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世界には多くの文字が存在する。
左から右へ、右から左へ書くものもあれば、上から下へ、下から上へ書くことさえもあり、形状も様々である。
話し言葉と違い、書き言葉の始まりはよく分かっている。
石に刻まれた最古の文字がまだ存在しているの。

文字の発見は、社会がある程度複雑になれば、必然的に起こる。
小さな村では問題ないが、大きな町となると、誰が何をしたか把握できない。実際問題として、納税の記録が必要になる。
ある所では、縄の結び目で、他の町では楔の刻印や、絵を用いている。

文字の発見にもうひとつ重要なことは、話し言葉の、音の成分である。
アルファベットが読めない人が、英単語を、子音と母音に分解することは難しい。
ひとつの音節で出来た単語を、絵(文字)で書きあらわすと、絵として書き難いものの名前に含まれる同じ音を、作った絵(文字)で書き表すことが出来る。

最古の文字は5000年前のメソポタミアで生まれ、もう死語となった、シュメール語を記すために用いられた。
4000年前には、それとはまったく異なる文字が、中国語の先祖を書き記すために作られた。
紀元後4世紀ごろに、中央アメリカでマヤ語のための文字が発明されたが、それは数百年後に、マヤ文明と共に滅んでしまった。
従って、現存する書き言葉の全てが、中国か、古代イラクに還元される。

文字は、非常に便利なものなので、一度発見すると、ほとんどの人々はそれを採用しようとする。
日本語が漢字で表記されるようになったように、メソポタミアでは、さまざまな言語に、シュメール文字が採用されていった。
その過程で文字は様々に形を変え、エジプトの神殿や墓石に書かれるような神聖文字にも影響を与えた。
フェニキア人によってシュメール文字は、原材料となり、アブジャド(abjad)となった。
アブジャドとは、子音しか書き表さない文字体系のことで、子音と母音を一文字ずつで書き表すアルファベット(alphabet)や、基本的に子音だけを書き表し例外的に母音を書き加えるアブギダ(abugida)のもとなった。

ヨーロッパや北半球をはじめ、オセアニアや東南アジアなど、世界には数百種類のアブジャドがあると言われている。
下はソロモン諸島の11文字から、上はカンボジアのクメールアブギダ74文字まで、様々なアブジャドが存在している。
どのアブジャドも、帰る所はみな同じ地中海の古代フェニキアである。

フェニキア人は、偶然にも、アブジャドをギリシャに持ち込み、ギリシャ人はそれをエトルリアを通り、ローマへと持ち込んだ。
そこで、今日まで保たれるあの文字の形になったのである。
他のギリシャ人は東ヨーロッパにアブジャドをもたらし、キリル文字となった。
一見まったく異なる文字体系に思えるが、アラム語やインド語にも、フェニキアのアブジャドが引き継がれていった。

文字は、人間と人間社会の基本的な特徴であるが、世界中で見られる訳ではない。
半数以上の言語が、文字体系を持っていない。
しかし、時代は変わり、それらの言語も、冒険家や言語学者たちによってもたらされた文字で書かれるようになった。
ほとんどがローマ字である。

文字がなかったら私たちはどうなっていただろうか。
文字は言語と人間の歴史の重要な要素である。
文字がなくても、歴史は存在できるのだろうか。

参考文献
Peter T. Daniels, "10 Where did writing come from?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)
アブジャド』、『アブギダ』---Wikipedia

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時間のみによる刷新の発祥と、時間と空間による伝播は、違うものとして考えなければいけない。
音声学(phonetics)では、伝播を扱わない。
伝播は模倣である。そこに地域の独自性はない。

ある一点について、地元贔屓の力(独自、分断的)と交雑の力(共通、統合的)の区別をするのは容易である。
どちらか一方の力が作用する。
しかし面を考慮し始めると、両方の力が作用するのである。
ひとつのまとまりを考えれば、それが他の地域と分断的であっても、まとまりには必ず共通性が存在する。
刷新が、地域全域に広がらなかったとするならば、それは統合の力が弱かったからだと言うことが出来る。
分断の原因は、統合の力である。
統合の力に対抗するのは、他の統合の力である。

地理的な不連続性に関しては、地理的な連続性の後に言及するべきである。
印欧語の比較言語学者は、言語の多様性をすべて、地理的な不連続(人間の移住)に起因すると考えてきた。
そのように考えるのは間違いであり、ひとつの地域にとどまっていても、印欧語は時間により変化していっただろうし、異なる言語に分離していっただろう。
ドイツの言語学者ヨハネス・シュミットの著作によると、印欧語族の固有言語は連鎖的に繋がっている。従って、地理的な連続の中での多様性を考慮せざるを得ない。

