空気の通り道を変えたり、狭めたり、広げたりすることで
共鳴や摩擦音をつくり、音声を作る。
・肺
肺は、体内の酸素の循環に不可欠な器官だが、発話にも不可欠である。
短い時間で多量の呼気を含むことが出来るが、
音声を出す場合は、細く長く息をはく。
あまりに風圧が無くても音声は出ない。
吸気を言語に使用する例は少ないが、驚いたときなどは音を生じることもある。
・喉頭(こうとう)
いわゆる喉仏のところの軟骨と筋肉の組織。
肺につながる気管の入り口付近にある。
薄い膜である声帯を振動させることで、音声を生じる。
図での声帯の上にある、上を向いた突起が、喉頭蓋(こうとうがい)。
トイレの蓋のように、気管の入り口を塞ぐ。
ちなみに、気管の右にあるのは、食道。胃につながっている。
・舌
私たちが思っている以上に、すごく活発に動く。
喉の奥から、舌根、後舌、前舌、舌端、舌尖。
上の図の「舌先」は普通「舌尖」と呼ぶ。
・歯茎(しけい)
いわゆる歯ぐき。
言語学で重要視される歯ぐきは特に、図の、上あごの内側。
・硬口蓋(こうこうがい)、軟口蓋(なんこうがい)、口蓋垂(こうがいすい)
上あごの、骨がある堅い部分が、硬口蓋。
その奥にある、やわらかい筋肉が軟口蓋。
軟口蓋からたれ下がる、あまった肉が口蓋垂。いわゆる、喉ちんこ。
口からはーっと息を吐くときは、軟口蓋と口蓋垂が持ち上がり、鼻腔への道を塞ぐ。
フランス語やドイツ語などでは、口蓋垂を振動させる子音もある。
・咽頭(いんとう)
風邪を引いて喉が痛いときは大抵、咽頭壁が赤く腫れている。
鏡で口の中を見たときに、口蓋垂の後ろの壁。
アラビア語では、舌根で咽頭を叩く、という子音の発音がある。
無理すると咳き込むので、気をつけて。
参考文献
斉藤純男 『日本語音声学入門 改訂版』 三省堂 2008
前回、前々回では、人間の言葉の特徴について述べた。
それでは、
言語は、人間という種の、特異的なものなのだろうか。
犬には犬の言語があるかもしれない。
犬はお互いに、自分の両親がどんな犬だったかを語り合えるかもしれない。
このような疑問を確かめるのに、
人間言語を、他の動物に教えるという試みが数多く存在する。
最も盛んだったのが、チンパンジーの調教であった。
しかしこの実験は、
チンパンジーは人間言語を話すことが出来る発声器官を持っていない
と言うことを明らかにしただけであった。
学者は他のものを使って、どうにか人間言語らしいものを教えようとした。
ワショーという名のチンパンジーは、アメリカ式手話を習得し、
4年後には80種類ほどの手話を使い分けることが出来たという。
サラは、色と形の異なる複数のプラスチックのチップ使い、
ラナは、コンピューターのボタンを使い、かなりの種類の記号を覚えることが出来たという。
もちろん、
記号となるチップやボタンと、それが示す意味はまったく恣意的なものであった。
例えば、赤の四角がバナナを意味する、などのように。
しかしこの結果を見ても、腑に落ちない点がいくつかある。
人間により強制され、厳しい教育を受けた割りに、まずまずの結果であることだ。
人間の子供は、強制されずに流暢に言葉をしゃべることが出来る。
また、自然とは懸け離れた環境におかれた動物達の結果を、
どう解釈すればよいのかも、議論の余地がある。
チンパンジー達は、新しく得た言語を、仲間同士で使おうとは思わなかった。
言語を学ぶ能力があるなら、
なぜ、それを利用しようとしなかったのだろうか。
彼女達の「不自然」な習得は、不自然な言語でしかない。
チンパンジーは既に、私たち人間が言語とは思わないような、
目と口を使った、とても複雑で適切な信号伝達のシステムを持っているのだ。
結局この試みで分かった事と言えば、
私たちは、人間の言葉以外の言語を思いつくことが出来ない、
ということである。
ワショーについての詳しい記述は、
ロジャー・ファウツ著 『限りなく人類に近い隣人が教えてくれたこと』 2000 角川書店
にある。私は未読だが、参考までに。
さて、言語は人間特有のものであるのか、という問いについて話をしてきたが
答えはこうである。
「言語を人間言語と定義し、特定の構造の性質に重きを置くならば、
当然ながら、言語は人間に特有のものであるだろう。」
そして新たな疑問が生じるだろう。
言語は、遺伝的、先天的才能として生まれ持ったものであるのか。
「人間」と言う種に生まれたことが、
遺伝子レベルで特異なものであるということも出来るだろうが、
料理をし、服を着ることが、遺伝子による行動だと言えるだろうか。
サルに、自ら人間言語を学ぶように説得することは出来ない。
チンパンジー達は人間のマネをすることは出来るが、それは偽物でしかない。
人間が言語を扱うということは、
他の動物たちには実証できない、種に普遍的な特徴である。
したがって、遺伝子の功績(genetic accomplishment)である。
それでは、遺伝的な才能 (genetic endowment)であるのか。
これには議論の余地がある。
この問題は、言語学者のノーム・チョムスキーが研究している課題である。
言語が人間特有なものであるということは、
