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音節の境界には[ . ]を用いると、二重母音のコラムで述べた。
逆に、リエゾンなどで本来、句や語境界がある音を連結して発音する場合には、
下部連結線[ ‿ ]を用いて表記する。
フランス語では"petit ami"を[ pətit‿ami ]と発音する。

また、語の境界にはスペースを用いる。
「青い空」[a.o.i soɾa]

単語よりも大きい境界、特に、韻脚と呼ばれる区切りには[|]を用いる。
フランス語やスペイン語などの音節リズムや、日本語のモーラリズムと異なり、
英語やロシア語は、ストレスリズムである。
例えば日本語では、「これはリンゴです」は、
「こ/れ/は/り/ん/ご/で/す」と等質な8拍で発音する。
しかし英語では、"this is an apple"を、
音節ごとに、"this/is/an/apple"などと、等質の4拍で発音することは無い。

ストレスリズムは、強弱の連続で、強と弱の組み合わせの繰り返しである。
例えば、強弱弱強弱弱強弱弱....
このような、強弱弱のひとつは韻脚(foot)とよばれ、詩の分野で有名である。
この区切りを、IPAでは、[|]をもちいて表記する。
"This is the boy I met yesterday morning"は
[ ðɪs ɪz ðə|bɔɪ aɪ mɛt|jɛstədeɪ|mɔ:nŋ]、となる。

参考文献
斉藤純男 『日本語音声学入門 改訂版』 三省堂 2008

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 第2章 地理的な多様性という事実を複雑なものにするかもしれない様々な事実

ここでは、複数の固有言語が同じ地域に存在することについて考える。
それは、言語学的現象としての、言語の内面に影響を与えるような、混成ではない。
また、スイスのような、ひとつの国家権力の領土の中に、地域的に分かれて複数の言語が存在しているような状況でもない。
同じ地域に、重なり合って、複数の固有言語が存在している状況である。
複数の文語、もしくは公用語教養言語共通語コイネー(標準語)と呼ばれるものが共存している状況である。

第1章では一般的な事実として、言語の多様性の地理的な側面のみを扱った。
言語は人間とともに頻繁に移動する。
言語の相違を引き起こす原因は、場所の相違であると言える。
同じ地域、一つの言語の範囲と思われる中に、複数の言語が共存している事は、歴史的に珍しくない。

この状況を作り出す背景はいくつもあるが、多くが植民地支配によるものである。
先住民の言語と、征服者の言語が重なり合い、上下関係を持って押し付けられる。
これは、近代だけとは限らない。
アイルランドのケルト語と英語の関係も同じであるし、フランスのブルターニュ地方のフランス語とブルトン語など、同様の関係はいくつもある。
特に、ハンガリーのトランシルバニアでは、現地に行かないと、その土地で何語が話されているのかわからない。
都市と地方など、複数の言語が局在していることもあるが、たいてい、その境界線は曖昧ではっきりしない。

言語の競合状態が、外部の権力によってもたらされる以外の状況がある。
それが、ジプシーなど、遊牧民の存在である。
いつやって来たのか分からないが彼らの目的は、征服や植民地とは異なる。
ローマ帝国は、この、もっとも複雑な言語の共存状況であっただろう。
共和制の時代のナポリでは、少なくとも4つの固有言語が共存していた。
古代地中海では、一つの言語だけを話していた地域はほとんどなかった。

多くの国家では、これとは異なる方法で、複数の言語が二重に存在している。
自然言語には方言しか無い。
言語は常に分裂しており、その中の一つが、文語に選ばれる。
文明化した都市の方言であったり、権力者の方言、または政府のことばや、宮廷のことばであることもある。
それが国全体に広く利用されるように、決められるのである。

結局、あらゆる文語をもつ国家は、文語と諸方言の多言語社会になり、
その国家に所属する人は、文語と地元の方言の、二言語使用者となる。
文明のある段階で必ず起こる現象で、ギリシャ語でのコイネーである。
バビロニア碑文からも、公用語の存在が明らかになっている。
ところで、公用語が必ず文字化されなければならないのだろうか。

つぎは、地理的多様性の生じるプロセスについてである。

参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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動物が言語を話すのかに関して、二つの言語学的な問題がある。
まず、動物達の間で、言語を使用しているのかどうか。
そして、動物が人間の言語を習得出来るのかどうか、である。
それ以前の問題として、何を言語とするかを決めなければならない。

