文字表記の力は、音節だけでなく、文法にも勝る事がある。
特にフランス語では文字表記と言葉の歪められた関係が多い。
フランス語の'h'は発音されないが、その事については「気音も'h'の前では冠詞'le'はリエゾンされない」と説明される。
それは間違いである。フランス語には、気音の'h'も気音でない'h'も存在しない。
古フランス語では'omme'と書かれた単語を現在は'homme(人間)'と書いているのである。
'gageue(無謀な行為)'の'eu'を、どのように読めば良いのかと言う議論があった。
'heure'によれば/oe/、'j'ai eu'によれば/y/と読むべきであると言う議論である。
語の派生に従うのならば、'gagar(保証する)'/gajer/→'gageue'/gajure/である。
'geneois'か'gènevois'かという問題は、最初の'e'にアクサンテギュをつけるかどうかということではなく、無声の/e/に先行する最初の'e'が'è'に変化するのかどうかと言うことである。
'v'と'u'の表記上の混同から、'Lefebver'から'Lefebure'が生じた。
かつて無くなった語尾の'r'が復活し、'nourrri'から現在は'nourrir(食べ物を与える)'と発音される。
映し出すものとしての文字が、本体であるはずの言語現象を作り出す。
このような現象は言語学ではなく、奇形学(teratology)の領域である。
したがって、少しでも昔の、文字表記しか手にする事が出来ない時代の言語を扱う時は、このような歪みに注意しなければならない。
文書を通した言語の研究には解釈が必要である。
文字表記に隠された、固有言語の音韻システム(独 système phonologique)を構築しなければならない。
言語学者が研究対象とするのは、この音韻システムのみである。
文字表記から音韻システムを確立するための手がかりとして残っているのは、当時の文法学者の詳細な、言語音の記述である。
しかし、例えば16世紀の文法学者達には音韻研究と言う考えがなく、用語も自分本位で用いていたため、彼らの記述から正確な意味を抜き出すの一苦労である。
印欧語派の比較言語学では、しばしば進化の過程の一部分が手がかりとなる場合がある。
もっとも基本的な、ケントゥム語派(centum/kentum/)とサテム語派(satem)の比較から、印欧祖語には/k/があったに違いないことがわかる。
これは、起点のみが手がかりとして手元にある状態である。
加えて、起点と終点だけがあることもある。
例えば、中世の文字がどのような発音を指していたか不明なとき。
中世ドイツ語に置いて、'z'がいかなるものか不明な場合、それは、より古い't'、新しい'ss'の間に配置する事で初めて分かる。
water→wazer→wasser
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007
『ケントゥム語派』-Wikipedia
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私たちの持つ調音器官は無限の音声を生成する事が出来るが、科学的な研究の為には分類が必要だ。
数千年前から用いられている最も基礎的な区分は、母音と子音である。
この基本的な枠組みを元に、この世に存在するあらゆる音声を分類し階層化し、時には新しいカテゴリーを作成してゆくのである。
さまざまな音声を扱っているうちに、音素(phoneme)を確認することがきる。
それは、ある特定の言語での示差的な特徴として機能するものである。示差とは、つまり、その言語で意味の違いを生じるという事である。
音素は抽象的なものであり、それが実現された物理的形式が、私たちが耳で聞く音声であると定義される。
音素はしばしば、複数の異なる物理的形式を持っている。これが異音(allophone)である。
音声のカテゴリーを決めるときに、私たちは決まった記号で記述する。概要は1章で述べたので、詳しく紹介する。
まず、重要なのが、ある一つの言語の音素に関する記述なのか、一般的な音声としてのIPAなのかを区別する為に、書式に関して決まり事がある。
一つの言語の音素を書き表す場合は/スラッシュ/を用いてあらわし、音声記号を用いる場合は[鉤括弧]でくくる。
'ostrich(ダチョウ)'という英単語を発音記号で書き表すと/ɒstrɪtʃ/であるが、もっと詳細な発音が知りたい場合はIPAを用いる。