地理的な隔離が多様性を生むならば、その要素を、地理的に連続していた地域が持っていてはいけない。
英語の特徴のひとつは、大陸で起きたp→dの変化が起こらなかったことにある。
それが地理的不連続に起因すると主張するならば、大陸にはpが残っていないことを証明しなければならない。
フランス語地域で起きたvacce→vache(牛)の変化は、フランス北部のピカルディ地方では生じなかった。
オランダ語とドイツ語は完全に連続した地域で生じた分断である。実際に、ベルギーのランブール地方にはベルギー語とドイツ語の過渡的な言語が残っている。

今までは地理上の多様性について述べてきた。
これから諸言語に関して言及してゆくのには、文字表記を欠かすことが出来ない。
ウィーン大学のような蓄音記録をしない場合、言語はメモを取ることでしか保存できない。しかし、書かれた言語の発音をもう一度聞くことは出来ない。
文字表記とは一体何であるかを、考えなければならない。

参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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 Speech and breathing
世界中の言語には、様々な種類の音声があり、それらがどのように発音されているのかを知らなければならない。
基本的な真実として、全ての音声は空気の振動、「加工された息(modified breath)」である。
ほとんどの音声は、空気が発話者の肺から、喉と口を通って、体外へ出てゆく。
その空気を妨げる事がなければ、ただの一息(breathing out)であり、十分に勢いがあれば、ため息(sigh)になる。
私たちは、調音器官(articulator)を用いて空気の流れを調節して、子音と母音の組み合わせである音節(syllable)を作り出している。
 
肺からの呼気以外の空気を用いる音声も存在する。
南アフリカのズールー語(Zulu)やホサ語(Xhosa)で子音として用いられている吸着音(click)。
エチオピアのアムハラ語(Amharic)で音素として用いられる、声門閉鎖(ejective)。
インドのシンド語(Sindhi)で用いられる内破音(implosive)などがある。
 
発話の面白い所は、既に、生物学的な根拠のある身体の一部を用いている事である。発話の為だけに発達した臓器は存在しない。
肺から唇を通り外に出る空気の通り道を声道(vocal tract)という。
肺と首とをつなぐ気管(trachea)は意識的に動かす事が出来ない。
 
The larynx
喉頭(larynx)は、声帯(vocal folds)と呼ばれる重要な筋肉の組織を抱えている。
私たちは声帯を、広く開けたりきつく閉じたり少し開けたり、自由に調節出来る。
声帯を広く開けていれば、空気は勢いよく口外へと出る。
少しだけ、数ミリメートルに狭めると、「はーっ」と息を吐き出す時の音が出る。
両声帯が触れる程狭めると、隙間を通る空気で声帯が震え、音声を発する(voicing, phonation)と呼ばれることが起こる。
どのように声帯を調節するかによって、声の高低(pitch)を変える事が出来る。
多くの音声が有声で(voiced)で、その他は無声(voiceless)である。
母音は鼻音(nasal)と同様に、ほとんどが有声である。
声帯と声帯をきつく閉じて空気の流れを遮断する事を声門閉鎖(glottal stop)と言う。
 
The vocal tract above the larynx
喉頭のすぐ上を咽頭(pharynx)と言い、食べ物もここを通る。
食事や発話の際に咽頭を狭める事があるし、それを利用する言語もあるが、一般的にはあまり使われない。
咽頭の上で声道が2つに分かれており、鼻腔(nasal cavity)に続く道は、軟口蓋(soft palate, velum)を下げる事によって開かれる。
軟口蓋の先には口蓋垂(uvula)があり、いくつかの言語の発音に携わる。
口の中には重要な組織がいくつもあり、最も重要なものが、上下左右自由自在に動かす事が出来る、舌(tongue)である。
従って'tongue'は'language'と同じ意味を持つ。
舌は口蓋(palate)と共同に働く事で様々な子音を生じる。
下あご(lower jaw)も上下に動ことができる。
歯(tooth)は動かす事は出来ないが、重要な器官である。
調音器官の最後の口唇(lip)も舌と同じように柔軟である。緩急の開閉はもちろん、丸めたり、狭く横に広げる事も出来る。
 
