust'は不要である。英語の動詞の過去形は、副詞とは違い、普通'very'と一緒に用いない。しかし、語特有な表現はある。'very love'とは言わないが、'very annoyed'は言う。
実際、巨大な言語データーベース(corpora)の研究に依って、ある言語の全ての単語が、複雑で独特なネットワークと関係性を築いていることがわかった。
品詞のように、明らかに文法的な関係性もある。
連語(collocation)のように、単純に語彙的なものもある。例えば、'sherply different'や'slightly different'は良く言うのに、'hightly different'や'mildly different'とはほとんど言わない。
これらの極端な物の間に、文法と語彙が相互に影響し合い、境界線が曖昧な真ん中があるのだ。
On the frontier
単語は、文法の多くを含んでいる。
多くの文法情報が1つの単語に詰め込まれているために、文法と語彙がほとんど変わらない言語がある。
例えば、トルコ語の'öpüştürüldüler'は、英語の'They were caused to kiss each other'にあたり、フィンランド語の'autostammekin'は英語の'from our car, too'の意味である。
文法と語彙の境界をまたぐのは、形態論上複雑な単語だけではない。
言語は、外の世界の要素を意味するよりかは、言語の内部の事象を調節する、単純な辞書的項目も持っている。
英語は助動詞の'do'を疑問や否定を表すのに用いる。タイ語の'máy'は質問文を作る。日本語では主題、主語、目的、所有の文法項目を表すために、名詞に短い助詞をつける。この助詞は実際、形態論上の屈折と大きく変わらない。
これら機能語の中には、それの持つ文法的機能を示すだけで、ほとんど意味を持たない物もある。
その他は、文法と語彙の境にいるのである。
前置詞は「文法」と考えられるが、明らかに、時間や空間的関係の辞書的な意味を伝えている。
一方では、特定の文脈で意味が薄くなっている。'look after'や'under these circumstances'などがある。
このような用法は言語の発展に共通しており、単語の辞書的な意味が失われ、純粋な文法的機能を帯びる。そして、文法と語彙の境界線の曖昧さとはまた異なる要因である。
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series
Language in use: chunking
紋切り型の文法的な分析からではなく、実際の言語使用を見てみると、文法と語彙の境界はさらに曖昧である。
分析的な観点では、語はある特定のカテゴリーの名前である。例えば、'car'は物であるし、'buy'は行為である。文法はそれらの一続きの単語を、メッセージを持つ構造に変えてくれる。例えば、'I've bought a new car.'
しかし、世の中はメッセージであふれている。
とても独特で、一度限りのものもある。例えば、「おばあちゃんのピッケルの後ろの棚の上にネズミが死んでいる」。
一方で、似たような状況で頻繁に生じ、適切な場所で何回も繰り返されるものもある。「遅れてすみません」「ありがとうございます」「領収書お願いします」などだ。
日常生活でたびたび起こるこれらのメッセージは、ながいひとつの単語として考えられる。
ひとつの単語のように、表現の似たカテゴリーに関する、分類の性質を帯びている。たとえば、遅刻を謝る表現、感謝を伝える表現など。
そして、心理学的にも、それらの表現は単語と同じように扱われる。例えば「遅れてすみません」と言うとき、人は、単語を選び、それらを文法的に正しく組み合わせたり状況的にも文体的にも文章としてふさわしくすることはしない。
人は、既にある定型文の蓄積から、それらの表現を呼び起こすのである。
「おくれてすみません」は「すみません」と同じで、書くスペースがすこし広く必要なだけである。
チャンク(chunk)と呼ばれるこのような決まり文句(formulaic language)は、近年、重要な研究が行われている。特に、巨大な電子コーパスの開発により、単語の固定された結びつきや、一時的な結びつきの表をつくるのが簡単になったからだ。
研究により、言語は多く、これらの複数の語から成る決まり文句を含むことがわかった。よく引用される主張では、英語は何十万ものチャンクを持っているとされている。
よく見る'work'を含む句を考えてみれば、数十個はすぐに思いつくだろう。これらは、1つの単語としての意味を表している。
チャンクには慣用句(selectional idiom)と呼ばれるものも含まれている。良く生じる意味を表すため、習慣的に用いる表現である。
全ての言語にこのような慣用句は存在し、それはその言語を学ぼうとする人たちにとって大きな問題となる。
学習者は、文法と語彙の勉強をするが、状況やメッセージによって好まれる定型文を習わない。
逆に、中級レベルの言語の知識で習慣的な日常の表現を作り出すより、一度きりの正しい言葉で小説を書く方が簡単であろう。