/r/はこの環境では一般的に無声音として発音されるので、字母に無声化の補助記号[。]をつける。IPAにおいて[r]は巻き舌音を示すので、英語の/r/は[ɹ]と表記する。
一般的な英語話者は/tʃ/の音を円唇を伴って発音するので、字母の右に補助記号[ʷ]をつける。
加えて/tʃ/の前に声門閉鎖が加わるので、[ʔ]を書き加える。
従って、'ostrich'のIPA表記は[ɒstɹɪʔtʃʷ]となる(無声化の補助記号は入力できませんでした)。
Vowels
もっとも重要な母音は'key'の母音[i]と、'half'の母音[ɑ]であると言われている。
これと似た母音が、ほとんどの言語で用いられているし、幼児が一番始めに覚える母音である。
[i]は舌が口蓋に近づいて口が閉じているが、[ɑ]は舌が低く下がり、大きく口を開けて発音する。
これから、[i]は狭母音(close vowel)、[ɑ]は広母音(open vowel)と分類する。
もう一つの基本的な母音は[u]である。
[u]は[i]と同じように口を閉じているが、この2つの違いは以下の二点である。
まず、鏡を見れば直ぐに、[u]は唇が丸まって居る事がわかる。[i]は円唇化せずに、笑うように左右に広がっている。
そして、[u]は[i]よりも、舌の後ろの方が盛り上がっている事が分かる。[i]を前舌母音(front vowel)と言い、[u]を後舌母音(back vowel)と言う。
「狭ー広」、「前舌ー後舌」の4項が最も重要な区分である。
その他にも、狭いと広いの間には、半狭(mid-close)と、半広(mid-open)が存在する。
前舌と後舌にも、間に中舌(central)が存在する。
そしてそれぞれに円唇(rounded)と非円唇(unrounded)が存在し、母音の配置図の右側に円唇母音、左側に非円唇母音の記号が書かれる。
狭、半狭、半広、広の4つと、前舌、後舌の2つ、そして円唇、非円唇の2つのカテゴリーを合わせた、合計16個の母音を基本母音(cardinal vowel)と言う。
全てを含む言語は存在しないし、加えて、円唇前舌広母音[ɶ]に関しては、いかなる言語の音素としても存在していないのではないか、という疑問がある。(この音声の最も近いのは欠伸の時の声である。)
もちろん、他にも有名な特徴はあり、フランス語やスペイン語で見られる鼻母音(nasalized vowel)がそうである。
加えて、長母音(long vowel)と短母音(short vowel)の違いもある。エストニア語には短、中、長の三段階の区別がある。
Consonants
2章で見たように純粋な子音は声道を通る空気の流れの妨害から生じる。
私たちは子音を以下のように区分する。
1、音声が、有声(voiced)であるか、無声(voiceless)であるか。
2、妨害がなされる調音位置(place of articulation)。
3、妨害の仕方もしくは、調音方法(manner of articulation)。
4、子音に用いている気流(airstream)。
1、Voicing
声帯の振動に関しては、はい・いいえの二択だと思われているが、実際は複雑である。
破裂音である/d/や/b/、摩擦音の/v/や/z/は有声音に分類されるが、英語では、実際に声帯が振動するのは、最後の瞬間のみである。
/m/や/l/に比べれば遥かに少ない振動であるし、他の言語では、もっと長く声帯振動を伴う[d][b][g]が存在している。
2、Place of articulation
どのように子音を発音するかについてはすでに簡単に説明したが、もっと詳しく調音器官を見る必要がある。
---調音器官(04/09)に図があります。
声道の一番外側は、両唇音(bilabial)である。上と下の唇を使う。
上歯と下唇のふれる調音位置を唇歯音(labiodental)と言い、舌で上歯に触れる位置を歯音(dental)と言う。
上歯の後ろを歯茎(alveolar ridge)といい、舌で触れると歯茎音(alveolar)となる。
歯茎より少し奥の位置に舌で触れると後部歯茎音(post-alveolar)になる。あまり後ろに下がりすぎると硬口蓋音(palatal)になる。
舌の奥の方で軟口蓋(velum)に触れると、軟口蓋音(velar)となる。
硬口蓋の一番奥の部分に舌で触れるものを口蓋垂音(uvular)という。
喉頭の方へと奥に進んでゆくと、咽頭での調音を咽頭音(pharyngeal)と言う。