Describing speech production
ここでは'sand/saend/'の発音方法について詳しく解説する。
簡単な発音も、基礎から見てゆけば決して単純ではないのである。
まず/s/の発音は声帯が離れ、振動しない音声である。
肺からの呼気が喉頭と咽頭を通り、口内へ流れ込み、そこで妨害を受ける。舌の前部分が持ち上がり、口蓋の、上前歯の裏の部分に触れる。全ての空気を通さない程きつく触れている訳ではないので、狭い隙間と歯によって、スーっという音を発する。
/ae/の音は、声帯振動を伴う音である。
したがって/s/から/ae/に移るときに、声帯を近づけなければならない。同時に下あごと舌を下げて、口内の妨害をなくす。このとき軟口蓋はあがったままである。
しかし、鼻音/n/に入る前、には軟口蓋を下げなければならない。
下あごと舌を、/s/の発音と同じ高さに移動させ、舌と口蓋の間はきつく閉じ、声帯は振動したままで、軟口蓋を下げたおかげで空気は鼻腔へ通じ、鼻孔へと抜ける。
/n/から/d/への移動は簡単である。
軟口蓋をあげ鼻腔への通り道を塞ぐと、空気の流れがなくなり、声帯振動も止まる。以上である。
声帯を開け、舌と軟口蓋を下げれば通常の呼吸の体制へと戻る。
 
子音と母音の区別は難しく、妨害が著しいものが子音、よりスムーズに空気が流れるものが母音である。
子音と母音の繰り返しでは、声道が開閉を繰り返していると言える。
/t/や/p/などの子音は、母音とは大きい違いがあるが、そうは言えない子音も多く存在する。

 参考文献
Peter Roach, Phonetics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series

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 第4章 文字表記による言語の表現
 
書き言葉話し言葉文字の関係はしばしば混同され、両者が言語を構成しているように考えられる。ドイツの印欧比較言語学者、ボップの文法書にも、音と文字の明確な区別は見られない。
しかし、言語と文字表記は異なるシステムであり、文字表記は言語を表現する為のイメージでしかない。
実際には、話された言語よりも、書かれた言語の影響の方が強い。それには以下のような理由が考えられる。
1)文字表記によるイメージが、半永久のもののように固定されしまう。
2)大多数の人にとって、視覚のイメージの方が、聴覚イメージよりも強力である。
3)書き言葉、教育言語、文語によって、音声の言語から独立したシステムが成立する。正書法(仏orthographe)や辞書によって、本による言語が確立する。
4)言語と表記方法に差が生じたとき、言語学者は、表記の形を優先して考える。
 
表記システムには2つの種類が存在する。
1)表意文字システム
言語の音と関係なく、概念を表す文字である。しかし、実際に使用される表意文字のほとんどが、音を表す部分を含んでいる。
漢字の普及を見れば、特に、表意文字は、人間の認識に対しての影響が強いと言える。
2)表音文字システム
一連の音を文字で再現しようとするもので、合理的で言語を書き表すのに適している。。
単位はさまざまで、音節によるものや、音素によるものもある。
例えば、古いギリシャ語は、一つの音に一つの書記記号が割り当てられ、"sh"や"ph"のような無駄な表記システムはなかった。もちろん、一つの音に対して、"k"もしくは"q"のような重複も存在しなかった。
 
では、なぜ、この厳密な音韻表記が保たれずに歪んでしまうにか。
1)借用したアルファベット体系に含まれていない音がある。
ゲルマン民族はラテン・アルファベットを借用したが、その中に含まれない音を、二重字'th'として表記した。フランス語の'ch'、英語の'ee'と'ea'もそうである。
2)間違った語源学に基づく指摘がある。
フランス語の'poids(重さ)'はラテン語'pondus(重さ)'が語源だと考えられた為、'd'が付加されたが、実際はラテン語'pensum(義務)'から来ている。
3)特に原則のない個別的なずれ。
ドイツ語'thum'の'h'は有気音であるとされているが、その他の有気音を含む子音の後にも付かなければならないが、実際はそうではない。
4)最も重要で普遍的な原因は、時間に伴う言語の変化に、文字表記が着いていけなかったことである。
止めどなく変化する言語と、固定され不変性をもった文字とが独立した存在である事を如実に表していると言える。
フランス語の例  発音   文字表記
  11世紀 /rei/  /lei/   'rei'  'lei'
  13世紀 /roï/  /leï/   'roi'  'loi'
       /roè/  /loè/   'roi'  'loi'
       /roa/  /loa/   'roi'  'loi'
  19世紀 /rwa/  /lwa/  'roi'  'loi'
 