説明しがたい事実によって証明されている。
その一つが、あまりにも簡単に、子供達が言葉を覚えることである。
オウム返しのモノマネではなく、
聞いた事の無いような発話をすることが出来る。
聞いた事の無い発話…
「黄色いカラスが、机の上で跳び箱を壊す」のような。
習得とは、物事の蓄積だけではなく、調整をすることが必要である。
この調整をする能力として、
チョムスキーは言語習得装置(LAD:Language Acquisition Device)を提案した。
実際に出会った言語データから、規則を抽出する能力である。
そしてこの装置は普遍文法(UG:Universal Grammar)を備えている。
UGは排他的な文法構造の共通する規則のセットであり、
言語の要素によって、異なる設定が与えられる。
子供は、言語の文法規則を、すべて頭に刻み込む必要は無い。
テレビの設定画面で、明るさ、コントラスト、音量を調節するように、
あらゆる言語に共通する項目(要素)について、
日本語なら日本語の、
決まった値に設定することが出来る装置が、LADである。
要素は、先天的で、既に用意されており、人間の遺伝的な部分である。
設定は、環境、周囲で使われている言語によって変わる。
つまり、要素に関して言えば、すべての言語は似ており、
設定に関して言えば、すべての言語は異なっている。
チョムスキーによると、
人間には、種に特有の、言語に関するプログラムが装備されており、
それは人間の他の能力とは、本質的に異なっている。
チョムスキーの興味は、言語のみに収まらず、
人間であることに向けられている。
言語は、認知的な存在であるだけではない。
コミュニケーション、社会コントロールの手段として機能だという主張もあるだろうが、
抽象的な知識となって、頭の中に吸収するためには、
実際の行動として、外の世界を経験しなければならない。
もう一つの言語の捉え方は、
社会的な機能としての捉え方である。
言語とは公共の必要性に見合う、記号システムである。
重要な点は、言語が、遺伝的な才能ではなく、遺伝的な功績であることだ。
人間は、言語を扱う、完全にユニークな存在なのだろうか。
他の種も様々な記号を使ってコミュニケーションを取りコミュニティーを形成しているが、
人間のように、複雑な社会的有機物として機能するようなシステムではない。
言語は、人間と言う種の進化の結果ではなく、
人間コミュニティーの、社会的進化の結果である。
言語学者であるマイケル・ハリデーによると、言語には、
概念化によって現実を支配する、観念化機能(ideational function)と、
私とあなたの間に社会的関係を築く、対人関係の作用(interpersonal function)がある。
このような機能も、言語のシステムとして結びつけることが出来るだろう。
これは、チョムスキーとは異なる意味の、UGの特徴と言える。
このときの設定すべき要素は、社会文化的なものであるだろう。
言語は、人間の知性と、人間の社会との複雑な結びつきがある。
認知とコミュニケーションと関係があり、
抽象的な知識と、実際の行動でもある。
言語という現象は捉えどころが無い。
どうやったら言語を正確に捉え、システマティックに研究できるだろうか。
その本質を識別するのは難しい。
もし、あなたが木の中に居て、木しか見えないとき、
木を見ようと思ったら、一度、木の外に出なければならない。
言語学の目的は、言語を説明することである。
その説明は、経験そのものと、ある程度の分離が無ければならない。
言語の記号は恣意的であり、
それゆえに、世界を定義するための概念化をすることが出来る。
言語は世界を映し、記録するだけではなく、世界を作るものである。
そして、人間が、積極的(proactive⇔reactive)であることを可能にした。
もちろん、違うコミュニティーの言語は、異なった世界の形を示すだろう。
経験の説明は、文化的しきたりと、言語の習慣の問題である。
しかし一方で、
現実の抽象化という人間特有の思考は、私たちの、外の世界の理解に制限を加える。
私たちの概念カテゴリーが、どんなに精巧であっても、
世界の全てを捉えることはできない。
かといって、抽象化を止める事は出来ずに、私たちは永遠に、
変わり続ける世界に、カテゴリーを適合させてゆくのだ。
現実を、カテゴリー再構築の絶え間ない工程に通し、選ぶべき説明を探している。
この終わりの無い調節可能な抽象化と、
物事の解釈の違う方法を出現することを可能にする潜在能力は、
言語のそのものに、既に備わっている。
知的な疑問、より秩序だった説明の発展の道具となる、
言語の抽象化能力は、学問の分野で浸透している。
私たちはこのような分野を、文化として考えることが出来る。
特定の、学者の集まりでの、伝統的な話し方、考え方であると。
他のどんな文化でも、実際の経験から抽象を引き出す。
言語学もそのような分野のひとつだ。
言語学は、言語の抽象化能力を、言語をカテゴライズし、説明する為に使用する。
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