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長い間人々が定住してきた地域を考えるならば、もっと大きな言語というカテゴリーでも、方言と同様に語ることが出来る。

まず、一連の言語に引かれる等言語素の境界が存在する。
例えばインド・ヨーロッパ語族では、、西部の言語(ギリシャ語、ラテン語、ケルト語、ゲルマン語)の硬音のkは、東部の(スラヴ語、イラン語、インド語派)では歯擦音sとなる。
これは遥か昔のも前の出来事で、かつてひとつだった印欧語が、この要素によって二つに別れたとされている。
それ以上細かい分化はもっと最近に起こったことである。

そして、本来的に、言語の境界が存在しないことである。
人間の移動がなければ、諸要素の境界線はあっても、言語の境界は存在しない。
不可分なA言語とB言語があり、その間がグレーゾーンとして、過渡的なものであるという認識は間違っている。
全てが過渡的である。
5a0cfe59.jpeg(管理人のイメージ)

しかし実際には、境界を生み出すものがある。それが人間の移動である。
ゲルマン語、スラヴ語、イラン語、ゲルマン語、イタリック語、ギリシャ語は、鎖のようにお互いを結びつけることが出来る。
しかし、そのほかに比べて、スラブ語とゲルマン語の類縁性は弱い。
だからといって、スラヴ語とゲルマン語の過渡的な固有言語が存在しなかったと考えるのは誤りである。
その地域の方言が、失われてしまったと考えるべきである。
その原因が、両民族の移動である。
陸続きのある地域の両端に住む人々が、互いに中央に移住すれば、境界ができる。
そして過渡的な方言が無くなってしまう。

文語や公用語もまた、方言を弱くし言語の境界を著しくする原因でもある。

参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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旧約聖書のエデンの園の話によると、アダムは人間として完全な姿でつくられた。もちろん、言語を話すの力も持っている。
アダムの最初の仕事は、全ての動物達に名前を与える事であった。
イブは、口の達者な蛇に唆されて、知恵の実を食べた。
では、それはどんな言葉だったのだろうか。
アダムとイブが話した言葉は、蛇の言葉、そして神の言葉と同じであったと考えられる。

もちろん、英語や中国語のような、今ある言語ではないだろう。
人間は5万年以上前に言語を話せる肉体をもって生まれた。
文字は約5000年前に現れているが、その数千年の間だけでもずっと、アダムの言語は変化し続けているのである。
したがって、現在存在している言語が、エデンの言語であるはずがない。

上に述べた考えは近代のものであって、近代以前、特にキリスト教の初期から、宗教改革までは、アダムの話していた「唯一の言語(lingua adamica)」はまだ存在すると考えられていた。
もっとも有力な候補がヘブライ語であった。
理由はもちろん、旧約聖書が書かれた言語である事だ。
4世紀の聖ヒエロニムスの言う事には、ノアの子孫は、バベルの塔の建設に参加せずに居たので、神に罰せられることはなかった。
(バベルの塔ーノアの大洪水後、人々が築き始めた天に達するような高塔。神は人間の自己神格化の傲慢を憎み、人々の言葉を混乱させ、その工事を中止させたという。『広辞苑』より引用)
従って、原初の言語は未だ残っている。
聖アウグスティヌスやその他の神父たちはその話を信じ、アダムとイブの言葉がヘブライ語であるという説は、その後1000年も語り継がれていった。
皮肉なのが、それを、中世の学者達が、ラテン語で真剣に議論していた事だ。

ルネサンスによる民族主義の熱がまだ冷めない16、17世紀には、この話題が盛んに取り上げられた。
アダムの言語が、意味を知らなくても理解する事が出来る、完全な言語であると考えられるようになると、さまざまな国が同様な主張をするようになった。
自分たちの言語が完璧である、と。
ドイツを始め、オランダ、フラマン、ケルト、バスク、ハンガリー、ポーランド、スウェーデンの人々が、聖書と絡め自国語の神聖性を解いた。
ヘブライ語はドイツ語から派生したという人も出てきた。

18、19世紀になると、宗教と結びついた哲学が下火になり、原初の言語への興味も薄くなっていった。
単語と物の間にな必然的な結びつきはなく、人間の共同体によって作られる言語は、神によって与えられてものではないと考えられるようになった。
ヨーロッパの学者の、様々な言語の比較によって、言語同士の関係や時間による変化が分かってきた。
インド・ヨーロッパ語が発見されたが、学者達はそれを原初の言語だとは言わなかった。
原初まで言語の過去を遡る事は、不可能ではないにしても、甚だ難しい。
こうして、唯一の言語の探求は終焉を迎えた。