以上のような原因で生じる言語と文字表記の、膨大な非論理性の種類の代表を紹介する。
フランス語の/s/は、's, c, ç,t, ss, x, ce'、/k/は'c, u, k, ch, cc, cqu'などで書き表せる。
逆に、一つの書記記号が複数の音に対応することもある。'c'の綴りは/s/と/k/両方の音を表す事が出来る。
そして、間接記法。
英語の語末の'e'は、その前の母音が長母音化する事を示している。
 
このようなずれは、文字が、言語の性質を隠してしまう事がある。
現在、フランス語の二重子音は単純未来にしか出てこないのに、綴り字では二重子音が頻繁に現れるので、分かりにくい。
加えて/h/の気音は音素にないのに、'h'綴りで始まる単語が多い。
 
文字表記が言語とずれて居る程、文字の力は強くなる。
「発音」「発音が変化する」という表現がそもそも、文字イメージを基本に据え、書記記号が基本であるかのような言葉である。
「フランス語では'oi'は/wɑ/と発音する」とは言ってはいけない。/wɑ/は'oi'と書かれる。
まるで書記記号が全てに先立つようないい方はしてはいけない。
 
参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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言語の事で戦うということは、ありふれた事である。
なぜ、人々は、違う言葉を話す人たちに対して武器を手にとるほど、言語に執着するのだろうか。何年も続く緊張状態を生じさせる言語とは、一体何なのか。
答えは、言語と民族アイデンティティーとの親密な関係にある。
 
英語を話す人たちは、一つの言語を話すということが普通であるように考えているだろう。フランスにはフランス語、日本には日本語があり、言語と国の一対一の関係があると考えがちである。
しかし、世界には7000の言語が存在すると言われているにも関わらず、国家の数は200程しかない。そして、言語は民族と一緒に存在している事が多い。
多言語国家、多民族国家がかなりの数存在しているのである。
日本のような、ほとんどの国民が日本語を話す国は極端であり、反対側の端は、インドやナイジェリアのような、400近い言語と民族が共存している国家である。
 
多くの地域では、異なる言語をもつ人々がお互いに、影響し合い、特に問題なく過ごしている。
しかし、時には、緊張状態にある地域で完全な衝突が勃発することがある。
多くの場合、言語の対立には、社会や文化、宗教、国境、政権の違いが関わっている。
 
言語の対立は時に暴動や戦争、集団虐殺にまで過激化する場合がある。
1971年のバングラディッシュのパキスタンからの独立の際、ベンガル語話者の蜂起として始まった闘争が、9ヶ月間の独立戦争へとエスカレートし、結果300万人以上が死亡した。
 
現在は、継続した緊張常置と、時々起こる暴動による衝突が見られる。
スリランカでは、多数派であるシンハラ語話者からの独立を願うタミル語話者の反抗が続いている。
そして、スペインでの「バスク祖国と自由(ETA: Euskdi ta Aslatasuna)」の、バスク人国家建設を目指すテロリズムなどがある。
 
言語の対立が、いつも暴動につながる訳ではない。
カナダのケベック州には、隣接する州と対立するように、フランス語話者が集中している。
そして、歴史的に、少数派の英語話者が力を持っている為に、フランス語話者が脅威を感じているのである。
 
1977年に、ケベック州は英語の使用を制限する事で、フランス語の立場を守ろうとした。たとえば、公的な文書への署名はフランス語に限る等。
しかし、この法案が、英語話者の怒りを買った。
 
この問題はカナダ最高裁判所にまで持ち込まれ、結局、公平で的確だと思われる方法で和解した。
英語話者は、英語だけの署名を続ける事は出来ないが、法律も、フランス語だけでの署名を求める事は出来ない。いかなる言語も、フランス語と併記し署名する事が出来る。
 
この署名を巡る騒動は、全ての市民の言語権を守ることになった。
しかし、対立が収まった訳ではなく、ケベック州の独立を願う声も多い。それでもまだ叶っていないのである。
 
言語の衝突に限らず、闘争は存亡に関わる。
言語は人間の一部で、強い仲間意識を与える。同じように、異なる言語を話す人々への、強い敵対心も与える。
もしも、誰かが私たちの言語に対して攻撃を仕掛けてきたら、私たちは自分が攻撃されたと、思うのである。ひとつの言語を差別すれば、その言語を話す人間を差別するようになる。
 
参考文献
Paul B. Garrett, "19 Why do people fight over language?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006) 

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言語学が大好きな一般人のブログです。 過去の記事は、軌跡として残しておきます。
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