人間の言語はとても特徴的である。
まずはその体系的(systematic)な、文法と呼ばれる構造である。
「追いかけるを猫意地悪いが犬」
これらの単語は確かに日本語だが、この文章は決して日本語ではない。

そして、人間の言語は、内在的(innate)である。
子供達は、教えられる必要もなく言葉を習得する能力を持っている。
これは、幼児の脳の柔軟性に関係しており、
5歳までにまったく言語と接する機会のなかった子供は、成人しても、完璧に言葉を話せるようにはならない。

3つ目の特徴は、転位(displacement)と呼ばれるものである。
私たちは、目の前に存在にないものについて述べる事が出来る。
かつ、私たちは抽象的(abstract)な物事について述べる事が出来る。
そして、見た事も聞いた事もない新しい文章を作り出す(create)事が出来る。

この5つの性質を持っているものを言語と定義するならば、
仲間内でどんなコミュニケーションをしていても、動物達は言語を使用しないと言う事になる。

蜜蜂はダンスによって、蜜の場所と質を仲間に伝える。
ダンスは頭の向きと、お尻を振る速さに分かれる。
蜜蜂のダンスにはルールがあり、目の前にないものについての善し悪しを表現出来る。
そしてこれは先天的な能力であると考えられる。
しかし、ダンスで表現出来るものはかなり制限されおり、
「速く行かないと他の蜂に取られてしまうかもしれない」と伝えることは出来ない。

鳥の歌声にも、体系だったものがある。
コマドリの歌は短いモチーフの連続で、他の鳥には分からない。
先天的な能力で、人間のように、成鳥の歌を聴いた事のない小鳥は歌えない。
求愛の歌で、抽象的な感情を表現する事が出来るが、
「納屋の裏側で恐ろしい事が起こったんだ」とは言えないし、新しい歌も作れない。

クジラやイルカも歌ったり、高周波を出す。
複雑な文法を持っている事が認められているが、創造性の証拠はない。
彼らの歌は個体によって違い、群れの中のみで識別される。

チンパンジーは、ポーズや表情、腕の動きも利用し、様々な表現行動をする。
それらを、群内での様々な情報伝達に使用している。
しかし、文法のような規則従っているとは言えない。

さて、二つ目の人間言語の習得に関しては、鳥やイルカ、霊長類に対して、さまざまな試みが行われている。

アリゾナ大学で訓練を受けたオウムのAlexは、
目の前にあるものの、材料と色、形、数を、英語で述べる事が出来る。
目の前にない餌について訪ねたり、自分のミスを謝ったりも出来る。
彼は明らかに単語の意味を理解しているが、彼の突飛な言語活動は、人間の幼児のものとはかけ離れている。

イルカには手話での人間言語が教え込まれた。
'person'、'surfboard'、'fetch'の順のジェスチャーを出すと、イルカはサーフボードを人のところまで持ってくるし、
'surfboard'、'person'、'fetch'と指示すると、人をサーフボードまで連れてゆく事が出来る。
明らかに文法を理解しているのだ。

チンパンジー、ゴリラ、ボノボにも人間の手話を教える実験がされた。
有名なWashoeというチンパンジーはトレーナーから手話を学び、
小猿のLoulisは、Wachoeから手話を学んだとされている。
ゴリラのKokoは1000以上の手話を学んだとされる。
ボノボのKanziはキーボードのボタンで言語を学び、その驚くべき言語能力で新聞や雑誌に取り上げられた。

このような人間言語を教え込む実験を行っても、基本的な疑問が未だ未解決である。
いくら動物たちに言語能力があっても、それを仲間同士で使わなかった。
野生のチンパンジーには文法があるようには思えないし、
創造性の証拠もない。
まだ、言語は、人間と動物の、もっとも重大な差であり続けている。

参考文献
Donna Jo Napoli, "14 Do animals use lamguage?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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第3章 原因の観点から見た言語の地理的多様性

第1章では地理的な多様性に関して見た。
そして、多様性には2種ある。
絶対的な多様性と、類縁性の中にある多様性である。

絶対的な多様性を扱うと、どうしても、知りうる限界や言語の起源など、他の領域の問題に関わってくる。
地球上の全ての言語をひとつに還元出来ない事が大きな問題になる。

類縁関係の中の多様性は、観察をする事が出来る。
ラテン語の変遷を、手に取り見る事が出来る。
ヨーロッパから入ったアングロ=サクソン語や、カナダのフランス語等、
地理的な、地図上の隔離によって、言語が独自に発展してゆく事例を扱う。
特に海などで分断されたふたつの言語の差異は、時間がたつとだんだんと目立ってくる。
それらには、語彙の相違、文法の相違、音声の相違に分けられる。

