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前の6章では、言語音声と、その枠組みを成す分類について述べたが、私たちは言語音声を、コミュニケーションの為に作り出していることを忘れてはいけない。
言語音声は特定のルールを持つ言語の中で使われ、彼らの音声の認識の枠組の中でしか知覚出来ない。
それぞれの言語は、限られた数の音声のセットしかない。その特定の言語の中では示差的である。1つの音素(phoneme)を他のものに取り替えれば、語の意味が変わる。加えて、特定の方法でしか他の音と結合しない音声もある。
 
子供の言語習得の過程は大変興味深い。乳児は、今後学んでゆく言語とは全く似つかない、意味なの無い喃語や声を出す。
1、2年もすると、乳児のような音声は永遠に、大人になって音声学を学ばない限り、話されることがなくなり、母語の典型的な音声と音声の原型を学んでゆく。
この時、彼らは何を学んだのだろうか。
彼らの母語の音韻論(phonology)を学んだのである。
言語の音韻論は、言語学的構造の一部分であり、なぜ音韻論が言語音声学(linguistic phonetics)と呼ばれるのかを説明するものである。
音韻論の学術的研究は、今から述べることよりも遥かに、基礎的な音声システムを扱う。ちゃんとした音韻論の解説には別の一冊の本が必要である。
 
System of sounds
ページ数の関係で、詳しい解説や多言語での比較をすることできないがここでは、母音と子音に見られる、さまざまな種類についての分析を簡単に述べる。
Vowel
母音に関しては多くの異なる言語システムでの観察があり、解釈を争っている。
まず、母音の数であるが、世界には、3つしか母音の無い言語が多くある。/i/と/a/と/u/である。次は5つで、上のものに/e/と/o/が加わる。
どうやら世界には、偶数の母音システムより、奇数の母音システムの方が多いようである。しかし、2つや1つしか母音がない言語の存在も主張されいる。
多くの母音を持つ言語では、母音をさらに分類することが可能であるようである。
イギリスのBBCアクセントでは、20種の母音があると言われ、短母音(short vowels)長母音(long vowels)二重母音(diphthongs)に分類する。
しかし、長母と二重母音を、2つの音素の結合であると考えれば、その数は大幅に減らすことが出来る。
その場合、英語の基本的な母音/i, e, a, o, ʌ, u/の6つだけを扱う。[ə]はそれらの母音の異音(allophone)として考えられる。1つの可能性として、[ʌ]と[ə]は、同じ音素の強勢がある時と無い時である、と言うことも出来る。
長母音も同じ音素の連続と考えることが出来る。/i:/は/ii/など。
どの考え方を選ぶかは、目的によって自由に選ぶことが出来る。
Consonants
全ての言語に子音がある。しかし、その数と種類は言語によって全く異なっている。母音と同じように、子音のすべてを見るのではなくて、種類と原型を述べてゆく。
12以下の、少ない子音しか持たない言語もある。アボリジニーの諸言語は、破裂音を含まないものが多いが、その他の言語はほとんどが破裂音を持っている。
英語は6個の破裂音/p, t, k, b, d, g/があるが、ヒンディー語はそれにそり舌音と帯気音を加えて、16個の破裂音を持っている。加えてインドの言語の1つであるマラヤーラム語は、5つの調音点での破裂音と鼻音を持っている。
有声無声と有気無気の区別の使い方は言語によって様々に異なる。
韓国語は、破裂音に関して有声無声の区別が無く、帯気音によって区別する。無気音と弱帯気音と強帯気音である。
このような、世界の言語の多様な音声システムは音声学と音韻論の魅惑的な側面である。
 
Groups of sounds
その他の、言語と言語の違いを生むものは、音声の結合の方法である。主に音節の構造の面から研究されることが多い。
ある特定の言語での音節の構造について調べれば、どんな音素の結合が存在しうるかが解かる。
多くの言語では、音節の説明はとても単純である。
全ての音節は母音を含む。先行する子音とともにCV、そして母音だけのVがある。日本語がそうだ。
もっと複雑なスペイン語の音節では、始めに2つまでの子音、最後に1つだけ子音が付くことが出来る。'tren(列車)'が最大の音節である。
英語は、最初に3つまで、最後に4つまでの子音が付くことが出来る。
音節内にどんな子音や母音が生じるかという選択は、自由ではない。どの言語も、正しい音節と正しくない音節の制限は厳しく、その規則を学ぶことも、言語学習の一部である。
スペイン語は、音節末に1つ子音をつけることが出来るが、その子音も制限された子音のうちの1つであるかもしれない。
英語は、音韻末に子音を付けなくてもよいが、その記述は、終子音のない音節には短母音は生じないという事実を明らかにはしてくれない。
このような音声の型の研究は音韻論の範囲であり、様々な言語の音声システムを知る上で重要な学問の一分野である。
 