チャンクの中には、語彙的な性質にも関わらず、典型的な文法として捉えられることがある。
例えば、'I'm going to'これは、単語の構造としてではなく、未来の助動詞としてひとつのチャンクをなしている。
この仮説には、発音が重要な根拠となる。ゆっくり発音すれば、/aɪm gəʊɪŋ tu:/であるが、普通、/aŋnə/や/amnə/と言う。
このチャンクは英語でよく使われる、'If I were you'や'What I meant was'のような構造と同じ、文法的な塊と枠組みを持っているのだろう。
一般的な定型な語彙の多さと、語彙的な構築物の頻繁さを考えると、全ての言語の話し言葉と書き言葉の大部分を、既に組み立てられたチャンクが占めているのではないだろうか。
研究によれば、英語の報道の文中の「動詞+直接目的語」の組み合わせのうち、37.5~46%が制限的な連語や、慣用句と捉えることが出来る。普通の英語では80%まで数値が上がる。
定義とサンプリングの問題のために、信用出来る結果を確立することができないが、これらは文法と語彙の合わさったカテゴリーに含まれるだろう。
A continuum
言語学者は、語彙と文法を別々のものとしてより、連続体として考える方に向かっている。一方で言語は、明らかに語彙であり、もう一方では純粋に文法的な現象である。
この2つの対極の間に、個々の単語の文法が含まれている。語彙的な単語があり、語をつなぎ合わせ小さな文法的な塊をなる構造もある。
この世界のほとんどの要素として、語彙と文法は、まったく異なる類いのものであるが、それがどこで終わりどこからが始まりなのかを、示すことは出来ない。
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
---Oxford Introduction to Language Study Series
Speech and wrighting
文字文化では、書かれたものが基本的な文化伝達の手法と成り、法律や聖書のように文書によって行動が規定される。そこでは書かれた文字が大きな権威を持つ。
言語が書き言葉を指し、文法は書き言葉の分析に基づく。
消えてゆく構造を持ち、研究に向かない話し言葉は、文法の規範に正しくしたがっていなく、書き言葉と関係が少ないと見なされやすい。
近年、口述の信用性が高まり、録音と分析の技術の大きな発展により、話し言葉を言語語学的存在として認めることが出来るようになった。
話し言葉や書き言葉を扱うことは、様々な文体の性質をもった様々なタイプのコミュニケーションを一般化することである。
しかし、普通、書き言葉と話し言葉の生産と解釈は全く異なる過程を経る。
ほとんどの会話は相互作用がある。会話は話し手と聞き手の両者によって、順番に話し、遮って、返答を差し挟んで、互いの発言を受信して、必要な説明と詳細を加えることで、成り立つ。
書き言葉は独白である。書き手は、その場で反応を得られない。分かりにくい箇所があると、それを解決することが出来ないため、結果的に書き言葉では、分かりやすい構造と表現が重要となる。
これらの話し言葉と書き言葉の物理的媒体によるコミュニケーションの差異のために、この2つの言語が、それぞれ異なる文法的性質を持っていることは驚くべきことではない。
Building phrases, clauses, and utterances
複雑な素材を使用するのに、書き言葉では、中止したり、思案したり、書き直したり、訂正することができる。
止まらな話し言葉は、多くの構造を保持し組み立てる記憶の許容量によって制限されている。
そのため、読者は、聞き手よりも複雑な言語を読み取ることが出来る。好きな速度で読み、必要ならば過去に戻ることが出来るが、聞き手は自分の好きな速度で聞くことが出来ない。
以上の理由から、書き言葉は、比較的情報が濃くつめられた、建築的な構造をもつ傾向がある。一方、話し言葉は、よりぼんやりとした要素の、一直線に続く構造を持ちやすい。
また、書き言葉の名詞句(NP)は、核である名詞の周りに、定詞、形容詞、名詞、後置修飾などが含まれる大きな構造となる。話し言葉の名詞句(NP)は修飾語が少なく、特に主語は1つの代名詞がほとんどである。
そして、話し言葉では、別々の句や節で表現されることを、書き言葉ではよく名詞化(nominalize)する。
書き言葉は、長くてとても複雑である。複雑な埋め込み文を持つ、とてつもない階層的組織が可能である。
このようなことは話し言葉にはあまり無い。話し言葉の節に含まれる単語数はだいたい平均7語だが、改まった書き言葉はその2倍である。
話し言葉は実際、文として分析することが難しい。話し言葉は、発話と緩く結びついた、句や節の一直線の構造からはみ出ているように見える。構造的な階層を成すというよりかは、追加の方法である。例えば、以下のようである。
'So there's nobody here, so if you could, if you could come in for a couple of hours, in case the gas people come.'