そして、声帯と声帯の間の部分を声門(glottis)と言い、そこで行われる音声を声門音(glottal)と言う。
これらの調音位置に加えて、伝統的にそり舌音(retroflex)というものがある。これはある特定の舌の形を指す名前で、調音位置ではない。
舌を後ろにそり返す調音方法で、英語では/r/を伴う母音等で見られる、インド亜大陸の言語の子音に用いられる。
3、Manner of articulation
ここでは、どのように空気の流れが妨害されるかを見てゆく。
妨害の方法には、完全に空気の流れを遮断してしてしまうものから、母音のように流れ放しのものまである。
破裂音(plosive)は完全に空気の流れを止めるもので、一瞬完全に静止する。そして圧縮された空気を放つのである。
開放の際のに、短い破裂の音(plosion)がする。これには「はーっ」と息を出すときの帯気音(aspiration)が続く。
鼻音(nasal)は口腔への空気の流れを完全に遮断し、鼻腔へと抜ける方法で、音量は小さい。
摩擦音(fricative)は空気の流れを阻害するもので、かすれた音を作り出す。
破裂音で、開放の際に同じ調音位置で摩擦音おを生じさせるものを破擦音(affricate)と言う。
たたき音(tap)とはじき音(flap)は共に発音時間の短い音で、舌で一瞬、口腔の壁に触れ、短い間だけ空気を遮断する。
はじき音は、それにそり舌が加わるものである。
特殊なものにふるえ音(trill)がある。舌先や口蓋垂を使うのが一般的で、継続して何回も調音器官を振動させる調音である。
最後の調音方法が接近音(approximant)で、特に、口腔の中央で閉鎖を作り、口の横から空気を出すものを側面音(lateral)といって区別する。
英語の/r/の音は、歯茎接近音という。舌は歯茎に接触しない。
4、Airstream mechanism
調音に使う気流を細かく分けるのならば、まず肺の(pulmonic)ものがある。
そして喉頭の上下運動による声門の(glottalic)気流。
後舌を軟口蓋に当てて閉鎖を作り、舌を前後させて起こす軟口蓋気流(velaric airstream)。
そして、体内から体外への空気の流れを呼気音(egressive)、体外から体内への空気の流れを吸気音(ingressive)という。
これらの分類は子音によるものである。肺の呼気を使った音声を肺臓気流機構とも言う。
参考文献
Peter Roach, Phonetics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series
前回あげた、文法学者による発音の記述と、印欧語研究による資料の他にも、文字表記から音韻システムを引き出す手がかりは存在する。
まずは、同じ音に当てられた異なる書記法の存在である。つまり、表記の揺れ。
古ゲルマン語での'zehan(10)'と、'wazer(水)'の'z'は同じものであるのか。
'zehan'は'cehan'と表記される事もあったが、'wazer'は決して'wacer'とは表記されなかった。
そして、詩に残された音律システムである。
英語での'make'や'tale'などの語末の無声の'e'の価値は、14世紀にはどうだったのだろうか。
時代を代表する英国の詩人チョーサーは、'tale'を二音節として数えている。
他にも、古フランス語の詩では、'faz'と'gras'で韻を踏んでいるのが見られる。この'z'と's'は似たような音であった事がわかる。
加えて、ラテン語の'a'からきた'e'('mer(海)'、'cher(親愛な)'、 'telle(そのような)')と、その他の'e'('vert(緑の)'、'elle(彼女)')は決して韻を踏まない。
このことから、文字表記では混同されている発音の違いが明らかになった。
ほかにも言葉遊びが資料となりうる。
文字表記が、言葉を正確に書き表しているのであるなどと思ってはいけない。
これらの曖昧で不正確な文字表記とは別に、音声を書き表す記号体系の整備が望まれる。
その前に、音声学(仏 phonétique)と音韻論(仏 phonologie)の区別をしなければならない。
音声においてどんな要素を記述すべきが十分に分からない段階で、文字体系は得られない。
(音韻論の成立はソシュール以後であるため、現在一般的に用いられる音声学と音韻論の区別は、ソシュールにはあてはまらない。現代でも、フランス語において'phonétique'と'phonologie'が混同される場合が少なくない。)