Peter Roach, Phonetics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series

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複数の例を見て、通時的現象と共時的現象の考察を深める。
まずは、古代高地ドイツ語と先史アングロ=サクソン語の複数形の発音の変化である。
古代高地ドイツ語
 gast(客)/gasti(複数形) hant(手)/hanti(複数形)
      ↓             ↓
      gesti           henti
      ↓             ↓
      geste           hente
      ↓             ↓
     (gäste)←現代ドイツ語  (hände)←現代ドイツ語
 
先史アングロ=サクソン語
 fôt(足)/fôti(複数形) tôd(歯)/tôdi(複数形)
      ↓           ↓
      fêfi          têdi
      ↓           ↓
      fêt          têd
 
それぞれ複数形にはiが付け加えられているが、iはそれぞれ先行する母音に対して置換作用がある。古代高地ドイツ語ではaがeに、先史アングロ=サクソン語ではôがêに対置された。
次は語末のiの弱化が生じ、古代高地ドイツ語ではeに書き換えられ、先史アングロ=サクソン語では欠落している。
 
この時、単数形と複数形の関係は、水平な関係である。一方、語形の変化は、垂直の軸によって表すことが出来る。
このような二重性に関して、以下のような考察が出来る。
1、通時的な現象と、それがある単語の複数形である、ということは関係がない。gasti→gäste(客たち)は、tragit→trägt(運ぶ)の変化と全く変わらない。
2、共時的な状態としてのシステムが、時代の数だけ存在していることは確かである。では、システムが丸ごと入れ替わっているのだろうか。
そうではない。刷新はシステムの要素だけに生じるので、fôt/fôtiもfôt/fêtも単数/複数の関係性(システム)は変わらないし、その関係性を保持する為に、項の対立関係は常に存在していなければならない。
3、状態(仏 êtat)は偶然である。伝統文法ではこの哲学が無かった。概念のあり方をそのまま言語で写し取っているということは無い。言語の状態は常に偶然の生起によるものである。
4、共時的事象にシステムがあるように、通時的事象も同じ秩序にしたがっているのだろうか。システムの中に、変化と関係のある事象があるのだろうか。
上の3つの点から考えても、共時的な事象には共時的な科学、通時的な事象には通時的な科学によって扱われるべきである。この2つの領域の秩序は、関係性が無いと言える。
 
その他の例。
チェコ語の名詞には、属格複数形と呼ばれる語形が存在する。しかしハンガリー語には属格複数形の記号が無い。
概念が全て、聴覚イメージとなって現れる訳ではない。言語の状態は偶然であると言う3つめの考察を復唱する。
 
また別の例。
ラテン語からフランス語への過程におけるアクセントの変化について。点がついている音節にアクセント。
 羅 ángelus(天使) metiérium(役目)
 仏 ánge(天使)  metiér(仕事)
ラテン語のアクセントは語の後ろから2番目が短音であると、後ろから番目に強勢がおかれ、後ろから2番目が長音だと、うしろから番目に強勢がおかれる。
フランス語では、語末に無声のeが無い限り、最後の音節に強勢がおかれるという法則がある。
つまり、上の単語は、アクセント位置に合わせるように、語末が切り取られた形になっているということである。本当にそう言えるのだろうか。なぜこのように形が変化したのだろうか。
これはただ、残った音節の問題である。通時的な変化である。
アクセントをシステムとして捉えるのならばなおさら、その結果は偶然でしかない。状態は、その状態を作ろうとする意図とは無関係である。
 
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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広く共有された大衆文化は、方言を追い出してしまうのだろうか。
今も新たな方言が生まれているのだろうか。
 
アメリカ合衆国には少なくとも4つの'bought'の母音の読み方が存在する。
'awe'か'ah'か、もしくは南部の田舎'ow'に近い発音か、生粋のニュー・ヨーカーを風刺するのに使われる'wo'だろうか。
炭酸飲料には、'pop''soda''tonic''co-cola'それにアパラチア山脈地方の方言'dope'などの単語がある。
都市の環状道路を自転車で走る時はその道路はなんと言う名前か。'a beltline'か'a beltway'か'a ioop'もしくは'a perimeterか'。
銀行から現金を引き落とす機械は'a bank machine'か'an automated teller'か'a cash machine'もしくは'ATM'か。
 