島に移植された言語は、島で特異なものに変化するという考えは誤りであり、大陸でも同時に言語が変化している。
大陸で変わらないものが島で変化する事もあるし、
島では変わらないものが、大陸で変化する事もある。
英語とドイツ語の例はこれをよく表している。

これらの相違を生み出すものは、しばしば空間的な要因であるとさるが、類縁関係にあるこの二つの言語に作用するものは時間のみである。
変化には時の流れが必要である。
空間の軸だけで、相違を見比べても、変化はたどる事が出来ない。
この現象を観察するには、時間と言うもう一つの軸が必要である。
この二つの軸、主に時間軸、によって完全に捉える事が出来る。
(天候や山など、地理的な環境の相違によって生み出される言語の相違に関しては、未だ曖昧な部分が多いのでここでは扱わない。)

原型が、時間によってどのように変化するかと言う予測をする事は出来ない。
しかし、時間のみによることは確かである。
言語の相違を、地理的な一定の単位によって観察する事は出来ない。

言語の進化という概念がある。
この進化のしかたが、特別な場合、それが、地理的な分化である。
地理的な分化は、この進化の中に組み込まれている。
この特別な例を見る前に、一般的な例、地理的に連続した中での進化を見るべきである。

参考文献
フェルディナン・ド・ソシュール著 影浦峡、田中久美子訳
『ソシュール 一般言語学講義 コンスタンタンのノート』 東京大学出版会 2007

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How una de'?
Uskain nius?
前者はナイジェリアの、後者はカメルーンの挨拶の言葉である。
私たちが挨拶をするときの'look-see'や、
不可能なものに対しての'no can do'という言葉は、中国海岸英語ピジン語(China Coast Pidgin English)と呼ばれるもので、英語ではない。
太平洋の水兵や商人が使っていた言語である。

みんな言語の違う人たちが孤島に取り残されたとする。
私たちのコミュニケーションの手段は、みんながみんな、片言の英語である。
正しい英語を教えてくれる文法書も人も居ない状況も何年かすると、ネイティブの英語話者が聞いても分からないような言語になっているだろう。

母語を共有していない人たちがコミュニケーション取らなければならない時、だれの母語でもない言語、例えば英語やフランス語など、を使用する。
それがピジン語(pidgin)と呼ばれるものである。
ピジンとは、英語'business'の中国語訛りと言われている。
ピジンは一般的に、奴隷や、雇われの労働者や行商人によって用いられる。
世界中から奴隷や労働者が連れて来られた南太平洋の植民地や、
様々な人々が集まるアフリカや太平洋の商業都市で、ピジン語が形成されていった。

ピジン語はかなり簡略化された言語から始まったが
ピジン語を話す両親の子供達が、言語をとして習得していく際に、変革が起きた。
子供達は、母語としてピジン語を習得し、新しい言語へと発展させていった。
このような言語をクレオール語(creole)と言う。
世界には、英語、フランス語、ポルトガル語、アラビア語、スワヒリ語など様々な言語をベースにしたクレール語が、いくつも存在している。

島だけではなく、マイアミやニューヨークの移民の多い町などでも見られる。

世界中に何千万人のクレオール話者がいる。
クレオール語は決して、俗語ではない。新しい言語である。
公用語になっており、文法があり、学校で教えられ、テレビでもラジオでも話され、新聞や小説が書かれる。
ノーベル文学賞作家のウォーレ・ショインカの言語でもある。

クレオール語やピジン語は、英語やフランス語等、元になった言語を知っていれば分かるだろうと考えられるが、実際は異なる。
長い歴史のある言語の話者は、クレオール語を劣ったものとして見なす事がある。
これは全く根拠のないもので、新しい国家と同じように戦いに勝ったものである。
誇りと威厳を持ってクレオール語を話す事は、基本的人権のひとつである。

参考文献
John M. Lipski, "Are pidgins and creoles real languages?"
E. M. Rickerson, Barry Hitton, ed., The 5 Minute Linguist (USA; Equinox Publishing Ltd., 2006)

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