'phonétique'(小林秀夫訳「音韻論」、丸山圭三郎訳「史的音声学」、影浦峡訳「音声学」)
言語の音の、時間や地理的要因による変遷を扱う、進化音声学(仏 phonétique évolutive)であって、言語学の範囲内にある。
言語に使われている音を識別、分類することに重要なのは、聴覚の印象であって、それは、分析不可能である。
'phonologie'(小林秀夫訳「音声学」、立川健二、影浦峡訳「音韻論」)
人間の発する音声を分析し、普遍的な音のシステムを組み立てる、音声生理学(独 Lautphysiologie)であり、言語学ではない。
分析不可能な聴覚印象を除外し、分析可能な発声の仕組み、肉体のメカニズムを合理的にシステマティックに研究する。
どのように音を作るかは、どのように音が聞こえるかとは関係がない。
しかし、phonologieの出発点は聴覚印象である。
一連の音声の流れの中に、分節を見つけ、出発点としての単位を刻むには、それしか手がかりがないからである。
聴覚印象による節(tempo)の認識がなければ、phonologieでは、'fal'を一体いくつに区切れば良いのか分からないだろう。
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007
いつ、どのようにして言語が使われるようになったのか。
一番はじめの言語は何だったのか。
このような質問には、かつて流行していた超自然的な返答が簡単である。
言語は人間に与えられた天からの贈り物で、アダムとイブが誕生し、エデンの園で暮らしていた時から持っている能力である。
18、19世紀になると、歴史言語学(historic linguistics)が発展した。
学者達は現存する言語の相互関係を研究し、数千年も遡り、言語を分類する類縁の言語の樹形図をつくった。
多くの場合、この言語の系統は、今は存在しない祖語に行き着く。
歴史言語学者たちは、現存する言語から死語を再構築し、復元する方法を発展させ、その方法が、数千年前の言語に関して有効な結論を与えれくれると信じていた。
もっと昔の言語さえも復元出来ると考える学者もいた。
多くの学者は、一万年以上繰り返し分裂した言語は、変わりすぎて、その方法では導けないだろうと考えている。現在の人間言語は、その何倍も変化し続けているのである。
結局歴史言語学では。言語を使えない原初の人間と、今の私たちのようなしゃべり好きとの間の溝はうまらなかった。
言語の登場初期に、人々は何を話していたのか。
19世紀の初め、動物の鳴き声や自然の音の真似声から、発話へと発展したんだと言う主張がなされた。
しかし、その推測を裏付ける証拠は見つからなかった。
人々はそれらに、「わんわん説」、「ゴンゴン説」とちゃかした名前を付けて馬鹿にしていた。
それから何十年もの間、言語の起源は遅れた分野となっていた。
20世紀の後ろ25年で、様々な知識人達大勢が、この問題に夢中になった。
化石と人工物の研究をする古生物学(paleontology)によって、原始の人間達の年代学(chronology)が進歩し、どの時代に人間の言語が出現したかに関する議論が盛んになっている。
初めて道具を使用した、200万年前のヒトなのか、解剖学的に現代の人間の祖先とされる、5万年前の人なのか。
他の学問領域に置いても、人間言語の起源に関心が向いていいる。
心理学は、どのように幼児が言語を習得するのかという問題に集中的に取り組んでいる。
霊長類学(primotology)の分野では、猿達がどれぐらい人間言語を習得出来るかという巧妙な実験を開発している。
神経学(neurology)と解剖学(anatomy)の研究では、どれほど、人間言語が肉体によって進化し制限されているかを明らかにしている。
特に、解剖学者達は、人間が、音声を生成するのに適した声道と、それらを操作する適した緻密な組織がなければ、言語活動は不可能であると主張している。
現代の人間と他の動物の物理的な違いは、人間の喉頭が低い事である。
人間の言語能力は、呼吸や咀嚼、嚥下するためにつくられた体内のシステムから与えられた、おまけではない。喉頭の降下により咽頭や口も変化し、喉が詰まり易くなるという不利を被っている。
人間は、牛飲馬食が出来ない変わりに、話すことが出来るのである。
このような多くの学問領域に関わる努力も、原初の言語の再構築に関しては、有効ではなさそうである。
しかし、20世紀末の興味深い調査によると、原初の文法に関しては、知る事が出来そうである。