私たちは、方言を避けることが出来ない。
そして多くの場合、それは他人方言にしか見られないので、ボストンから来た人も、メディシンハットから来た人も、みんな「私の住んでいるところでは方言を話さない。みんな普通の英語を話す」と、同じ意見を言うのである。
もちろん人々は異なった母音の発音をするし、同じものに対して異なる単語を使うのである。
 
方言はどこにでも、都会にも田舎にもある。
方言を用いずに、言語を話すことは不可能である。好き嫌いに関わらず、私たちはみんな方言に直接関与しており、それは避けられない。
 
では、人々が活発に動き回り、頻繁に旅行に行き、携帯電話で話し合うような、地球全体のコミュニティーでもそうなのか。
メディアや、人々と情報の流動性によって、方言が無くあることがあるだろうか。
方言学者は、「方言は、北部や中部、南部の有力な方言によって消え去ってしまう。それら有力な方言は200年後まで生き残る」という噂を否定している。
アメリカの北部と南部の口語は、今まさに、さまざまな方言に分かれている。統一されるような動きは無い。
北部のシカゴとバッファローでは異なる発音を確認することが出来る。
その変化はとても捉えがたいので、確認出来なくても当然なのだが、アメリカ北部の中で、南部や西部の方言がだんだん分化していっているのは事実である。
 
孤立している訳でもない地方で、現在でもまだ方言が変化し分化していることは、非論理的に聞こえるかもしれない。
しかし、言語はいつだって変化している。
もちろん私たちはみな、同じテレビ番組で同じニュースキャスターの言葉を聞いているが、それはあまりにも非人格的である。
方言は日常生活での相互作用によるものであり、私たちがどれだけ地元のコミュニティーに溶け込んでいるかを知る指標となる。
 
世界的な文化を侵略する多くの地域も存在するが、それらは、強い地方共同体の観念によって追いつめられている。
ピッツバーグの人々は、ピッツバーグ語を話すことを誇りに思っているし、ピッツバーグ人になりたかったらピッツバーグ語を話すのが良い。
 
一方、危機的な方言もある。観光客によって、孤立した山や島の人々が話している方言が、危機に陥ることもある。
だが、それらの言語はピッツバーグの人々のように自分たちの言語に誇りを持っているし、方言は観光客と地元の住民を区別するのに便利である。
 
驚くべきこととして、多文化の影響が大きいシアトルや北カリフォルニアなどでは、今まで無かった方言を目立たせることによってに、地元の人々のアイデンティティーを表わそうとしている。
 
伝統的な方言が滅ぶこともあるだろうが、まるでモグラたたきのように、新しい方言が取って代わるだろう。
それらの死の噂は、誇張されるものだ。と、有名なマーク・トウェーンの言葉がぴったりである。
方言は生き残るし丈夫である。それに、地域と社会文化的風景の重要な一部分を担っている。
 
Walt Wolfram, "41 Are dialects dying?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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チェスと言語は共通点が多い。
チェスも盤上での価値に基づき動くゲームである。駒と駒の相互の関係性により局面全体が定義され、一手一手で局面の緊張関係がころころと変わってゆく。
1、駒の価値は、その他の駒との位置関係(システム)の中で決められる。
2、システムは常に入れ替わるもので、駒の価値は一時的なシステムに基づく。
3、システムの移行は、1つの駒の移動であり、全ての駒が移動するのではない。
 
3に関しては以下の考察が出来る。
Ⅰ、通時的な事象が、チェス盤という範囲とともに、一手という形で明示的に示されている。
Ⅱ、駒の動きは、盤上の状態からは計算出来ない。価値の変化を伴わない駒の移動もある。
Ⅲ、一手前の均衡状態と、今の均衡状態は全く別のものである。
 
チェスと言語の決定的な違いは、チェスは指し手の意図が影響することである。言語の通時的な変化には、計画は存在しない。
しかし例え、価値の移動が計画的であっても、移動によって作り出される新たな局面の本質(システム)との結びつきを示すものではない。
 
言語に作用する法則が、まず、通時的であるか共時的であるを区別しなければならない。
a、通時的な法則はあるのだろうか、そしてその本質は何か?
b、共時的な法則はあるのだろうか、そしてその本質は何か?
この区別をしなければ、その法則の正誤や適性についての議論が出来ない。
 
通時的な法則の例
1、ラテン語のkの音は、フランス語に入るとchの音に変化する。
4、ギリシャ語では、語頭のσがhに変化する。
5、ギリシャ語では、語末のmがnに変化する。
6、ギリシャ語では、語末の閉鎖音が消去される。
共時的な法則の例
2、フランス語のアクセントは常に語の最後の音節にある。
3、ギリシャ語の語の最後には、σ,ρ,ν以外の子音は表れない。
 
