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このブログは、管理人が、
まず第一に、自分のために記すブログです。
感想・独白を含む、無責任な文章の集まりです。

学術的な記述には、細心の注意を払いますが、
本文の参照・引用は慎重にお願いします。
参考文献を必ず文末に記しますので、そちらをご覧ください。

もしこの粗悪な文章を読み、
言語学の面白さを知ってもらえたら、ブログ管理人としてとても嬉しいです。

【2012.06.09】
長らく不在にしておりました。光陰矢の如しですね。

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しばらくは、オックスフォード出版から出ている
「Oxford Introductions to Language Study」シリーズの
『Linguistics』の要約を書いてゆきたいと思います。
著者はH. G. Woddowson教授。
ロンドン大学Institute of Educationの、外国語母語話者のための英語学の教授であり
エセックス大学の応用言語学の教授でもあります。



言語学とは、人間言語を研究する学問分野に与えられた名前である。
人間言語とは何か?
研究とは具体的に何を示すのか?
詳しい話をする前に、言語の本質について、一般的な観察をしてみよう。


聖書には「はじめに言葉ありき」とある。
ユダヤ教の律法集タルムードには
「神は言葉を用いて、苦痛も苦悩も無く瞬く間に、世界を創った」とある。
原始の言葉に関する記録である。

私たちは子供のころに、言葉を習得して
個として、また社会的存在としてのアイデンティティーを修得する。
言葉は、認知と情報伝達の手段であり、
それによって私たちは共同体の中で力をあわせることが出来る。

人間以外の動物も、仲間達とコミュニケーションを取ることができるが、
それは人間の言語とは違うものなのだろうか?
確かに言語は、人間に不可欠で、創造性を担っているが、
人間と動物を区別するものが言語であるとは、簡単には言えない。

鳥の求愛のダンスや歌声は実に複雑だが、それは自動的に再生されるだけである。
自由な表現を、主体的に作り出すことが出来る人間言語とは違う。
有名な論理学者であるラッセルは、以下のように述べている。
「どんなに犬が吠え立てても、
彼は、自分の両親は貧しかったが正直だったと、伝えることは出来ない」

柔軟でレパートリーが無限にあることが
人間言語の特性ならば、その性質は何なのか?

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その一つは恣意性(arbitrariness)である。
言葉の形と意味の関係は、慣習の問題であり、言語間では根本的に異なる。
いぬ dog chien
どれも、あの四本足の飼いならされた動物を示す言葉だが、
どの形も音も、これ(↓)にまったく似ていない。
014684e9.jpeg
もし言葉の形と意味に親密な関係性があったら、
日本人にとって、dogもあれ(↑)を示すということを、理解しにくくしてしまう。

韓国語で
「9、九つ」のことを「アホ(ッ)」と言うが、
そんな感覚に似たようなことが起こるのだろうと、私は思う。

しかし形と意味の間に、まったく関係が無いわけではない。
擬音語(オノマトペ)などが良い例である。
「bark」は実際の犬の鳴き声と深い関係がある。
でも、フランス語(aboyer)や日本語(吠える)とは全然似ていない。
自然と言語の間にどんな関係があるのか、
なかなか説明はしにくい。

実際、言葉の形と、意味との関係が希薄であることは、とても便利なのである。
たとえば「らくだ」。英語でも「camel」だが、
これは、そのほかのもの、「馬」や「鹿」など、と区別するのに大変便利な言葉である。
アラビア語では「らくだ」を示すのに、
日本語には無い、たくさんの単語がある。
英語では、「dog」は細かく「hound」「mastiff」「spaniel」「terrier」「poodle」に分かれる。
すべて犬に関する単語だが、それぞれに形の関係性は無く、
どれも「dog」との形の関係も無い。
逆に、「spaniel」と「spanner(工具のスパナ)」に意味上の関係は無く
「poodle」と「nooble(麺)」の意味上の関係もやはり無い。

以上のように、言葉の形と意味との関係は、とても恣意的である。

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音声学(phonetics)は、
言葉の音声を研究する言語学の一分野である。
「音声」とは、言語音のことであり、ただの音や声とは区別されるが、
何を言語音とするかには論争が絶えない問題である。

音声学の起源は、文字の発明にまで遡ることができるだろう。
言葉の音を分かりやすく記録しようとする試みは
現在も、まだまだ盛んな領域である。

古くは紀元前6-5世紀、口伝で伝えられてきた、
インドのリグ・ヴェーダを伝統的発音で唱えるための
精密な発音描写がある。

しかし中世ヨーロッパでの言語学の注目は専ら
綴り字と書き言葉であったため、
話し言葉や発音の研究は、例外的でしか無かった。
このころレオナルド・ダ・ヴィンチは、詳細な発音器官の断面図を残している。

19世紀中頃には、数々の著名な音声学者が登場し、
さまざまな国の方言や、発音の違いの研究が進んでいった。
19世紀末、音声学の驚異的な進歩に大きな役割を果たしたのが、
機械器具の発明である。
今まで、目の前で発音してもらい、その場で書き留めていたのが、
機械の登場によって、正確に早く、結果を出すことが出来るようになった。

現在はコンピューターの発達で、
入力した音声を瞬時に波形に書き出し、周波数を表示することが出来る。

このような優秀な機械器具を利用する機械音声学に反対して、
人間のコミュニケーションは
人間の口と、人間の耳によるものとし、
耳によって聞き分けられることが重要であるとする、聴覚音声学もうまれた。

しかし、コンピューターを使わずして
音声の分析は出来ない、というのが現状である。


参考文献
M. シュービゲル著 小泉保訳 『新版 音声学入門』 大修館書店 1973

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そして、恣意性に次ぐ性質が、二重性(duality)である。
人間言語は、2つの要素に分けることが出来る。

話し言葉で言えば、
まったく意味の無い要素(音)と、意味である。
/s/と/z/の違いは、
声帯が揺れているか、揺れていないかの、物質的な違いだけである。
しかし、この2音が/feɪ/という音の後にくっつくと、
「face /feɪs/」、「phase /feɪz/」の意味の違いを生じる。

話し言葉では
音と文字という二つに分かれる。
「sow」という英語は、/sɔʊ/と読めば、(種など)を蒔く、という動詞になり、
/saʊ/と読めば、メスの豚と言う言う意味になる。
逆に/saɪt/と言う発音には、「cite」「sight」「site」の表記がある。

このような恣意性二重性が、
人間言語特有の、柔軟性と創造性を担っているのである。


*国際音声記号に関しては別のコラムで詳しく書きます。

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言語学が大好きな一般人のブログです。 過去の記事は、軌跡として残しておきます。
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