この数百年のあいだに、ヨーロッパ諸国といわゆる第三世界との接触によって、新しい言語が誕生している。
植民地や、奴隷たちの間で話されていた、様々な言語のごちゃ混ぜのピジン語が、クレオール言語へと育っていった。
スリナム、ハイチ、ハワイ、パプアニューギニアなど、遠くはなれた、全く語彙の重ならないようなクレオール諸語が、似たような文法体系を持っているのである。
人間の脳は、特定のパターンの発話をするように組み込まれているのではないかと、主張されている。
これが、原初の言語の仕組みについての手がかりとなりうるだろう。
Barry Hilton, "4 What was the original lanhuage?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
ひとつの言語しか話さない人ならば、自分が普通で、複数の言語を話せる人が例外で少数派だと考えるだろう。
しかし、実際は、世界の4分の3の人口が、二言語話者(bilingual)もしくは多言語話者(multilingual)である。
単一言語話者(monolingual)が、少数派なのである。
もちろん、それと二言語使用能力(bilingualism)とは、また別の問題である。
全てのバイリンガルが2つの言語を同レベルに話せる訳ではない。
9.11事件後、アメリカ政府が行った、英語とアラビア語のバイリンガルに関する調査では、一方の言語が日常生活には不十分であったり、両方とも流暢に話せても文字が書けなかったりする人々が居た。
どのようにしてバイリンガルになるのだろうか。
まず、家庭内が二言語環境である事がある。両親が子供達に対して、異なる言語を話すのである。
そして、言語学者が付加的バイリンガル(additive bilingual)と呼ぶ状況がある。
大きくなってから、学校で新たに言語を学んだり、幼いときに外国へ移住する等である。
バイリンガルの能力はどんどん減ってゆくもので、例えば、海外に移住した場合には、第一言語が置き換わってしまうこともある。
これを減法バイリンガル(subtractive bilingual)と言い、移民の家族に多く見られる。
例えばベトナムからアメリカに来た人が、だんだんベトナム語が話せなくなってゆき、英語話者となることである。
ベトナム語を話さなくなった、そのあとに、ベトナム語を話せるようになるには、きちんとした学習が必要になる。
親達は、子供が異なる言語に晒されて、混乱する事を恐れるかもしれないが、心配は要らない。
子供の言語習得は大人達の心配事となるが、家庭で二言語を使用する長所は、すべての短所に勝る。
子供達の言語の切り替え能力は非常に高く、すぐに2つの言語を適切に習得してしまう。
もともとの母国語を、子供達にも覚えてほしいと願う移民の親は、特別に働きかけをしなくてはならない。
少数派のエスニック言語を、学校で学ぶ機会はほとんどないので、いくつかの移民コミュニティーが語学教室を開催し、子供達に教えている。
子供のときにバイリンガルであっても、生涯バイリンガルであるとは限らない。
二言語使用能力はバイリンガル教育とは異なる。
バイリンガル教育は、様々な教科のなかの一種類として、学校で英語を教える試みである。
このプログラムはいくつかの理由から、頻繁に論争の的となっている。
近年では、二重の言語教育(dual language education)が人気で、有効だと考えられている。。
これは、単一言語話者である子供達を対象に、二言語で学校教育を行い、付加的バイリンガルを育てようとするものである。
多数言語と少数言語の共存する地域で、どちらの話者も一緒に参加出来る授業となっている。
もちろん、新しい言語圏への移民達が現地の言語を学ぶべき重要な理由がある。しかし、母国語を使い続けるべき重要な理由もある。
かれらは、新しい言語の習得に熱中し、母語を保ち続ける事に気が向かなくなるだろう。
しかし、両方の言語に長けた、本当のバイリンガルは社会で非常に有利である。両方の文化に所属し、境界のない世界への架け橋となる事が出来る。
私たちには、そのような人材をもっとたくさん育てる方法が必要である。
参考文献
Dora Johnson, "20 What does it mean to be bilingual"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
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