通時的な法則は強制的で動的である。
新たな状態に変化する為に、以前の状態は消去される。
共時的な法則は、存在する秩序に関するものである。
もちろん状態の秩序は一時的なものであって、状態を維持するものではない。力の強い通時的な法則により無効にされる。
 
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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外国語が好きな人には、どんな仕事があるだろうか。
そのためにどんな準備が必要だろうか。
 
学校や軍隊、平和部隊や海外旅行などで、言語を学びそれを使うことの楽しみを知るだろう。
1つの言語を徹底的に学ぼうとか、それとも他の言語を学ぼうとか思ったときに、「何に使うのか」とい問いの心配がある。
 
複数の言語を知っている人々が、その能力を使って人生を良いものにする方法はたくさんある。
 
言語で生活するには2種類の方法がある。
ひとつは言語の仕事(Careers in Language)とも呼べる、言語能力が中心な専門職である。
もうひとつは、仕事における言語(language in Careers)とも言える、言語が、仕事上の重要な道具となる職業である。
 
言語の仕事(Careers in Language)は、直接的に、ひとつもしくは複数の優れた言語能力に基づいている。
典型的なものが言語教師である。学校や大学、その他の語学教室で多くの勤め口がある。アメリカでは、局所的に教師が不足しているため、多くの国から教師を受け入れている。
もしも言語とその文化が好きならば、教師になるのはどうだろうか。とてもやりがいのある仕事だ。
 
そして、翻訳と通訳の仕事がある。
両方とも、飛び抜けた言語能力と深い文化理解が必要で、加えて特殊な訓練を受けなければならない。
科学記事から法的契約、文学、不審なメールから、食品の広告に至るまで、仕事は多岐にわたる。
 
通訳は、単一言語話者の患者と医者のやりとりを手助けするし、仕事上での役員や外交官との海外出張や、'language line'という電話での通訳の仕事もある。
本当に良い翻訳者や通訳者を見つけるのは難しいので、国や地方の行政府から、多国籍企業、非政府組織での仕事がたくさんある。
 
言語の仕事(Careers in Language)は言語能力なしには出来ないが、外国語を話し読める人のほとんどは、この仕事に付くことが出来ない。
外国語を話したり読んだり出来る人では、仕事における言語(language in Careers)の仕事に就いていることが多い。
社会福祉士、警察、役者、医療事務員、買い出し人員、新聞記者、歴史家など、さまざまな専門的な職業に付く。それらは言語が中心ではないが、言語を知っていることで有利になる仕事である。
この仕事では、言語は道具として力を発揮する。
複数の言語を使用出来るビジネスマンには、高い給料が支払われることが一般的であるし、海外の論文を読む科学者も、さまざまな国の本を扱う司書も、熱帯雨林で活躍する環境問題研究者も、医者やナースも、外国語が話せることはとても有利である。
 
政府に関して考えると、外交官は仕事の為に複数の言語が使用できることが望ましいし、アメリカの軍隊の事務員には同等の能力が求められていた。
諜報機関や法の執行部、法廷や、調査事務所などの商業組織では、何百もの役職で言語能力が求められている。アメリカでは、80以上の連邦政府機関で100以上の言語の専門家を必要としている。
これらの仕事は教師や翻訳家のような言語の専門職ではないが、言語能力のある職員、社員は組織に取ってとても価値があると認識している。
 
そしてもうひとつの、言語に興味がある人の仕事が、言語学者である。
言語学者は、言語一般に、もしくは特定の言語に存在する、システムの調査である。そして、文化的社会的文脈の中での言語の機能の研究もする。
言語教授法や音声認識ソフト、コミュニケーションスキルの向上の研究など、応用言語学(Applied Linguistics)と呼ばれる分野も含んでいる。
言語学専門家は、文語文法、電子コミュニケーションのための辞書、自動翻訳、学生の指導まで、おおくの重要な仕事に携わっている。
行政的対話、公的関係、医者と患者の意思疎通、法廷での文化的な言語使用の差などの現象に、専門的な調査や助言を与えてくれる。
有名な言語学者デボラ・テネンは、職場や家庭での意思疎通の失敗などに関するさまざまな洞察を本に記している。
 
言語を学び、それが楽しいと思うのならば、その気持ちに従い、言語学習に多くの時間を割くべきである。
何かにつけて、その能力は功を奏するだろう。
 
Frederick H. Jackson, "42 Can you make a living loving language?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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言語学が大好きな一般人のブログです。 過去の記事は、軌跡として残しておきます。
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