参考文献
E. M. Rickerson, "6 What language did Adam and Eve speak?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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子供の言語習得は、喃語(赤ちゃん言葉)を話す以前から始まっている。
胎児が子宮の中で既に、音に対して反応することは明らかであるし、彼らは体内で母親の会話を始終聞いて、生まれたときには母親の声を聞き分けることができる。
最初、言葉はただの音の連続であろうが、子供たちは言語を学ぶ準備が整えられた状態で生まれてくるのである。

生まれてから5ヶ月半もすると、彼らはごちゃごちゃとした音の中から単語を見つけるようになる。一番最初は自分の名前である。
彼らはストレスを手がかりに単語を区別する。例えば、ービングとアットの違い。
もう少したつと、同じストレスの違う単語を区別できるようになる。例えば、ービングとウィルソンの違い。
その次は、他のよく聞く単語を覚える。例えば、ママやパパである。
それらが、音の塊を解読する支えとなる。
(外国語の学習初期も同じような現象が起こる。)
生後6ヶ月には、自分の名前の後ろに続く単語を、認識できるようになると言われている。

単語を認識することができたら次は意味である。
6ヶ月までに、子供は、「ママ」が、自分の母親を指し、他の女の人は含まないと言うことを理解する。「パパ」に関しても同様である。
語彙が増えるにつれて、意味の習得はかなり複雑になってゆく。
しかし、子供は生後12ヶ月までに、単語を物の名前として解釈してゆく。

単語を認識し、いくつかの意味を覚えてくると、次はどのように語が結びついて文章となるかを学び始める。
やっと話し始めるようになる12ヶ月頃には、子供はもうすでに、数百もの単語を理解しているのである。
生後18ヶ月には、5~6単語の文章を理解できるようになっている。

テレビ画面を左右二つに区切り、左の画面には「クッキーモンスターがビッグバードを抱いている」映像を写し、右側には「ビッグバードがクッキーモンスターを抱いている」映像を映す。
それを子供に見せ、「クッキーモンスターを抱いているビッグバードのはどっち?」とたずねる。
すると、まだ話せない子供たちの多くが、右の画面に視線を移すのである。

何もできない子供たちは、まるでスポンジのように言語を吸収してゆく。
彼らは、両親よりも上手く、言語を習得しているのである。

参考文献
Roberta Michnick Golinkoff, Kathryn Hirsh-Pasek, "13 How do babies learn their mother tongue?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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社会的な伝播あるいは領土を横切る地理的な拡散として見た言語の波

すべての人間集団で、すべての人間の慣習に当てはまる原則がある。
常に、二つの原理が同時に作用していることである。
一つ目が、言語を分断する原理。地元贔屓の力。
あるの地域で生まれる習性があり、その中で育ち、それを身につけた人々によって、言語の、無限の多様性を生じさせている。
二つ目は、言語を統合する原理交雑の力。
さまざまな習慣を持つ人々が移動し、戦争などによって人々が集まることによって、人々を混ぜあわせ、近づける。
交雑によって、どれかが消え、どれかが拡散することになる。そして伝播してゆくものによって、統一化、均質化される。
何が消え、何が残るかを予め知ることはできない。

交雑の観察。
拡散にはかなりの時間が必要である。拡散は一気に起きず、だんだんと時間をかけて伝播してゆく。
ドイツ語の「(第二次)子音推移」というものがある。
600年ごろに南アルプスで生じ、200年ほどの月日をかけてゆっくりと北上、ドイツ語圏すべてに拡散していった、音韻変化である。

地理的多様性は時間的要因のみで生じる、とした最初の主張を修正しなければならない。
空間の多様性は、時間の中で捉えてこそ意味がある。
しかし、地理上の拡散では、音声上の要因から生じた刷新が、周辺に模倣されることによって起こる。
伝播は地理的要因によってのみ、進む。
時間のほかに、地理上の要因というものを考慮しなければならない。

ラテン系言語での「半分、中間」と言う単語の時間的推移。
 A地域 medio→mejo
 B地域 medio→medzo
上記のようなものを考慮するときは、時間のみに還元することができる。
しかし、拡散と伝播で考えるべきは、mejoとmedzoの力関係である。
一方が、もう一方を、地理的に征服する可能性が、ある。

参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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会話と言うものは、人間の営みの中で、最も興味深いもののひとつである。
人間は皆心を持っていて、頭の中は思考と感情と思い出で充満されている。
これらを他他者に伝えるために様々な手段がある。
文字は便利だ。良い文章は、とても明快に筆者の意見が伝わってくる。
手話やポインター、パソコンのスクリーンは、話すことができない人にとってとても便利な手段である。
芸術作品は、たとえ故人の作品であっても、作者の内面世界を強烈に伝えてくれる。
ジェスチャーと表情は、多くの動物たちも用いている、行為の詳細をつたえる手段である。
しかし、私たちが最も頻繁に使っているのは、人間だけが出来る、会話、である。