Reference and context
言語の分析のためには、文や節、句などとして分かりやすくして、小さな単位で観察することがよい。
しかし、言語は普通もっと大きなものである。例えば、会話や歌、演説、広告、手紙、願書、法案、詩、小説などである。
話し言葉でも書き言葉でも、コミュニケーションを成功させるためには、これらのテキストは構造的でなければならず、そして結果として、主に大きな言語の集合体と関係している、文法的様相がある。
テキストを構成する時に重要なことは、参照の調節である。
一度、特定の人やものに言及したら、人はもう一度言及するだろう。しかし、同じ形で何度も繰り返されるのは効率が悪い。「ある日赤ずきんちゃんは、赤ずきんちゃんのおばあさんに荷物を届けることになりました。赤ずきんちゃんはまず森を通って・・・」のようになる。
言語は語彙の繰り返しを許容するために言語は大きく変化するが、前方照応(anaphoric, back-referring)代名詞を使用することによって、この繰り返しに対応することが多い。例えば、「その人」「それ」「今私が話していたその人」である。
この形式を使うことによる効率の良さは、正確さと引き換えに成立している。従って、必然的に曖昧さが生じる。たとえば、「アンはベアリースに、彼女はひどい失敗をしたと伝えた。」
英語のように代名詞が少ない言語だと、この曖昧さは大きくなり、参照する名詞の分類がたくさんある言語では小さくなる。しかし、一般的に、この曖昧さは簡単に防止し解決することが出来る。
名詞の他にも、句が代用法(pro-form)によって要約することが出来る。例えば英語では、既に述べられた動詞や、形容詞や関係詞節、目的語を置き換えることが出来る。'I've already done it.', 'We would oppose such a decision.', 'I hope so.'
参照の明確さが必要の無いときもある。既に述べられ、文脈から特定することが出来る場合、省略(ellipsis)が一番効率が良い。例えば、このような会話がある。'Why did you do that?', '(I did that) to annoy you.'
参照の方法は書き言葉と話し言葉でも異なる。
多くの書き手は、知らない人に対して書くので、当然、文脈や知識を共有出来ない。従って、書き言葉は話し言葉に比べて、代名詞が少なく、名詞が多い。
一方、話し言葉は今、此処に固定されている。会話の文脈は話し手の精神状態や共有知識や言葉のやり取りにより成立するので、発話されない情報を多く含んでいるだろう。'Look at that!'のような指示詞は、話し言葉によく使われる。
そして話し言葉では、'so'や'do'や'one'のような単語と代用されることが多い。省略は、日常的な会話でよく見られる。それら不完全な発話は、2人の話し手の発話によって完成するだろう。
'Given' and 'new': information flow and topic-maintnance
テキストは、既に与えられた(given)古い情報と新しい(new)情報を統合することによって、どんどん増加して組み立てられてゆく。
結果として、情報の地位を明らかにすることが求められる。
英語の冠詞の複雑なシステムは、定性を表す。書き手と読み手、話し手と聞き手が既に知っている特定出来るものを参照しているのかをどうかを示す。例えば'the'は、既に話しているものなど、特定出来るものにつく。'a'は、以前の話題には上がらず、特定出来ないものにつく。
定冠詞や同等の屈折などを持たない言語では、このような方法で定性を示すことは出来ない。
しかし、情報の新旧は語順によって示すことが出来る。テキストは、旧-新の順番で構成される事が多い。文や節は、同然であると見なされるたり、既に知っているものから始まり、大事な新しい情報は最後にくる。
多くの言語では、主題(topic)を文法化することによって対応する。主題が提供されるこの構造では、節の最初に分離して配置される。主題は主語である必要は無い。例えば、'The lecture, I thought I was going to die of boredom.'
英語では、特に書き言葉では、主題が文法的な主語となりやすいが、これは英語の語順で節の頭には主語か来るからである。したがって、英語の主語は、'the'の付く定性であることが多い。
話されている状況や行動において、主題となる人や物が、動作主であったり主要な参与者である場合は、このような主題と主語の混同は問題にならない。むしろ、自ずから一致するだろう。
しかしその他の場合では、主題を主語の位置に持ってくるために、動詞や構造を選択し、語彙的あるいは統語的なごまかしが必要となる。英語には自動詞/他動詞の動詞の組み合わせが豊富にあり、このような工作が得意である。このような主題の操作は、能動、受動の切り替えにも重要である。
英語の話し言葉では、よく主題と主語が切り離される。
さまざまな主題-解説の構造が、聞き手が整理するする時間を与えながら、同時にメッセージの一部を担うことが出来る。例えば、'Last Wednesday it was, I was just going to work, ....'
節の後ろに、情報を配置することで付け加えることも出来る。例えば、''They work very hard, most fo them.
話し言葉の実体である音声が、微細で複雑なテキストを扱うことが出来る。
多くの言語が抑揚(intonation)によって、どれが背景であったり、古い情報であったり、共有知識であるかと、どれが焦点となる情報であるかを示すことが出来る。
古い情報は、不完全を示す上昇の抑揚を呈し、新しい情報は、完全を示す下降の抑揚を呈する。この点に置いて、話し言葉は書き言葉よりも、語順への依存度が低い。
音韻論的な特徴は、空間的な焦点や強調を指し示すことも出来る。'She only played tennis with Mr. Anderson on Friyhdays.'は語順だけでは曖昧な文であり、発音によって完成される。
書き手は、このようなニュアンスをその他の方法で表さなければならない。下線や斜体などの見た目での情報は限りがある。抑揚や休止などの話し言葉による効果とあまり変わらない。
語順を変えることで問題は解決するだろうし、分割もよいだろう。'She played tennis with Mr. Anderson only on Friyhdays.', 'It was on Friydays that She played tennis with Mr. Anderson.'
Michael Swan, Grammar(UK; Oxford University Press, 2005)
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