The speech chain
会話のプロセスは、大きく3つにわかれる。
①肺や喉と頭を使って、音声を作り出し、②その音声が波として空気中を通り、③聞き手の耳によって受け取られる。
しかし実際はそんなに単純ではない。
話者は脳で音声の生成を調節し、聞き手は、聞いた音声を分析して意味ある文章に変換する。
実際に、話を「聞き流す」ことが出来る以上、音声の理解には脳による制御が必要である。
人は一連の波を作り出すだけでなく、同時にそれらを脳に蓄積してゆく。自分が今何を話しているかわからなければ、会話は困難になる。
近年の音声科学では、会話中の脳の動きがわかるようになった。
もっとも重要なのは、安全で正確な脳のスキャン技術の発達である。

Phonetics
会話は複雑な過程を経ており、その研究には、ひとつの科学的分野が必要である。それが音声の科学(the science of phonetics)である。
この本では音声学の主な部分と、なぜそれが重要であるかを述べてゆく。
はじめは以下の2つについて重点的に述べる。
どのように、しばしば分節(segment)と称される、音声(sound)が作られるのか。
それから、学者がそれらをどのように、科学的に区分するのか、である。
これは基礎的な母音(vowel)子音(consonant)の区分が基盤となっている。
そして、記号(symbol)の使用も重要な側面である。
音声学は、ひとつの音にひとつの記号が対応しているような表記体系を使わなければならない。
例えばフィンランド語やイタリア語の文字は発音どおりに書けばよい。
けれども世の中には、表意文字(ideographic)という、記号が音を表さない文字がある。
代表的なものが1,2,3...の数字である。多くの国で通用する記号だか、発音は地域ごとに様々である。
19世紀の音声学の最も重要な進歩は、国際音声記号(IPA: International Phonetic Alphabet)の制定である。
英語の表記は必ずしも発音と対応していないので、発音表記(phonetic transcription)を用いるのはとても便利である。
この本で用いるのは、BBCアクセント(BBC accent)と呼ばれる発音である。
かつては容認発音(RP: Received Pronounciation)と呼ばれていたが、誰に許容されているのかも分からないこの名称であるために、研究の対照にしにくかった。
BBCのアナウンサーがすべて同じ口調であるとは思わないし、アイルランドやスコットランドやウェールズなどいろいろなアクセントを持ったアナウンサーも居る。
そのためにはまた別の書き方をしなければいけない。
しかし、ラジオかテレビがあれば、誰もが聞ける発音であることは重要である。

IPAを使うと英語を以下のように書くことが出来る。
 綴り she bought some chairs and a table
 IPA    ʃi      bɔ:t     səm   tʃeəz   ən  ə  teɪbl
このような記号で表す、その言語の示差的な音声を、音素(phoneme)といい、
その記号体系を音素記号(phonemic symbol)と言う。
あるひとつの言語の発音に関して表記するとき、それを/スラッシュ/で囲む。
すべての言語に共通した音、または音素の特徴的な発音、異音(allophone)、を表記するときは[かぎ括弧]で囲む。

音声学の関連した他の学問分野では、まず、解剖学(anatomy)と生理学(physiology)がある。
この二つはどのように肉体で音声が作られるかを研究する。
空気中でどのように声が伝わるのかは、物理学の一分野である、音響学(acoustics)の範囲である。
人間がどのように耳で音声を聞いているかは、聴覚科学(audiology)、脳がどのように言語を受け取っているのかは、認知心理学(cognitive psychology)の範囲である。

Phonetics and linguistics
音声学は言語学の一部分であることを忘れてはいけない。
音声学の前に、基本的な言語学の概念を理解するべきである。
まず、音声学ではとてつもない量の人間の音声を扱うが、ひとつの言語で違いが認識されているものは、少ししかない。それが弁別的音声、音素(phoneme)である。
フランス語では/tu/の母音が入れ替わって/ty/になると、違う意味を示す。
しかし英語で/tu/が/ty/になっても、意味の違いを生じない。
これは、フランス語と英語で音素が異なるからである。
言語学は人間言語のすべてを包括する学問である。
統語論(syntax)のように、複雑で抽象的な概念を扱う分野や、音声だけしかデータのない、方言の研究をする分野もある。
19世紀後半の有名なイギリスの学者ヘンリー・スイートによると、
音声学は言語学に絶対不可欠な基盤である。
この主張は100年経っても変わっていない。

参考文献
Peter Roach, Phonetics(UK; Oxford University Press, 2001)
---Oxford Introduction to Language Study Series

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